昨年亡くなった脚本家の山田太一さんが、1991年に編著者として世に問うた『生きるかなしみ』(ちくま文庫)を読みました。



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人生は楽しまねばならない?
「海外を旅して、例えばパリでノートルダムもルーヴルも見なかったといえば呆れられ、台北へ行って故宮博物院を訪ねなかったといえば何をしていたのかと疑われる。一歩足をのばせば行けるものをなぜ行かなかったのかと、信じられないというような顔をされる」(山田太一)

「いまは老いも若きも、ほとんどの日本人が人生は楽しむもの、楽しくなければならないと思い込んでいるようである。それはまるで強迫観念になってしまったかのような観さえあり、国中に楽しみを得るための情報が氾濫している」(佐藤愛子)

確かにその通り。私もニューヨークに行ったときに、セントラルパークで草野球を丸ごと一試合観戦し、ロンドンへ行ったときはソールズベリー大聖堂横でクリケットを長いこと観戦していたと言ったら、「何してるの」と軽蔑するような顔で言われたことが何度もあります。

「もっと楽しまなきゃ」ということでしょうが、いや、草野球も楽しいもんだよ、何しろワンサイドゲームだったのが最後は逆転サヨナラ走者一掃ツーベースだったから、といっても、「自由の女神には行ったの? MOMAは? ブロードウェイは?」とまくしたてられる。

MOMAには確かに行ってない。メトロポリタン美術館には行ったけど。いやいや、そういうことじゃなくて、スタンダードな観光地に行かないとその街を観光したことにならない、という考え方がそもそもおかしいのだ。

ガイドブックに書いてある通りに観光地を巡り、ガイドブックに書いてある通りの店で土産物を買うのは日本人だけだそうな。ロンドンに行ったとき、足をのばして尊敬してやまないシェイクスピアの生地ストラットフォード・アポン・エイボンへ行ったのだが、その町の古本屋に入ると、デビッド・ニーブンの伝記がたった1ポンドで売られていたので、買って親父への土産にしたのだけど、たいそう喜ばれた。ああいうのが「プレゼント」というべきものであろう。と自画自賛して次へ。


「昔、ある貧しい噺家がいた。噺家は自分を相当にうまい芸人だと信じていた。それを世間が認めない。仲間が寄ってたかって自分を殺している。そう思い込んでいた。暮らしは苦しく、その日にも困って、『ああ、死にたい』と口癖のようにこぼしていた。『病気にかからないからいいじゃないか』と慰めると、『私は病気をするほど運がよかぁありません』そして『ああ、死にたい、死にたいけれども、私には死ぬほどの運が来ない』」(宇野信夫)

死ぬほどの運が来ないとは言い得て妙である。私もずっと昔から自殺願望に取りつかれているので、大病を患って「あぁ、これでやっと死ねる」と嘆息ついて死ぬ夢を何度も見たことがある。交通事故で即死しないかなと夢想しながら町を歩いたりね。即死という願いが傲慢なのかな。「苦しんで死ぬのはいやだ」というわがままのせいでいまだに死ねないのかもしれない。

いずれにしても、その根底には、この貧しい噺家がすねているように、「自分を相当にうまい脚本書きだと信じていた。それを世間が認めない」という甘ったれた根性があったからではないか。と思ったりする。

山田太一さんはこの文章に関してでなく、あくまでも自分の章の文章として、こう書いている。

「私たちは少し、この世界にも他人にも自分にも期待しすぎてはいないだろうか? 本当は人間のできることなどたかが知れているのであり、衆知を集めてもたいしたことはなく、ましてや一個人のできることなど、何ほどのことがあるだろう。相当のことを成し遂げたつもりでも、そのはかなさに気づくのに、それほどの歳月は要さない」(山田太一)

そうだよなぁ。あるシナリオで佳作をもらったとき、「相当のことを成し遂げたつもりになった」が、「そのはかなさに気づくのに」私の場合は10年近い歳月を要したのである。それもこれも「この世界にも他人にも自分にも期待しすぎて」いるからだろう。いまからでも遅くない。改めないと。

そして、↓このように生きていきたいと思う。↓

「本来の意味での楽天性とは、人間の暗部にも目が行き届き、そのうえでなお、肯定的に人生を生きることをいうのだろう」(山田太一)

人間の暗部、私の場合は己の自殺願望に目を行き届け、そのうえでなお、肯定的に人生を生きるということ。難しそうだが、今日からチャレンジしたい。

もしかすると、自己の内宇宙を探求したり、他者のいやなところを観察し「それも人間だよね」と達観する「肯定的な人生」こそが、真に人生を楽しくすると山田太一さんは言いたいのではないか。わざわざガイドブックに書いてある「楽しい観光地」に行かずとも、自分の足元を見つめ直すだけで楽しい人生は充分送れますよ、という。青い鳥じゃないが。でも、何百年も前の人なんか自分が生まれた村や町で一生を終えていたわけでしょ。


さて、最後の文章は少し長いです。私からのコメントはありません。言いたいことは全部語りつくされているので、引用だけですませます。

ちなみに、著者の高史明は在日朝鮮人二世で日本語しか喋れず、逆に父親は朝鮮語しか話せない。そんな家庭に育った人の手記です。


「私が自分を朝鮮人というからには朝鮮語の語法と語感をしっかりと身につけていないとならないわけだが、この私にはごくわずかな単語しかないのである。この私が果たして朝鮮人といえるであろうか。
(中略)
私は嘘つきだ。なぜなら、私は朝鮮人であるにもかかわらず、日本語で考えているからである。私は朝鮮人に対しても日本人に対しても嘘つき的存在である。
(中略)
おそらく手探りの歩みが文学に引き寄せられていったのも、私のこの状況のせいであろう。現実の世界では虚偽を刻印されるほかない私の言葉だが、虚構の世界では真実を獲得できるのだ。文学だけが、私が自己を偽ることなく生きることのできる世界である。
(中略)
私は永久に私の中では完全には回復させることのできない私の朝鮮を求め続けて、この日本で野垂れ死にすることになるだろう。これは地獄落ちである。だが、この地獄落ちを通して私は、植民地というものがどういうものであるかを明らかにし、自分の回復希望をつかみなおし、燃やし続けて、可能な限り普遍的なものに近づいていきたいのである。これが結論だ」(高史明)

 



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