星新一の短編集『ようこそ地球さん』所収の「殉教」という小説を読み、いろいろ考えさせられました。(以下ネタバレあります)


20240213_152351 (3)

ある科学者が「死者と会話できる箱」を発明する。死者はみな「死後の世界はとても楽で、快適だ。あなたも死ぬといい」という。そして一人、また一人とその言葉を信じて死んでいく。箱には長い行列ができ、しまいには日本から諸外国へとその箱は流れていき、全人類を死に至らしめるほどの勢力をもつ。

しかし、ここに死なずに死体をブルドーザーで整理している男がいる。女が「なぜ死なないのか」と尋ねると、「自分も近しい人間で死んだ者がいて死後の世界を聞いたらとてもいいと言っていた。でも俺にはそういうのを信ずる能力がない」といって、女と一緒に黙ってブルドーザーを前に進める。

という、いたってシンプルな筋だけれど、深いですね。

前半、死ぬ者があとを絶たないところでは、死ぬのを強い罰則で取り締まろうと政府は考えるけれども、何しろ「死」という肉体の苦痛をものともしない人々を強い罰則で取り締まることはできない。そして政府内にも死ぬ人間が続出すると。

ここまではブラックジョークとして傑出していると思いました。

「死」という重み、苦しみがなくなると、途端に人は死に始めるのだと。死ぬのはいやだけど、でも死後の世界がそんなに楽しいなら死のう、もう死んでしまおう、と。それぐらい人間は潜在意識では死にたがっている。それは作者の人間観なのでしょう。

ところが、後半というか、結末に至って、この『殉教』は作者の「人間観」ではなく「宗教観」を表した作品だと気づかされ、その深さに脱帽するほかないのです。

ブルドーザーで死体処理をする男は、「死者の言葉を信ずる能力がない」という。考えてみれば当たり前ですよね。死者たちがまだこの世にいる生者たちを恨んで「こっちにおいで」と嘘を言ってるかもしれないのだから。その嘘に殉じて多くの人が死ぬ。

これはもう「宗教」でしょう。科学が開発した死者と会話できる箱を「神」として生まれた宗教。

でも、そんな宗教に背を向ける男と女がいる。彼らは新しい「アダムとイブ」ですよね。

ほとんどすべての人類が死に絶えたあとの世界で新しい社会を作っていく二人。そして、何人かの同じような何も信じずる能力のない仲間たち。

私の解釈では、その仲間たちが、新しいアダムとイブを信奉するような気がする。

何も信ずる能力のない男が教祖となって、地球上に新しい宗教と新しい人間社会を作っていく。

新しい宗教を作るのは男と女ではなく、仲間たちのほうである。キリスト教を作ったのがイエスではなく、パウロだったように。

ブルドーザーで前進し続ける男と、ついてくる仲間たち、という描写から、そう読みました。

最初は、死者と会話できる箱を開発した科学者を神扱いしていた人たち。対して、その箱を信じなかった人たちが黙々と死体処理する若者を信奉するようになる。

人間は結局、何かを信じないと生きていけない存在のようです。つまり、いつかはみな「殉教」する。無神論者は無神論という「神」を信じているのだから。


ようこそ地球さん(新潮文庫)
星 新一
新潮社
2013-03-01


 
このエントリーをはてなブックマークに追加