河野真太郎という方の『正義はどこへ行くのか 映画・アニメで読み解く「ヒーロー」』を興味深く読みました。
スーパーヒーローだけが「ヒーロー」なのか
この本は「多様性の時代における正義」がテーマらしいのですが、正義を実行して悪を成敗する「ヒーロー」として、バットマンやスパイダーマン、あるいはウルトラマンや仮面ライダーなどの「スーパーヒーロー」が取り上げられるんですが、いやいや、「ヒーロー」ってスーパーヒーローだけじゃないでしょ、と思ってしまいました。
著者が挙げている参照文献にジョーゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』があって、ホメロスの叙事詩なんかも参照されるんですが、あれらの文献で扱われるヒーローは少しもスーパーヒーローじゃないですよね。ごく普通の人間も、まず「恐れ」をもったり、「門番」に行く手を封じられそうになってもそこをこじあけて「英雄の旅」に出発する。そしてその旅のさなかでアンチヒーローを倒して幸福な結婚をし……そのあと慢心をもってしまいヒーロー自身がアンチヒーローに転落して新たなヒーローによって成敗される。その新たなヒーローもまたアンチヒーローに転落して……
これが「英雄の旅=ヒーローズ・ジャーニー」です。
本書でも「円環構造」と言ってるけれど、あまり詳しく触れませんね。それよりも何よりも、スーパーヒーローだけが「ヒーロー」という捉え方は、あまりにアメリカ映画や日本映画、ひいては世界中の映画を矮小化してしまうものではないでしょうか。
ごくごく単純に考えて、悪漢に正義の鉄槌を下すのが「ヒーロー」なのだから、それは何もパワードスーツを着たアイアンマンやバットマンにかぎった話ではないことは明白です。
この本は、スーパーヒーローの観点から正義を論じたものだよ、という人もいるかもしれませんが、いやいや、「正義」とはだから上述したように、ごく普通の人でも遂行しようと思えばできるわけで、スーパーヒーローにのみかぎるのはおかしいと思います。
『グラン・トリノ』のイーストウッド
クリント・イーストウッド監督・主演作品『グラン・トリノ』。
この主人公は、老いさらばえて死の病に侵されており、隣に越してきたモン族のタオという少年が近隣の不良少年たちに狙われているため、文字通り命を懸けて不良たちを成敗するのですが、『正義はどこへ行くのか』の著者が言うのとはぜんぜん違う方法で、ですよね?
著者は、アメリカ映画における正義は、アメリカ合衆国という国が昔から取る孤立主義(モンロー主義)と同じように、ヒーロー自身は孤立しており、そこから法の外へ出て悪漢をやっつけるのだと。
でも、『グラン・トリノ』のイーストウッドは、「法の外」へ出ませんよね。画像のように、いつかお前たちを撃ち殺してやるぞ、みたいな脅しをかけますが、実際には丸腰で決闘に出かけて不良たちに撃たせて死ぬ。
不良たちは警察に捉えられて一件落着。すべては「法の中」で物事が解決する物語でした。
河野真太郎さんは『ダークナイト』と同年につくられたこの『グラン・トリノ』をどう見るんですかね?
それに、河野さんが『LOGAN/ローガン』について書いていた、あの映画のローラというミュータントの少女と主人公ローガンが、「新たな戦う女性」と「助力者としての男性」の組み合わせになっていて、ポストフェミニズムの典型になっている、と批判めいた文言を連ねていました。
ポストフェミニズムとかよくわからないけど、少なくとも「ヒーロー映画」である『グラン・トリノ』において、助力者男性のイーストウッドに対し、新たな戦うヒーローはタオという少年である。
これはどう見たらいいの? 男性優位主義なのかしら。どうなのか。
それとも、トランプ主義以前の映画だから関係ない、ということなのか。
「多様性の時代における正義」
先述した通り、「多様性の時代に正義はどこへ行ったのか」が本書のテーマらしい。
多様性こそが正義だというひとつの回答もあるが、それはそれで袋小路に入ってしまう、らしい。そこでこの本を書いたそうな。
しかしながら、多様性に配慮した『リトル・マーメイド』はその主役の肌の色に「正義」を見ているわけですよね。ポリコレなんて言葉が最初のほうに少しだけ出てきますが、「何が正しいか」という議論。それとスーパーヒーローが悪漢に鉄槌を下す「正義」ってそもそも違うのでは?
