2011年の大ヒット・テレビドラマ『家政婦のミタ』を再見しました。再見といっても細かいところはまったく憶えてないので、初見に近いです。(以下ネタバレあり)

『家政婦のミタ』で重要なのは主人公は誰か、ですよね。
え? そんなの松嶋菜々子に決まってるじゃないかって? そうでしょうか。
タイトルロールを演じるのが主役だなんて決まってませんし、実際、4話まで見た私は長谷川博己か松嶋菜々子か、どちらが主役かよくわかりません。(ちなみに、いまの私は4話までのことしかわかりません。結末もミタが笑うことしか憶えていません)
例えば、『レインマン』の主役がトム・クルーズなのは見始めてすぐにわかりますが、『ゴッドファーザー』の主役がアル・パチーノであることは後半に至らないとわかりません。
『家政婦のミタ』もその例と同じく、少なくとも彼女の過去が明かされる後半に至らないと主役かどうかは判然としない。そういう構造になっています。

ミタと長谷川博己は共同で物語を動かしていきます。
まず、子どもたちの母親、つまり長谷川博己の妻が死んだのは彼の浮気が原因ですし、彼の父親らしからぬ情けない言動が子どもたちを家出などの行動に走らせ、物語を暴走させます。
ミタはミタで、「言われたら殺人すら辞さない」という心をなくしたロボットのように、忽那汐里の長女や本田望結の次女の「業務命令」を粛々と遂行し、家族を離散させます。
物語の中心にいるのは長谷川博己かミタ=松嶋菜々子か、それはまだわかりません。ミタについての物語のようにも思えるし、長谷川博己の物語にも見えます。
ただ、中心の「代替物」としてミタがやってきたことはまぎれもない事実です。
中心の代替物=「過剰物」としてのミタ

私が脚本の学校で恩師から学んだ大切な考え方として、「過剰プロット」と「喪失プロット」というものがあります。
過剰プロットとは、例えば未来から来た猫型ロボットが様々な未来の道具を出してお話を動かしていく『ドラえもん』や、モノリスという謎の石板によって物語が動いていく『2001年宇宙の旅』などがあります。それまで存在しなかったものが過剰物として物語を駆動します。
逆に、喪失プロットというのは、何かを失うことで駆動される物語のことです。拳銃を盗まれたところから始まる『野良犬』がそうだし、復讐もの、誘拐ものなどはすべて喪失プロットです。
『家政婦のミタ』はどちらでしょうか?
子どもたちの母親が死ぬことで物語が駆動されていますから、明らかな喪失プロットです。しかし、ミタが過剰物として一家の家政婦としてやってくるところからお話が始まるのだから、過剰プロットでもあるのです。私の経験では、喪失プロットと過剰プロットの両方の性質をもつ物語のほうがどちらか一方だけよりずっと面白い傾向があります。『家政婦のミタ』もだからめっちゃ面白いのでしょうね。
さて、まずこの『家政婦のミタ』を考察するにあたって避けて通れないのは、第1話が開巻したときにはすでに死亡している長谷川博己の妻でしょう。彼女はまったく無名の女優さんが演じていますが、一番大事といってもいい人物です。
デキ婚で無理やり長谷川博己と結婚したようですが、もともと結婚に乗り気じゃなかった彼に不倫という形で裏切られ、彼に心底惚れていた彼女は、「あなたに捨てられるくらいな、私は死にます」との言葉を遺して死んでしまう。
料理など家事全般をうまくこなしていたようで、子どもたちからの信頼も厚かったらしい彼女が死ぬことで『家政婦のミタ』は幕を開ける。
そこに母親の代わりとしてミタが来ます。母親よりも料理がうまく、家事だけでなく曲芸なども何でもこなすし、芸能関係やアニメなど子どもたちが好きな情報にも精通している。それどころか「言われたら殺人さえ辞さない」という特有のキャラクターもある。
母親を喪失し、それを上回るミタが来る。『ゴッドファーザー』とは逆です。
あの名作映画では、マーロン・ブランド演じるドン・コルレオーネが撃たれたことにより物語のメインストリームから退場し、代わりにメインストリームに登場したアル・パチーノが新しいドン・コルレオーネの座に収まります。
しかし同じドン・コルレオーネでも、父ヴィトーの器があまりに大きく、卑小な息子マイケルではその埋め合わせができなかったため悲劇が起こります。

『家政婦のミタ』は失われた母親の代わりにミタが来ますが、ミタは母親よりもあらゆる意味において巨大なのです。埋め合わせをしすぎて周囲を混乱に陥れます。
失われた母親と、過剰物として現れたミタによって長谷川博己とその子どもたちは振り回されます。
ここで大事なのは、失われた母親の穴を埋めようとする人物がすでに存在していたという事実です。

