三宅唱監督の最新作『夜明けのすべて』を見てきました。上白石萌音は嫌い(その理由はここには書かない)ですが、監督の名前でね。でも、前作の『ケイコ、目を澄ませて』同様、好きになれませんでした。(以下ネタバレあり)
『夜明けのすべて』(2023、日本)

原作:瀬尾まいこ
脚本:和田清人&三宅唱
監督:三宅唱
出演:松村北斗、上白石萌音、光石研、渋川清彦、芋生悠、藤間爽子、りょう、久保田磨希
病気

予告編を見てなかったので、いきなりファーストシーンで上白石萌音がPMS(月経前症候群)を患っていると知って、ため息をつきました。
前から言っているように、病気や癖は「キャラクター」とは言わないと教わってシナリオを書いてきた人間なので、人物の根っこに病気を設定するのは好きじゃないし、やってはいけないことだと思っています。
だからがっかり拍子抜けしたうえに、松村北斗もパニック障害を患っていると知って、正直言ってその時点で映画館を出ようかと思ったほど。
でも我慢して見ていると、ちょっと考え方が変わってきました。
光石研社長は20年前に弟が突然失踪したままで、渋川清彦も5年前に姉が自殺している。(でも、この無関係のキャラクターがたまたま同じ場にいるという「偶然」はいかがなものかと思う)
そして、後半には地震のシーンがある。
なるほど、親族が突然自殺したり、通り魔に襲われたり、それで苦しむ人はたくさんいるだろうし、天災を根っこに据えた映画やテレビドラマはごまんとある。病気だってそれと同じじゃない? と。
病気も天災も事故も事件もすべてその人が原因でもないし、当然責任もない。突然襲ってきた「宿命」であり、その宿命のために苦しむ人を描くことこそ、作家の使命ではないか、と。
病気で話を転がすのが好きじゃないとかいうのは、ひどく勝手な意見ではないか。
そう思えるようになったのは収穫でしたが、同時に真逆のことも思いました。
掘り下げるべきテーマ

上白石萌音が松村北斗の家に行って、
「自分もPMSって生理の病気で、だから、お互い頑張ろう」
これに対し、松村北斗の回答はこんな感じです。
「え? お互い頑張ろうって何? だいたいパニック障害とPMSでは程度が違うでしょ?」
あまりに無神経な一言である。まぁこういう一言を言える人間が、最後は会社の先輩たちにお菓子を買って帰る気遣いを見せられるようになったという物語なんでしょうが、そのために「病気」が必要だったんですか? なんかそれって病気を「小道具」扱いしている感じ。やっぱり病気で話を転がすのはやめてもらいたい。
上記のシーンに鉱脈があるとも感じました。
つまり、松村北斗はパニック障害よりPMSのほうが苦しみが少ないと思っているわけですよね。女しかかからない病気なんかたいしたことない、と。
で、後半はこんなシーンがありました。松村北斗が上白石萌音に言うセリフ。
「男と女の間に友情は成立するかどうかってどうでもいいこと言う人いるじゃない? それは人によるしほんとどうでもいいんだけど、ひとつはっきりわかったことがある。俺は藤沢さん(上白石萌音)が苦しんでるとき、三回に一回くらいは助けられると思う」
これに対して上白石萌音はこう答えます。
「何それ。それって私の生理がいつ来るかいつも見てるってこと? セクハラじゃん。気持ち悪い」
そりゃま、女性からしたらセクハラと感じるのは無理ないのかもしれない。でも、同じく病気に苦しむ人間として松村北斗は「あなたのことを助けたい」と言ってるわけでしょ。それを「気持ち悪い」の一言で片づけるのは、彼女だって「ハラスメント・ハラスメント」してるわけですよね。
松村北斗も上白石萌音も、性別から来る差別感情を吐き出したり、ハラスメントを行う人間である。
この映画でのそういう行為は、すべて「言葉」です。言葉の暴力をこの映画では扱っていると思うんですが、そこを掘り下げようとしないところが不満でした。言葉の暴力を掘り下げるためには病気なんて必要ない。
会社のおばさん

二人が勤める会社にはどこにでもいそうなおばちゃんがいます。
上白石萌音が病気でおかしくなったあと、お詫びにお菓子を買って出勤すると、そのおばちゃんはこんなことを言います。
「そんなに気を遣わなくていいのよ。決まりになったらよくないし。でも私、ここの大福大好き」
気を遣わなくてもいいのよ、と言いながら、また買ってきてほしいみたいなことを言う。暴力とまではいわないが私はこういうの大嫌い。買ってきてほしければ素直に正直にそう言えばいいのである。
そして同じ人物がラストにもいやなことを言います。
前述したとおり、松村北斗がお菓子を買って会社に帰ると、
「みなさん、山添くん(松村北斗)が買ってきてくれましたよ!」
と「山添くんが」をやたら強調して言うのだけど、まるで「明日は雪だね!」みたいな口調で言うのはいかがなものかと思う。
こんな感じで、大なり小なり、この映画には人をいやな気持にさせる言葉があふれているので、そっちを掘り下げたらいいと思った。
何だかんだの末に、主役がお菓子を買って帰る人間に成長したって、あまりに小さくないですかね?
それとも、それがいまどきの「リアル」なんだろうか?
仮にそうだとしても私は好きになれませんし、どっちにしてもやっぱり病気はいらない。