政治的正しさは常に相対化され、刷新されていくものだろうけど、悪漢に鉄槌を下す正義はいつの時代も同じじゃないの? 勧善懲悪ものとかってバカにして言う人がいるけど、ああいう映画には固定客がいますよね。こんな映画にお客さん入ってるのかな、と見に行ったら結構入ってた、みたいな。
あの観客たちは「多様性の時代における正義」なんて考えてないと思う。ハラハラドキドキ、痛快なサスペンス・アクションが見たいだけでしょう? 『グラン・トリノ』だってああいうお客さんに対してのものだと思うし。
批評家って物事を複雑に考えるんだな、と改めて思った次第です。
スーパーヒーローだけが「ヒーロー」なのか
この本は「多様性の時代における正義」がテーマらしいのですが、正義を実行して悪を成敗する「ヒーロー」として、バットマンやスパイダーマン、あるいはウルトラマンや仮面ライダーなどの「スーパーヒーロー」が取り上げられるんですが、いやいや、「ヒーロー」ってスーパーヒーローだけじゃないでしょ、と思ってしまいました。
著者が挙げている参照文献にジョーゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』があって、ホメロスの叙事詩なんかも参照されるんですが、あれらの文献で扱われるヒーローは少しもスーパーヒーローじゃないですよね。ごく普通の人間も、まず「恐れ」をもったり、「門番」に行く手を封じられそうになってもそこをこじあけて「英雄の旅」に出発する。そしてその旅のさなかでアンチヒーローを倒して幸福な結婚をし……そのあと慢心をもってしまいヒーロー自身がアンチヒーローに転落して新たなヒーローによって成敗される。その新たなヒーローもまたアンチヒーローに転落して……
これが「英雄の旅=ヒーローズ・ジャーニー」です。
本書でも「円環構造」と言ってるけれど、あまり詳しく触れませんね。それよりも何よりも、スーパーヒーローだけが「ヒーロー」という捉え方は、あまりにアメリカ映画や日本映画、ひいては世界中の映画を矮小化してしまうものではないでしょうか。
ごくごく単純に考えて、悪漢に正義の鉄槌を下すのが「ヒーロー」なのだから、それは何もパワードスーツを着たアイアンマンやバットマンにかぎった話ではないことは明白です。
この本は、スーパーヒーローの観点から正義を論じたものだよ、という人もいるかもしれませんが、いやいや、「正義」とはだから上述したように、ごく普通の人でも遂行しようと思えばできるわけで、スーパーヒーローにのみかぎるのはおかしいと思います。
『グラン・トリノ』のイーストウッド
クリント・イーストウッド監督・主演作品『グラン・トリノ』。
この主人公は、老いさらばえて死の病に侵されており、隣に越してきたモン族のタオという少年が近隣の不良少年たちに狙われているため、文字通り命を懸けて不良たちを成敗するのですが、『正義はどこへ行くのか』の著者が言うのとはぜんぜん違う方法で、ですよね?
著者は、アメリカ映画における正義は、アメリカ合衆国という国が昔から取る孤立主義(モンロー主義)と同じように、ヒーロー自身は孤立しており、そこから法の外へ出て悪漢をやっつけるのだと。
でも、『グラン・トリノ』のイーストウッドは、「法の外」へ出ませんよね。画像のように、いつかお前たちを撃ち殺してやるぞ、みたいな脅しをかけますが、実際には丸腰で決闘に出かけて不良たちに撃たせて死ぬ。
不良たちは警察に捉えられて一件落着。すべては「法の中」で物事が解決する物語でした。
河野真太郎さんは『ダークナイト』と同年につくられたこの『グラン・トリノ』をどう見るんですかね?
それに、河野さんが『LOGAN/ローガン』について書いていた、あの映画のローラというミュータントの少女と主人公ローガンが、「新たな戦う女性」と「助力者としての男性」の組み合わせになっていて、ポストフェミニズムの典型になっている、と批判めいた文言を連ねていました。
ポストフェミニズムとかよくわからないけど、少なくとも「ヒーロー映画」である『グラン・トリノ』において、助力者男性のイーストウッドに対し、新たな戦うヒーローはタオという少年である。
これはどう見たらいいの? 男性優位主義なのかしら。どうなのか。
それとも、トランプ主義以前の映画だから関係ない、ということなのか。
「多様性の時代における正義」
先述した通り、「多様性の時代に正義はどこへ行ったのか」が本書のテーマらしい。
多様性こそが正義だというひとつの回答もあるが、それはそれで袋小路に入ってしまう、らしい。そこでこの本を書いたそうな。
しかしながら、多様性に配慮した『リトル・マーメイド』はその主役の肌の色に「正義」を見ているわけですよね。ポリコレなんて言葉が最初のほうに少しだけ出てきますが、「何が正しいか」という議論。それとスーパーヒーローが悪漢に鉄槌を下す「正義」ってそもそも違うのでは?
政治的正しさは常に相対化され、刷新されていくものだろうけど、悪漢に鉄槌を下す正義はいつの時代も同じじゃないの? 勧善懲悪ものとかってバカにして言う人がいるけど、ああいう映画には固定客がいますよね。こんな映画にお客さん入ってるのかな、と見に行ったら結構入ってた、みたいな。
あの観客たちは「多様性の時代における正義」なんて考えてないと思う。ハラハラドキドキ、痛快なサスペンス・アクションが見たいだけでしょう? 『グラン・トリノ』だってああいうお客さんに対してのものだと思うし。
批評家って物事を複雑に考えるんだな、と改めて思った次第です。
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