母親の妹で、子どもたちの叔母である相武紗季。
彼女は教師をやっているわりにはあまりに落ち着きがなく、粗相ばかりしている。母親の穴埋めをしようとしても料理もまずく失敗ばかりで少しもそれができない。彼女もまた長谷川博己に惚れているようですが、彼への思慕の念と子どもたちがかわいいという思いから世話を焼くけど、すべてが空回りして嫌われるばかり。
まず、母親が死に、妹の相武紗季が母の座を埋め合わそうとするがうまくいかず、今度はミタが現れて家族を離散させる。
おそらく、『家政婦のミタ』は、死んだ母親と、相武紗季、ミタ、この3人の女の物語といっていいんじゃないかと思います。相武紗季が最後のほうで何をするのかまったく憶えてないのでアレですけど。
母親を頂点とする女の三角形があり、その中心に長谷川博己がいる。
はたして主役は長谷川博己なのか、それとも松嶋菜々子なのか。それはまだわかりません。
それはそうと……
長谷川博己=ダメ男の真骨頂

とにかく最初からどんどんダメになるばかりの長谷川博己はダメ男の真骨頂ですね。しかし女にモテる。いや、ダメな奴だからモテるのか。死んだ奥さんはたいした美人じゃないが、相武紗季にも好かれ、野波麻帆とも不倫してたってモテすぎだろう! 打首獄門ノ刑ニ処ス!
思わず力が入ってしまいましたが、この父親が実に面白い。4話では誘拐騒動を引き起こした本田望結をきつく叱って父親の威厳を見せます。自分の意見を決して言わないことにしているミタが思わず「子どもが悪いことをしたら叱るのが父親の務めです」と言ってしまうくらい見事な叱りっぷりでした。
が、そのときに、「私たちのこと好き?」と聞かれた長谷川博己は何と「わからないんだ」と正直に吐露します。いや、それは絶対言ってはいけない一言では? と思うけれど、ああいう隙のあるところがモテるのかしら。放っとけない、みたいな。わからん。
でも、あまりに父親失格な奴ですが憎めないんですよね。それは人間誰しもあの男のような「情けなさ」をもっているからだ。というのが脚本を書いた遊川和彦さんの思想なのでしょうね。相武紗季だって当の長谷川博己に「いつも愛だ勇気だ希望だみたいなこと言ってて、生徒たちにバカにされてない?」と言われてたけど、この作品の大人たちはみんな子どもじみている。子どもたちも子どもっぽい。人間なんてみんな子ども? ミタだけ大人?
あと7話しかないのが悲しいですが、楽しんで見てみようと思います。
続きの記事
『家政婦のミタ』考察②(運命としての家族)
関連記事
過剰プロットと喪失プロット①「ハイ・コンセプト」とは何か
過剰プロットと喪失プロット②両者を併せ持つ傑作群
『ゴッドファーザー』考察(父親を乗り越えられなかった息子の悲劇)

『家政婦のミタ』で重要なのは主人公は誰か、ですよね。
え? そんなの松嶋菜々子に決まってるじゃないかって? そうでしょうか。
タイトルロールを演じるのが主役だなんて決まってませんし、実際、4話まで見た私は長谷川博己か松嶋菜々子か、どちらが主役かよくわかりません。(ちなみに、いまの私は4話までのことしかわかりません。結末もミタが笑うことしか憶えていません)
例えば、『レインマン』の主役がトム・クルーズなのは見始めてすぐにわかりますが、『ゴッドファーザー』の主役がアル・パチーノであることは後半に至らないとわかりません。
『家政婦のミタ』もその例と同じく、少なくとも彼女の過去が明かされる後半に至らないと主役かどうかは判然としない。そういう構造になっています。

ミタと長谷川博己は共同で物語を動かしていきます。
まず、子どもたちの母親、つまり長谷川博己の妻が死んだのは彼の浮気が原因ですし、彼の父親らしからぬ情けない言動が子どもたちを家出などの行動に走らせ、物語を暴走させます。
ミタはミタで、「言われたら殺人すら辞さない」という心をなくしたロボットのように、忽那汐里の長女や本田望結の次女の「業務命令」を粛々と遂行し、家族を離散させます。
物語の中心にいるのは長谷川博己かミタ=松嶋菜々子か、それはまだわかりません。ミタについての物語のようにも思えるし、長谷川博己の物語にも見えます。
ただ、中心の「代替物」としてミタがやってきたことはまぎれもない事実です。
中心の代替物=「過剰物」としてのミタ

