頭木弘樹さんの『絶望読書』(河出文庫)がとても面白かったので、『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫)も読んでみました。いちいち胸に響きますね。

日本では全集本にしか入ってない日記や手紙や断片などなので、こういうのを文庫本で気軽に読めるようにしてくださった頭木さんには感謝しかありません。読みも深いですし。

カフカの「愚痴」ばかりが収められたこの本のどこがそんなに心に響いたか。ひとつひとつ詳らかにしていきましょう。


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その前に、頭木さんが「あとがき」に書いてあったことを引用しておきます。でないと、この記事が最後まで読んでもらえないかもしれないので。

「いまはポジティブになろう!」というメッセージが世の中に氾濫しています。
歌も小説も映画も。
有名人も、そういう発言をします。
ポジティブ信仰に圧倒されている人も少なくないでしょう。

私も圧倒されている一人です。もうやめてしまったけれど、ツイッターで愚痴ばかり書くとフォロワーが減ります。愚痴も含め、泣き言や世迷い言など、ネガティブなことはみんな聞きたくないらしい。

でも、絶望したときや何となく気持ちが沈んでいるときには、カフカのようなネガティブ発言が大いに助けになってくれると頭木さんは言います。

では、実際にどんな愚痴、泣き言なのでしょうか。


①「倒れたままでいること」
将来に向って歩くことは、僕にはできません。
将来に向ってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。


恋人にあてた手紙です。そこにこんなことを書くとは。しかし恋人のフェリーツェはこんなネガティブなことを書いて寄越すカフカを憎からず思っていたとか。結局2回婚約して2回とも破棄してしまったので結婚には至らなかったらしいですが。

私はいま、病気のため臥せっていることが多いです。薬の副作用で朝からとても眠く、「いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」というのは、胸に迫ると同時に、笑ってしまうのです。

自分のことがネガティブに書かれているのに笑ってしまう。笑うためには客観的にならないといけません。愚痴や泣き言には、同じ境遇にある人を客観的にさせる力があるようです。


⑫「ここより他の場所」
死にたいという願望がある。
そういうとき、この人生は耐えがたく、
別の人生は手が届かないように見える。
いやでたまらない古い独房から、
いずれいやになるに決まっている、新しい独房へ、
何とか移してほしいと懇願する。


カフカは自殺を図ったことはないらしいですが、死にたいとはずっと思っていたようです。私は一度自殺を図りました。あれが「古い独房から新しい独房へ移してもらっただけの体験だった」とは、なかなか言い得て妙です。

しかしながら、頭木さんの解説を読むと、「古い独房か新しい独房かの違いしかないのです。つまり、死を考えてみても仕方ないということです」などと書いてあって、「ネガティブなことが大事」という編者にしてはずいぶんとポジティブというか前向きなことを言うなぁ、とすごく違和感を覚えました。


⑲「散歩をしただけで、疲れて三日間何もできない」
ちょっと散歩をしただけで、
ほとんど三日間というもの、
疲れのために何もできませんでした。


いまの私がこれ。映画に行ったりするともうその日は何もできないし、下手すると翌日も一日寝こんでしまう。何とか体力をつけたいけど、しばらく前に比べると夜寝る時間が前倒しになってる。8時には寝ますから。

まぁ、散歩をしただけで疲れて三日間何もできないというのは、いくら何でも体力なさすぎだとは思いますが。(笑)


⑳「強さはなく、弱さはある」
僕は人生に必要な能力を、
何ひとつ備えておらず、
ただ、人間的な弱みしかもっていない。


弱さこそ力だ。何て思ってたんですかね。私は思わないしカフカも思ってなかったでしょう。

少なくとも、人のうえに立つ人は、弱さを自覚する人であってほしいと思います。


㉓「死なないために生きるむなしさ」
僕の人生は、
自殺したいという願望を払いのけることだけに、
費やされてしまった。


これも刺さるなぁ。まだ私の人生は終わってないけど、死ぬときに同じことを思うのかもしれない。


㉕「自分を信じて、磨かない」
幸福になるための、完璧な方法がひとつだけある。
それは、
自己の中にある確固たるものを信じ、
しかもそれを磨くための努力をしないことである。


