実は私、「ありがとう」が言えません。


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正確には、「ありがとう」と言おうとすると、どもってしまい、うまく発音できないのです。

吃音です。

子どもの頃はもっとひどかったように思いますが、大人になってもその名残があって、「ありがとう」だけほぼ確実にどもるのです。


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「ありがとう」と言おうとしても、「ありっとう」とか「ああがとう」になってしまう。

言葉が言葉だけに、言うべき場面で言わないと非常識と思われるので、それがよけいにプレッシャーとなってうまい発音を妨げてしまうのです。

かつてコールセンターで働いていたときに、どうしても「ありがとう」が言えないばかりか「ありっとう」にすらならない、最初の「あ」が出てこない事態になってしまいました。

上司にその旨を伝えると、「それなら、最初は、『お電話ありがとうございます』ではなく『大変お待たせいたしました。担当の神林でございます』、最後は『お電話ありがとうございました』ではなく『これからも○○株式会社をよろしくお願いいたします」と言えばいい」とアドバイスしてくれました。

他の人たちも、吃音者に対しては笑ったり、指摘したりしたらよけいしゃべれなくなるというのが常識なのか、誰からも何も指摘されなかったのはありがたかった。

それで何とか乗り切れるかと思ったんですが、マニュアル通りに事が運ばないこともあり、お客さんから「おたくの会社の製品、とてもいいですよね」などと言われようものなら、絶対にそこは「ありがとうございます」の一言を言わねばならず、最初の「あ」が出るまで数秒かかるようなこともありました。

主治医は精神科医で吃音が専門とのことなので相談してみたんですが、「どもるほうが誠実に聞こえるんだよ」と。

うーん、そりゃそうかもしれない。立て板に水みたいな喋り方だとかえって怪しく聞こえるとかで、名うての詐欺師はつっかえつっかえしゃべる技を習得しているのだとか。

確かにつっかえつっかえだと人を騙そうとしているようには感じないし、誠実に聞こえるというのもその通りなんでしょう。でも、コールセンターのときに最初の「あ」が出てこずに数秒の沈黙に耐えかねた者としては、「そのほうが誠実に聞こえる」と言われても少しも慰めにならなかった。

私はどもらない方法を教えてほしかったんですがね、あの名医でも何の妙案もなかったらしいので、「どもらない方法」なんて存在しないのかしら。

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上司のアドバイスのように、「別の言葉で言いかえる」のはひとつの手でしょうが、それでもやはり、日常生活において「ありがとう」に代わる言葉なんてあるだろうか。

「どうも」とか「すみません」で事足りる場合もあるだろうけど、それではいけないときのほうがよっぽど多い。

とか何とか考えるからよけいに言えなくなる。

いまは職場へ行くことがないので、そんなに「ありがとう」と言うこともない。でも逆に、だからこそ言うべき時と場所に遭遇すると体が凝り固まってしまうのです。

まだ不意に遭遇するならいい。こないだ、ある店で唐揚げ定食を食べたんですけど、ご飯をおかわりしようとして、

「すいません、半分くらいだけ」
「これくらいですか」
「あ、もう少し少なく」
「これでは」
「ありがとうございます」

と自然にすらすら言えたんですよね。いきなり望み通りの量を入れてくれてたら会釈ですませただろうけど、手数をかけさせてしまったのでお礼を言った。これは不意打ちなのですらすら言えたのだと思う。

いま困るのは病院。

月に1回か2回の精神科と、2か月に1回の歯医者の定期健診、3か月に1回の脂肪肝の検査、などなど、病院へ行ったら「どうもすいません」ですませるわけにもいかない。全部終わったら「ありがとうございます」を言わなきゃと考えながら行くので、不意打ちどころか、いつ言うかが決まっている。その1点に向けて緊張が高まっていき、ついに「ありが、ありが、ありがとうございます」になってしまうときがあるのです。

まだ精神科ならそういう患者がいるからそんなに変な顔をされず、「こういう人を笑ってはいけない」と思ってくれるからか、にこやかな笑顔で見送ってくれるのだが、先月歯医者に行ったときに「ありが、ありが、ありがとうございます」となったときは、助手の人が全員こちらをきょとんとして目で見つめてきて、あれはきつかった。

というわけで、吃音の人が周りにいたら決して笑ったり、追い込んだりせず、温かく見守ってほしいと思う春の夕暮れでした。

以前、兄が推薦してた↓この本↓を読んでみようかな。

どもる体 (シリーズ ケアをひらく)
伊藤 亜紗
医学書院
2018-05-28


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