『夜明けのすべて』(2023、日本)

原作:瀬尾まいこ
脚本:和田清人&三宅唱
監督:三宅唱
出演:松村北斗、上白石萌音、光石研、渋川清彦、芋生悠、藤間爽子、りょう、久保田磨希
病気

予告編を見てなかったので、いきなりファーストシーンで上白石萌音がPMS(月経前症候群)を患っていると知って、ため息をつきました。
前から言っているように、病気や癖は「キャラクター」とは言わないと教わってシナリオを書いてきた人間なので、人物の根っこに病気を設定するのは好きじゃないし、やってはいけないことだと思っています。
だからがっかり拍子抜けしたうえに、松村北斗もパニック障害を患っていると知って、正直言ってその時点で映画館を出ようかと思ったほど。
でも我慢して見ていると、ちょっと考え方が変わってきました。
光石研社長は20年前に弟が突然失踪したままで、渋川清彦も5年前に姉が自殺している。(でも、この無関係のキャラクターがたまたま同じ場にいるという「偶然」はいかがなものかと思う)
そして、後半には地震のシーンがある。
なるほど、親族が突然自殺したり、通り魔に襲われたり、それで苦しむ人はたくさんいるだろうし、天災を根っこに据えた映画やテレビドラマはごまんとある。病気だってそれと同じじゃない? と。
病気も天災も事故も事件もすべてその人が原因でもないし、当然責任もない。突然襲ってきた「宿命」であり、その宿命のために苦しむ人を描くことこそ、作家の使命ではないか、と。
病気で話を転がすのが好きじゃないとかいうのは、ひどく勝手な意見ではないか。
そう思えるようになったのは収穫でしたが、同時に真逆のことも思いました。
掘り下げるべきテーマ

上白石萌音が松村北斗の家に行って、
「自分もPMSって生理の病気で、だから、お互い頑張ろう」
これに対し、松村北斗の回答はこんな感じです。
「え? お互い頑張ろうって何? だいたいパニック障害とPMSでは程度が違うでしょ?」
あまりに無神経な一言である。まぁこういう一言を言える人間が、最後は会社の先輩たちにお菓子を買って帰る気遣いを見せられるようになったという物語なんでしょうが、そのために「病気」が必要だったんですか? なんかそれって病気を「小道具」扱いしている感じ。やっぱり病気で話を転がすのはやめてもらいたい。
上記のシーンに鉱脈があるとも感じました。
つまり、松村北斗はパニック障害よりPMSのほうが苦しみが少ないと思っているわけですよね。女しかかからない病気なんかたいしたことない、と。
で、後半はこんなシーンがありました。松村北斗が上白石萌音に言うセリフ。
「男と女の間に友情は成立するかどうかってどうでもいいこと言う人いるじゃない? それは人によるしほんとどうでもいいんだけど、ひとつはっきりわかったことがある。俺は藤沢さん(上白石萌音)が苦しんでるとき、三回に一回くらいは助けられると思う」
これに対して上白石萌音はこう答えます。
「何それ。それって私の生理がいつ来るかいつも見てるってこと? セクハラじゃん。気持ち悪い」
そりゃま、女性からしたらセクハラと感じるのは無理ないのかもしれない。でも、同じく病気に苦しむ人間として松村北斗は「あなたのことを助けたい」と言ってるわけでしょ。それを「気持ち悪い」の一言で片づけるのは、彼女だって「ハラスメント・ハラスメント」してるわけですよね。
松村北斗も上白石萌音も、性別から来る差別感情を吐き出したり、ハラスメントを行う人間である。
この映画でのそういう行為は、すべて「言葉」です。言葉の暴力をこの映画では扱っていると思うんですが、そこを掘り下げようとしないところが不満でした。言葉の暴力を掘り下げるためには病気なんて必要ない。
会社のおばさん

二人が勤める会社にはどこにでもいそうなおばちゃんがいます。
上白石萌音が病気でおかしくなったあと、お詫びにお菓子を買って出勤すると、そのおばちゃんはこんなことを言います。
「そんなに気を遣わなくていいのよ。決まりになったらよくないし。でも私、ここの大福大好き」
気を遣わなくてもいいのよ、と言いながら、また買ってきてほしいみたいなことを言う。暴力とまではいわないが私はこういうの大嫌い。買ってきてほしければ素直に正直にそう言えばいいのである。
そして同じ人物がラストにもいやなことを言います。
前述したとおり、松村北斗がお菓子を買って会社に帰ると、
「みなさん、山添くん(松村北斗)が買ってきてくれましたよ!」
と「山添くんが」をやたら強調して言うのだけど、まるで「明日は雪だね!」みたいな口調で言うのはいかがなものかと思う。
こんな感じで、大なり小なり、この映画には人をいやな気持にさせる言葉があふれているので、そっちを掘り下げたらいいと思った。
何だかんだの末に、主役がお菓子を買って帰る人間に成長したって、あまりに小さくないですかね?
それとも、それがいまどきの「リアル」なんだろうか?
仮にそうだとしても私は好きになれませんし、どっちにしてもやっぱり病気はいらない。

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