私が脚本の学校で恩師から学んだ大切な考え方として、「過剰プロット」と「喪失プロット」というものがあります。
過剰プロットとは、例えば未来から来た猫型ロボットが様々な未来の道具を出してお話を動かしていく『ドラえもん』や、モノリスという謎の石板によって物語が動いていく『2001年宇宙の旅』などがあります。それまで存在しなかったものが過剰物として物語を駆動します。
逆に、喪失プロットというのは、何かを失うことで駆動される物語のことです。拳銃を盗まれたところから始まる『野良犬』がそうだし、復讐もの、誘拐ものなどはすべて喪失プロットです。
『家政婦のミタ』はどちらでしょうか?
子どもたちの母親が死ぬことで物語が駆動されていますから、明らかな喪失プロットです。しかし、ミタが過剰物として一家の家政婦としてやってくるところからお話が始まるのだから、過剰プロットでもあるのです。私の経験では、喪失プロットと過剰プロットの両方の性質をもつ物語のほうがどちらか一方だけよりずっと面白い傾向があります。『家政婦のミタ』もだからめっちゃ面白いのでしょうね。
さて、まずこの『家政婦のミタ』を考察するにあたって避けて通れないのは、第1話が開巻したときにはすでに死亡している長谷川博己の妻でしょう。彼女はまったく無名の女優さんが演じていますが、一番大事といってもいい人物です。
デキ婚で無理やり長谷川博己と結婚したようですが、もともと結婚に乗り気じゃなかった彼に不倫という形で裏切られ、彼に心底惚れていた彼女は、「あなたに捨てられるくらいな、私は死にます」との言葉を遺して死んでしまう。
料理など家事全般をうまくこなしていたようで、子どもたちからの信頼も厚かったらしい彼女が死ぬことで『家政婦のミタ』は幕を開ける。
そこに母親の代わりとしてミタが来ます。母親よりも料理がうまく、家事だけでなく曲芸なども何でもこなすし、芸能関係やアニメなど子どもたちが好きな情報にも精通している。それどころか「言われたら殺人さえ辞さない」という特有のキャラクターもある。
母親を喪失し、それを上回るミタが来る。『ゴッドファーザー』とは逆です。
あの名作映画では、マーロン・ブランド演じるドン・コルレオーネが撃たれたことにより物語のメインストリームから退場し、代わりにメインストリームに登場したアル・パチーノが新しいドン・コルレオーネの座に収まります。
しかし同じドン・コルレオーネでも、父ヴィトーの器があまりに大きく、卑小な息子マイケルではその埋め合わせができなかったため悲劇が起こります。

『家政婦のミタ』は失われた母親の代わりにミタが来ますが、ミタは母親よりもあらゆる意味において巨大なのです。埋め合わせをしすぎて周囲を混乱に陥れます。
失われた母親と、過剰物として現れたミタによって長谷川博己とその子どもたちは振り回されます。
ここで大事なのは、失われた母親の穴を埋めようとする人物がすでに存在していたという事実です。

母親の妹で、子どもたちの叔母である相武紗季。
彼女は教師をやっているわりにはあまりに落ち着きがなく、粗相ばかりしている。母親の穴埋めをしようとしても料理もまずく失敗ばかりで少しもそれができない。彼女もまた長谷川博己に惚れているようですが、彼への思慕の念と子どもたちがかわいいという思いから世話を焼くけど、すべてが空回りして嫌われるばかり。
まず、母親が死に、妹の相武紗季が母の座を埋め合わそうとするがうまくいかず、今度はミタが現れて家族を離散させる。
おそらく、『家政婦のミタ』は、死んだ母親と、相武紗季、ミタ、この3人の女の物語といっていいんじゃないかと思います。相武紗季が最後のほうで何をするのかまったく憶えてないのでアレですけど。
母親を頂点とする女の三角形があり、その中心に長谷川博己がいる。
はたして主役は長谷川博己なのか、それとも松嶋菜々子なのか。それはまだわかりません。
それはそうと……
長谷川博己=ダメ男の真骨頂

とにかく最初からどんどんダメになるばかりの長谷川博己はダメ男の真骨頂ですね。しかし女にモテる。いや、ダメな奴だからモテるのか。死んだ奥さんはたいした美人じゃないが、相武紗季にも好かれ、野波麻帆とも不倫してたってモテすぎだろう! 打首獄門ノ刑ニ処ス!
思わず力が入ってしまいましたが、この父親が実に面白い。4話では誘拐騒動を引き起こした本田望結をきつく叱って父親の威厳を見せます。自分の意見を決して言わないことにしているミタが思わず「子どもが悪いことをしたら叱るのが父親の務めです」と言ってしまうくらい見事な叱りっぷりでした。
が、そのときに、「私たちのこと好き?」と聞かれた長谷川博己は何と「わからないんだ」と正直に吐露します。いや、それは絶対言ってはいけない一言では? と思うけれど、ああいう隙のあるところがモテるのかしら。放っとけない、みたいな。わからん。
でも、あまりに父親失格な奴ですが憎めないんですよね。それは人間誰しもあの男のような「情けなさ」をもっているからだ。というのが脚本を書いた遊川和彦さんの思想なのでしょうね。相武紗季だって当の長谷川博己に「いつも愛だ勇気だ希望だみたいなこと言ってて、生徒たちにバカにされてない?」と言われてたけど、この作品の大人たちはみんな子どもじみている。子どもたちも子どもっぽい。人間なんてみんな子ども? ミタだけ大人?
あと7話しかないのが悲しいですが、楽しんで見てみようと思います。
続きの記事
『家政婦のミタ』考察②(運命としての家族)
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過剰プロットと喪失プロット②両者を併せ持つ傑作群
『ゴッドファーザー』考察(父親を乗り越えられなかった息子の悲劇)

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