綿矢りささんの『パッキパキ北京』を大変面白く読みました。げらげら笑い転げて、最後は恐ろしくなる、これは「コメディ」ですよね?
なのに、「綿矢りさがピカレスクロマンを書いてくれた!」とかって喜んでる人がいて困りました。
ピカレスクロマンって悪漢小説でしょう? 悪い奴を英雄的に描くやつ。この『パッキパキ北京』の主人公・菖蒲のどこが「英雄」なんでしょうか。そりゃ、北京の表層をとことん食い尽くしてやる的なところはそうでしょうが、結局、この主人公は自分がバカだということに気づきながらも気づかないふりをしてるという、作者の「批判的な目」が最終的には面白いわけですよね?
例えば、谷崎潤一郎の中編『神童』。あれも、主人公の主観的自己像と、読者の中の客観的主人公像がどんどん乖離して、ラストに至って決定的な乖離となり、もはや主人公はまともな人生を歩めないだろうというところまで堕ちていく。悲劇でもあり喜劇でもある。
この『パッキパキ北京』も構造はまったく同じです。冒頭の、
「なんかむなしい。ってのを私は経験したことが無くて、それは私が苦労してないとかじゃなく、楽しみを見つけるのが上手いからだ」
という語りからして、もうバカ丸出しですよね。「楽しみを見つけるのが上手い」のではなく、「苦労してない」ほうが本当だし、主人公自身もわかっている。わかっていながら『阿Q正伝』の阿Qのようだと夫から指摘されるよりはるか以前から、この菖蒲という主人公は「精神勝利法」を体得している。それを冒頭の時点で主人公自身が告白しているわけです。うまい構成です。
冒頭といえば……
菖蒲の友人の、由紀乃と瑞穂、美杏という女性が出てきて、みんな菖蒲からすれば友達でも何でもなく、ただマウントを取り合うだけの仲、らしいのだけど、この人たちはおそらく本当の友人ですよね? 菖蒲が友だちじゃないと言ってるだけで、他の面々は彼女のことを本当の友人だと思っている。
それは、旧正月に由紀乃から来たメール文面を見ればわかります。
「深い経験はしたくなかった。表面だけ舐める楽しみ。トッピングのチェリーだけつまんで食べてきた人生。このままではいつか上手く行かなくなるなんて、私でなくても分かることだ」
ここまで親切に書いてくれているのに、ピカレスクロマンの傑作だというんですか。これ以上ない愚か者を批判的に描いた喜劇なのに。
一人称小説は「信用できない語り手」というのがしばしば登場しますが、これもそれですよね。去年読んだ『君のクイズ』の主人公もそうでした。
ただ、主人公がただの愚か者だと、それはそれでつまらないんですよね。共感できないから。
菖蒲にも思わず共感しちゃうところがあります。北京のうまいもんを食べ歩くところもそうでしょうが、やはり夫との関係でしょうね。夫のことを軽蔑してるみたいに言うわりには、夫の仕事関係の場とか彼のテリトリーではおとなしくしていたり、何よりこのフレーズ。
「てきぱきと部下に指示する夫を見ていると、ふと思った。いつか老いた彼がこんな風にできなくなるのを見る日が来るんだろうな。そのときは、私が支えてやる。それが、夫婦ってもんだ。できなくなってからが、本番だ」
頼もしい。この主人公はただのバカではないと思わせる一節。だけど、分別もきちんとわきまえているからこそ、己の馬鹿さ加減を身に沁みながらそれをうっちゃって「精神勝利法」にうつつをぬかして最後は美杏に「あたま大丈夫?」と言われてしまうのが哀しいし恐ろしい。
というわけで、谷崎の傑作『神童』をもう一度読み直したくなりました。綿矢りさはこの小説を書くにあたって絶対『神童』が念頭にあったと思いますが、どうでしょうか。
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『君のクイズ』考察①「ヤラセ」と人生
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例えば、谷崎潤一郎の中編『神童』。あれも、主人公の主観的自己像と、読者の中の客観的主人公像がどんどん乖離して、ラストに至って決定的な乖離となり、もはや主人公はまともな人生を歩めないだろうというところまで堕ちていく。悲劇でもあり喜劇でもある。
この『パッキパキ北京』も構造はまったく同じです。冒頭の、
「なんかむなしい。ってのを私は経験したことが無くて、それは私が苦労してないとかじゃなく、楽しみを見つけるのが上手いからだ」
という語りからして、もうバカ丸出しですよね。「楽しみを見つけるのが上手い」のではなく、「苦労してない」ほうが本当だし、主人公自身もわかっている。わかっていながら『阿Q正伝』の阿Qのようだと夫から指摘されるよりはるか以前から、この菖蒲という主人公は「精神勝利法」を体得している。それを冒頭の時点で主人公自身が告白しているわけです。うまい構成です。
冒頭といえば……
菖蒲の友人の、由紀乃と瑞穂、美杏という女性が出てきて、みんな菖蒲からすれば友達でも何でもなく、ただマウントを取り合うだけの仲、らしいのだけど、この人たちはおそらく本当の友人ですよね? 菖蒲が友だちじゃないと言ってるだけで、他の面々は彼女のことを本当の友人だと思っている。
それは、旧正月に由紀乃から来たメール文面を見ればわかります。
「深い経験はしたくなかった。表面だけ舐める楽しみ。トッピングのチェリーだけつまんで食べてきた人生。このままではいつか上手く行かなくなるなんて、私でなくても分かることだ」
ここまで親切に書いてくれているのに、ピカレスクロマンの傑作だというんですか。これ以上ない愚か者を批判的に描いた喜劇なのに。
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ただ、主人公がただの愚か者だと、それはそれでつまらないんですよね。共感できないから。
菖蒲にも思わず共感しちゃうところがあります。北京のうまいもんを食べ歩くところもそうでしょうが、やはり夫との関係でしょうね。夫のことを軽蔑してるみたいに言うわりには、夫の仕事関係の場とか彼のテリトリーではおとなしくしていたり、何よりこのフレーズ。
「てきぱきと部下に指示する夫を見ていると、ふと思った。いつか老いた彼がこんな風にできなくなるのを見る日が来るんだろうな。そのときは、私が支えてやる。それが、夫婦ってもんだ。できなくなってからが、本番だ」
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というわけで、谷崎の傑作『神童』をもう一度読み直したくなりました。綿矢りさはこの小説を書くにあたって絶対『神童』が念頭にあったと思いますが、どうでしょうか。
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