昨日の「池上彰のニュースそうだったのか‼」を見て、映画の見方について、えっと驚く意見を聞きました。
倍速視聴なら聞いたことありましたが、今度は「ネタバレ視聴」ですって。つまり、結末をあらかじめ見てから見るそうです。でないと安心できないとか。
またそんな人たちが現れたのか、と暗澹たる気持ちになりましたね。私なんかこのブログで感想を書くとき、いつも「以下ネタバレあり」と注意書きしないと怖いくらいなのに。
インタビューを受けていた人たちの意見のひとつは、
「私、ホラー系が好きなんですよ。でもハラハラドキドキするのは苦手なんで、そうじゃない結末のものかどうかを確かめてから見ます」
うーん、ハラハラドキドキというのは結末だけに存在するものじゃないんですけどね。
それ以上に違和感を覚えるのは、「ホラー系が好き」と言いながら「ハラハラドキドキするのが苦手」と言っているところですね。ハラハラドキドキが苦手なら普通ホラーは見ないんじゃないですか?
去年、倍速視聴する人たちのことを詳らかにした『映画を早送りで観る人たち』に書かれていたことを思い出しました。最近の若者って自分が面白がりたいからじゃなくて、仲間たちの話題に乗りたいから映画を見るって。で、相当数見てないと乗り遅れるから倍速視聴しないと間に合わないと。
倍速視聴のことはここでは措くとして、ハラハラドキドキが苦手なのにホラーが好きという女性は、おそらく仲間にホラー好きが多いのでしょう。それで見てる。
話題に乗り遅れたくないという気持ちはわからなくはないけど、せっかくの趣味の時間を他人に合わせるために費やすのはそれこそコスパ・タイパが悪いってことじゃないの? もったいない!
もうひとつの意見は、
「ハッピーエンドが好きなんで、バッドエンドかどうかを確かめてから見るようにしています」
これももったいない!
私はかつてこの人とは逆で、とってつけたようなハッピーエンドが大嫌いでした。『プリティ・ウーマン』みたいな。でも、歳を取るにつれてああいう映画も好きになってきました。「自分が変化した」ということです。
この女性は未来永劫「いまの自分」のままでいたいんでしょうが、それは本当にもったいない。いろんなタイプの映画を見て、バッドエンドも悪くないな、と変わる契機を自ら放棄している。別にそんな契機なんていらねーよ! というんでしょうけど、本当にもったいない。
つまり、新しい体験をしたくないということなんですよね。自分はいまのまま変わらなくていいと。
映画の好みにおいて変わらなくても、生きていれば少しずつではあれ変わっていくもので(食べ物の好みが変わるとか)以前と変わった自分と遭遇したとき、彼らはどうするんでしょうね? そんな自分は自分じゃないと放棄して前と同じ自分を取り戻そうとするのでしょうか。
ナンセンス!
あまりにネタバレを恐れる人たちと、ネタバレを見ないと不安という人たちに二極化しているような印象。私みたいな中間層が一番多いと信じたいけど、どうなんでしょうね。
関連記事
『映画を早送りで観る人たち』感想(変化を恐れる傲岸不遜)
倍速視聴なら聞いたことありましたが、今度は「ネタバレ視聴」ですって。つまり、結末をあらかじめ見てから見るそうです。でないと安心できないとか。
またそんな人たちが現れたのか、と暗澹たる気持ちになりましたね。私なんかこのブログで感想を書くとき、いつも「以下ネタバレあり」と注意書きしないと怖いくらいなのに。
インタビューを受けていた人たちの意見のひとつは、
「私、ホラー系が好きなんですよ。でもハラハラドキドキするのは苦手なんで、そうじゃない結末のものかどうかを確かめてから見ます」
うーん、ハラハラドキドキというのは結末だけに存在するものじゃないんですけどね。
それ以上に違和感を覚えるのは、「ホラー系が好き」と言いながら「ハラハラドキドキするのが苦手」と言っているところですね。ハラハラドキドキが苦手なら普通ホラーは見ないんじゃないですか?
去年、倍速視聴する人たちのことを詳らかにした『映画を早送りで観る人たち』に書かれていたことを思い出しました。最近の若者って自分が面白がりたいからじゃなくて、仲間たちの話題に乗りたいから映画を見るって。で、相当数見てないと乗り遅れるから倍速視聴しないと間に合わないと。
倍速視聴のことはここでは措くとして、ハラハラドキドキが苦手なのにホラーが好きという女性は、おそらく仲間にホラー好きが多いのでしょう。それで見てる。
話題に乗り遅れたくないという気持ちはわからなくはないけど、せっかくの趣味の時間を他人に合わせるために費やすのはそれこそコスパ・タイパが悪いってことじゃないの? もったいない!
もうひとつの意見は、
「ハッピーエンドが好きなんで、バッドエンドかどうかを確かめてから見るようにしています」
これももったいない!
私はかつてこの人とは逆で、とってつけたようなハッピーエンドが大嫌いでした。『プリティ・ウーマン』みたいな。でも、歳を取るにつれてああいう映画も好きになってきました。「自分が変化した」ということです。
この女性は未来永劫「いまの自分」のままでいたいんでしょうが、それは本当にもったいない。いろんなタイプの映画を見て、バッドエンドも悪くないな、と変わる契機を自ら放棄している。別にそんな契機なんていらねーよ! というんでしょうけど、本当にもったいない。
つまり、新しい体験をしたくないということなんですよね。自分はいまのまま変わらなくていいと。
映画の好みにおいて変わらなくても、生きていれば少しずつではあれ変わっていくもので(食べ物の好みが変わるとか)以前と変わった自分と遭遇したとき、彼らはどうするんでしょうね? そんな自分は自分じゃないと放棄して前と同じ自分を取り戻そうとするのでしょうか。
ナンセンス!
あまりにネタバレを恐れる人たちと、ネタバレを見ないと不安という人たちに二極化しているような印象。私みたいな中間層が一番多いと信じたいけど、どうなんでしょうね。
関連記事
『映画を早送りで観る人たち』感想(変化を恐れる傲岸不遜)
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。