うーん、これは耳に痛いです。が……

頭木さんによれば、こういう心理を「セルフ・ハンディキャッピング」というそうです。試験勉強をしないといけないのについ部屋の片づけとか勉強以外のことをしてしまう。なぁんだ、私にだけ当てはまるのかと思ったら100%誰にでも当てはまることじゃないですか。ホッとしたようなさびしいような。

さて、カフカの断片的な言葉には「父への手紙」というものがあり、ドイツ語で75ページくらいの「大作」だとか。支配的な父親との葛藤に苦しんだカフカの愚痴には自分自身のことを言い当てられたような鋭さがあります。私もエディプス・コンプレックスの持ち主なので。他人事ではない。


㉘「巨人としての父親」
お父さんは、もたれ椅子に座ったまま、世界を支配しました。
お父さんの意見が絶対に正しく、
他はすべて、
狂った、突飛な、とんでもない、正常でない意見ということになりました。
しかも絶大な自信をお持ちのあなたは、
必ずしも意見が首尾一貫していなくてもいいのです。
それでいて、意見の正しさを主張して譲りません。
(中略)
僕にとってお父さんは、
すべての暴君が持っている謎めいたものを帯びていました。


これは何とも私と亡父の関係そのまんまではないか。と笑ってしまった。笑えるほどに、自分をあの男との関係を相対化できてるみたい。


㉞「やさしい母親は、おそろしい父親の手下にすぎない」
お母さんが僕にとてもやさしかったことは事実です。
しかし、お母さんのすることは、すべてあなたに関係していたため、
結局は、僕とお母さんも良好な関係にあるとは言えませんでした。
お母さんも、無意識のうちに、狩猟における勢子の役割を果たしたのです。


これ、父が生きてたときはずっと思ってたなぁ。いまや懐かしい。いまの母には何も思っていませんよ。母も母なりにつらかったのだろう、と。

エディプス・コンプレックスに悩んだ私もだいぶ自分自身を客観視できるようになったのかしら、と思ったけど、↓このような↓文章を読むと、途端に胸が苦しくなる。


㉙「まったく噛み合わない価値観」
お父さんと僕は、求めるものがまるで違っています。
僕の心を激しくとらえることが、
あなたには気にもとまらず、
また逆の場合もあります。
あなたにとっては罪のないことが、僕には罪と見え、
これも逆の場合があります。
そして、あなたにとっては何の苦にもならぬことが、
僕の棺桶の蓋となりうるのです。


亡父に口汚くののしられて自殺を図った日のことが思い出されます。この苦しさはおそらくこの世を去る日まで消えないのでしょうな。

ちなみに、36歳のときに書かれたこの「父への手紙」は、ついにお父さんの手に渡らなかったそうです。母親が先に手にして見せなかったとか。それもすべて予想して部屋に置いておいたんでしょうか。お父さんが読まなくてほんとよかったと思う。

少なくとも私ならあんな暴君にこんな手紙は絶対に書きません! 


71「嫌がっても迫ってくる、受け入れがたい真実」
避けようとして後ずさりする、しかめっ面に、
それでも照りつける光。
それこそが真実だ。他にはない。


20歳の頃、寝る前に一編の詩を書くのが習慣だったんですが、こんな詩を書いたことがあります。「真実とは、どす黒い負の中心だ」みたいなこと。「本当の試金石はどす黒い色をしているとどれだけの人が知っていようか!」なんて高らかに他人を排撃する内容だったっけ。


84「骨折という美しい体験」
いつだったか足を骨折したことがある。
生涯でもっとも美しい体験であった。


手の指先を骨折したことがありますが、あんな痛い経験が「美しい」だなんてとても思えない。

しかし、「詩」としては骨折が美しいと言われてもわかるというか、そういうのが詩だと思うし。でも、だからといって、自分がこんな言葉を書き残せるだろかと思うと、まったく心もとない。


カフカと頭木弘樹に完敗! いや乾杯!


絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)
フランツ カフカ
新潮社
2014-10-28



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