『インビジブル』(2000、アメリカ)
原案:ゲイリー・スコット・トンプソン&アンドリュー・W・マーロウ
脚本:アンドリュー・W・マーロウ
監督:ポール・バーホーベン
出演:ケビン・ベーコン、エリザベス・シュー、ジョシュ・ブローリン、ウィリアム・ディベイン
かつて、大阪での黒沢清レトロスペクティブで、ポール・バーホーベン監督の傑作『インビジブル』に対し、「主人公が天才でスケベというだけで映画が成立してしまうのはすごい」との黒沢監督の発言が紹介されました。
この発言に対し、『地獄の警備員』で黒沢監督と組んだ脚本家の富岡邦彦さんは、「それは『映画』が成立したんじゃなくて『企画』が成立したってことでしょ?」と疑義を呈していました。
黒沢さんの言葉を紹介した批評家もどきの若者二人は明らかに不満そうでした。だって、確かに、主人公が天才でスケベだけで映画が成立してるじゃないか、と。
翻って↓この映画↓。
『ユーズド・カー』(1980、アメリカ)
製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ&ジョン・ミリアス
脚本:ロバート・ゼメキス&ボブ・ゲイル
監督:ロバート・ゼメキス
出演:カート・ラッセル、ジャック・ウォーデン、ゲリット・グレアム
ゼメキスとボブ・ゲイルがまだ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を作る前、向かい合った中古車屋同士のいがみ合いという何ともナンセンスな喜劇を撮っていたのでした。
これが数年前にWOWOWで放送されたとき、司会の斎藤工が、「こんなのいまじゃ絶対『企画』が通りませんよね」と言いました。
その通りです。中古車屋同士のいがみ合いに金を出そうというスポンサーはいないでしょうし、見に来る観客もほとんどいないでしょう。
でも、「映画」は成立します。正しく言うなら、「芸術的側面の映画」は成立する。どんな場合でも。
中古車屋同士のいがみ合い。
主人公が天才でエロい。
どちらも、アイデアとして悪くないかどうかは議論の余地がありそうですが、「映画」にはなります。「芸術的側面の映画」にはね。傑作か駄作かの違いはあるでしょうけど。
でも、「経済的側面としての映画」についてはどうでしょうか?
それが「企画」というものです。
つまりはお金の計算。かけただけのコストを回収できるだけでなく充分な利潤を生むかどうか。そろばん勘定です。
そういうシビアなそろばん勘定に『インビジブル』は「天才だけどスケベな主人公」という一点だけで突破してみせ、古き良き『ユーズド・カー』の時代には、そこまでそろばん勘定がシビアでなかったということでしょうか。
いずれにしても、ハリウッドの厳しいそろばん勘定を突破した。それが企画が通ったということ。それなしにはいくらポール・バーホーベンが天才でも、この資本主義社会では一本たりとも映画は作りえません。
芸術的側面としての映画はどんなものでも成立します。大損してもいいだけの大資産があるならいくらでもこしらえればよろしい。でも、そんな酔狂な人はいないでしょう。いたとしてもそんなにたくさん作れない。
たくさんコンスタントに作っていくためには、映画を成立させる前に、まず企画を通さなくてはならない。自分が作ろうとしている映画の経済的側面にもっと光を当てなければならない。
この記事の冒頭で紹介した、富岡邦彦さんに反論された批評家の卵二人は、だから完全に間違っているのです。映画の芸術的側面しか見ていない。経済的側面を見落としていながら「批評家の卵」を名乗っている。
ため息がもれました。
原案:ゲイリー・スコット・トンプソン&アンドリュー・W・マーロウ
脚本:アンドリュー・W・マーロウ
監督:ポール・バーホーベン
出演:ケビン・ベーコン、エリザベス・シュー、ジョシュ・ブローリン、ウィリアム・ディベイン
かつて、大阪での黒沢清レトロスペクティブで、ポール・バーホーベン監督の傑作『インビジブル』に対し、「主人公が天才でスケベというだけで映画が成立してしまうのはすごい」との黒沢監督の発言が紹介されました。
この発言に対し、『地獄の警備員』で黒沢監督と組んだ脚本家の富岡邦彦さんは、「それは『映画』が成立したんじゃなくて『企画』が成立したってことでしょ?」と疑義を呈していました。
黒沢さんの言葉を紹介した批評家もどきの若者二人は明らかに不満そうでした。だって、確かに、主人公が天才でスケベだけで映画が成立してるじゃないか、と。
翻って↓この映画↓。
『ユーズド・カー』(1980、アメリカ)
製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ&ジョン・ミリアス
脚本:ロバート・ゼメキス&ボブ・ゲイル
監督:ロバート・ゼメキス
出演:カート・ラッセル、ジャック・ウォーデン、ゲリット・グレアム
ゼメキスとボブ・ゲイルがまだ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を作る前、向かい合った中古車屋同士のいがみ合いという何ともナンセンスな喜劇を撮っていたのでした。
これが数年前にWOWOWで放送されたとき、司会の斎藤工が、「こんなのいまじゃ絶対『企画』が通りませんよね」と言いました。
その通りです。中古車屋同士のいがみ合いに金を出そうというスポンサーはいないでしょうし、見に来る観客もほとんどいないでしょう。
でも、「映画」は成立します。正しく言うなら、「芸術的側面の映画」は成立する。どんな場合でも。
中古車屋同士のいがみ合い。
主人公が天才でエロい。
どちらも、アイデアとして悪くないかどうかは議論の余地がありそうですが、「映画」にはなります。「芸術的側面の映画」にはね。傑作か駄作かの違いはあるでしょうけど。
でも、「経済的側面としての映画」についてはどうでしょうか?
それが「企画」というものです。
つまりはお金の計算。かけただけのコストを回収できるだけでなく充分な利潤を生むかどうか。そろばん勘定です。
そういうシビアなそろばん勘定に『インビジブル』は「天才だけどスケベな主人公」という一点だけで突破してみせ、古き良き『ユーズド・カー』の時代には、そこまでそろばん勘定がシビアでなかったということでしょうか。
いずれにしても、ハリウッドの厳しいそろばん勘定を突破した。それが企画が通ったということ。それなしにはいくらポール・バーホーベンが天才でも、この資本主義社会では一本たりとも映画は作りえません。
芸術的側面としての映画はどんなものでも成立します。大損してもいいだけの大資産があるならいくらでもこしらえればよろしい。でも、そんな酔狂な人はいないでしょう。いたとしてもそんなにたくさん作れない。
たくさんコンスタントに作っていくためには、映画を成立させる前に、まず企画を通さなくてはならない。自分が作ろうとしている映画の経済的側面にもっと光を当てなければならない。
この記事の冒頭で紹介した、富岡邦彦さんに反論された批評家の卵二人は、だから完全に間違っているのです。映画の芸術的側面しか見ていない。経済的側面を見落としていながら「批評家の卵」を名乗っている。
ため息がもれました。
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。