益田ミリさんの最新刊『今日の人生3 いつもの場所で』、堪能しました。
何気ない日常にひそむ人生の神秘を紐解いてくれるこのシリーズは、前作からコロナ禍になり、私としてはコロナ関係のマンガやエピソードにはあまりハッとするものがなかったので、やはり1巻がいまのところ最高傑作なんですけど、それでもハッと来たりグッと来たりキュンとなったりするエピソードはたくさんあり、作者の日常を視る目の細やかさに勉強させられました。
「ぼんやりするのがもったいないのではなく、ぼんやりしないことのほうがもったいない」
これには忸怩たる思い。昔から貧乏性で、時間を無駄にするのがもったいないとしか思えず、いまでもトイレでうんこするときは本を持ち込んで入ってますね。ぼんやりするのがもったいないとばかり思って生きてきました。もったいないことをしています。
「原稿を書いているときの最強のBGM。ホームベーカリーが生地をこねている音」
これはよくわかるというか、私はホームベーカリーの音を鳴らしながらシナリオを書いたことはないけど、大音量のロックをかけながらいつも書いてました。
荒井晴彦さんも言ってたけど、「聴くためにかけるわけじゃない」んですよね。うん、聴いてない。むしろ、自分の周りにバリアを張りたくて大きな音楽をかける。
ホームベーカリーが最強のBGMだというのは、だから同じ理屈なんだと思った今日の人生。
「一日だけ 17歳に戻るなら 持て余したい 自分自身を」
途中に挟まれた俳句。というか川柳。
うーん、この「持て余したい」というのが秀逸ですな。私は17歳ごろに自分自身の何を持て余していたのだろう。よくわからない。性欲? 少なくとも自殺願望が芽生えたのがちょうどこのころだった。
「ちょっとやせようとおやつをやめて、運動をした日の夜 体重が増えていた今日の人生」
これはよくわかる。というか、最近、脂肪肝が悪化して体重や体脂肪率を落とさねばならなくなったので、痛切に感じ入りました。
ずっと以前、新聞の川柳欄に、「今日も乗る 絶叫マシーン 体重計」なんて作品が載ってましたが、そういうことですよね。「なぜだ!?」という絶叫。「やっぱり!」という絶叫。いろんな絶叫が体重計の上にはひそんでいます。
「服の整理をしたら
服と服の間に隙間ができたんです
その隙間を見るたび心が落ち着き
いつまでも眺めていたいような気になり
気が済むまで隙間を見ていた今日の人生」
これは最初の「ぼんやりするのがもったいないのがもったいない」に通じるものですね。その「ぼんやり」の対象が服と服の隙間というもの。
何となくわかる。でもすべてがわかるわけじゃない。ずっと見ていたいという気持ちもわかる。でも私はずっとそういうものを見たことがない。もったいないもったいないとせわしなく生きてきたことが本当にもったいないように思えてきた今日の人生。
「映画館で映画を見た帰り道より 家に帰って布団に入ってからのほうがじわじわ来る映画ってありません?」
これはたまに言う人がいますが、私はほとんどないんですよね。映画館でキターとなって、それが帰宅してから反芻されることはあっても、映画館の帰り道より帰宅して寝る前のほうがキターとなる映画ってたぶんいままで一本もない。
もしかすると、もったいないもったいないと寸暇を惜しんで生きてきたからそういう逆転を経験できなかったのかもしれない。
昔、京都にいたころ、昼間は友だちが監督した自主製作映画の編集をして、夕方映画を見に行き、帰宅して夜はシナリオを書く、みたいなめちゃ忙しい生活をしていたら、別の友人から「もっとボーッとしたほうがいいよ」と言われたのが思い出されます。
あのとき言うとおりにしておけばよかったかも。でも無理なんでしょうね。貧乏性だから。いまだって、トイレに本を持ち込んじゃダメと思いながらも、やっぱり持ち込んじゃうんですから。あーもったいない。
などと遠い目になった今日の人生。
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これはよくわかるというか、私はホームベーカリーの音を鳴らしながらシナリオを書いたことはないけど、大音量のロックをかけながらいつも書いてました。
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ホームベーカリーが最強のBGMだというのは、だから同じ理屈なんだと思った今日の人生。
「一日だけ 17歳に戻るなら 持て余したい 自分自身を」
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これはよくわかる。というか、最近、脂肪肝が悪化して体重や体脂肪率を落とさねばならなくなったので、痛切に感じ入りました。
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服と服の間に隙間ができたんです
その隙間を見るたび心が落ち着き
いつまでも眺めていたいような気になり
気が済むまで隙間を見ていた今日の人生」
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もしかすると、もったいないもったいないと寸暇を惜しんで生きてきたからそういう逆転を経験できなかったのかもしれない。
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