「俳優なんてしょせんは河原乞食じゃないか」
死んだ父はスキャンダルを起こして問題になった俳優がテレビに映ると、画面に向ってそう怒鳴っていた。
私はそのころ脚本化を目指しており、脚本家だって「芸能民」の一人であり、息子が河原乞食を目指していることをこの人はわかって言っているのだろうかといつも訝しんでいた。
なべおさみが著した『やくざと芸能界』は、イザヤ・ベンダサンに代表される日猶同祖論に毒されているところもあって正直鼻白んでしまうのだが、非人頭の浅草弾左衛門や吉原の遊女に関しての記述はほぼ史実通りと思われて好もしい。
最初のほうの渡辺プロの社長とのあれやこれやとか、勝新や雷蔵とのあれやこれやにウソはないはずだし、だから、日猶同祖論以外は好ましく読みました。
でも、天皇の行幸のときはやくざたちが裏に回って天皇皇后を護っていたとか、どこまでほんとかは怪しいものの、やくざは杯を交わすときに「天照大御神」と書いた掛け軸を前にやるわけだし、天皇家を尊崇しているのは確かでしょう。穢多・非人が天皇と密接に結びついていたというのは、弾左衛門関係の本で学んだし、その末裔がやくざだというのにも説得力がある。(しかし、ここで「エタ」「ヒニン」と入力手しても「穢多」「非人」とすぐ出てくれないのがもどかしい。こんな言葉狩りをやって何の意味があるのか)
やくざを美化しすぎじゃないか、という謗りもあるのかもしれないが、暴対法のせいで地下深く潜伏せざるをえなくったやくざを少しくらい美化したっていいではないか、とも思う。
そういえば、脚本家の夢をあきらめて都落ちすることになったとき、友人たちが宴を催してくれた。その席で恩師の村井さだゆき先生から、
「神林くん、神戸に戻ってどうするの?」
と聞かれたとき、私はこう答えた。
「堅気に戻るんです」
友人の一人は、「そうか、堅気に戻るか」と、どういう意味でかは不明だけどウンウンうなずいていた。最後のあいさつで私は、
「みなさんは素敵なやくざのままでいてください」
と言った。河原乞食の誇りを忘れるなよ、という意味を込めたつもり。どれぐらいの人に正しく伝わったかはわからないが。
そう、私はやくざだった。やくざのつもりだった。いまでもそうだ。
周りから蔑まれ、邪魔者扱いされ、それでも、ここぞというときは役に立つ存在でありたいと願っている。
震災のとき、誰よりも早く被災者に物資を送り届けたのは山口組だったのはつとに有名である。
そういう存在でありたいと思っている。
夢破れて堅気に戻った。ことになっているが、わたしはやくざである。このような社会不適応者はやくざにしかなれない。ただ杯を交わしてないだけの話で、精神はやくざである。
私のような者のために、やくざ組織は必要なのである。最近は芸能界までコンプライアンスだの何だと普通の社会と同じように振る舞わなくてはならない。やくざとの付き合いは厳禁。
しかし、この『やくざと芸能界』にはやくざと有名芸能人との付き合いが書かれている。それが「筋」だと思う。差別されて生きながらえてきた者同士、親和性が高いのは当たり前であり、付き合いをご法度にするいまのご時世のほうが間違っているのだ。
私はやくざであることに誇りをもっている。こんなこと言ってもどれだけの人たちに通じるかわからないけど。
社会の隅に押しやられた人間に少しでも寄り添って生きていこうと思う。
蔑まれている人間にだって同じ人生があり、同じように苦しんでいるのだとあえて声高に叫んで生きていこうと思う。
決して堅気にならず、やくざのまま、残りの人生を生きていこうと思う。
死んだ父はスキャンダルを起こして問題になった俳優がテレビに映ると、画面に向ってそう怒鳴っていた。
私はそのころ脚本化を目指しており、脚本家だって「芸能民」の一人であり、息子が河原乞食を目指していることをこの人はわかって言っているのだろうかといつも訝しんでいた。
なべおさみが著した『やくざと芸能界』は、イザヤ・ベンダサンに代表される日猶同祖論に毒されているところもあって正直鼻白んでしまうのだが、非人頭の浅草弾左衛門や吉原の遊女に関しての記述はほぼ史実通りと思われて好もしい。
最初のほうの渡辺プロの社長とのあれやこれやとか、勝新や雷蔵とのあれやこれやにウソはないはずだし、だから、日猶同祖論以外は好ましく読みました。
でも、天皇の行幸のときはやくざたちが裏に回って天皇皇后を護っていたとか、どこまでほんとかは怪しいものの、やくざは杯を交わすときに「天照大御神」と書いた掛け軸を前にやるわけだし、天皇家を尊崇しているのは確かでしょう。穢多・非人が天皇と密接に結びついていたというのは、弾左衛門関係の本で学んだし、その末裔がやくざだというのにも説得力がある。(しかし、ここで「エタ」「ヒニン」と入力手しても「穢多」「非人」とすぐ出てくれないのがもどかしい。こんな言葉狩りをやって何の意味があるのか)
やくざを美化しすぎじゃないか、という謗りもあるのかもしれないが、暴対法のせいで地下深く潜伏せざるをえなくったやくざを少しくらい美化したっていいではないか、とも思う。
そういえば、脚本家の夢をあきらめて都落ちすることになったとき、友人たちが宴を催してくれた。その席で恩師の村井さだゆき先生から、
「神林くん、神戸に戻ってどうするの?」
と聞かれたとき、私はこう答えた。
「堅気に戻るんです」
友人の一人は、「そうか、堅気に戻るか」と、どういう意味でかは不明だけどウンウンうなずいていた。最後のあいさつで私は、
「みなさんは素敵なやくざのままでいてください」
と言った。河原乞食の誇りを忘れるなよ、という意味を込めたつもり。どれぐらいの人に正しく伝わったかはわからないが。
そう、私はやくざだった。やくざのつもりだった。いまでもそうだ。
周りから蔑まれ、邪魔者扱いされ、それでも、ここぞというときは役に立つ存在でありたいと願っている。
震災のとき、誰よりも早く被災者に物資を送り届けたのは山口組だったのはつとに有名である。
そういう存在でありたいと思っている。
夢破れて堅気に戻った。ことになっているが、わたしはやくざである。このような社会不適応者はやくざにしかなれない。ただ杯を交わしてないだけの話で、精神はやくざである。
私のような者のために、やくざ組織は必要なのである。最近は芸能界までコンプライアンスだの何だと普通の社会と同じように振る舞わなくてはならない。やくざとの付き合いは厳禁。
しかし、この『やくざと芸能界』にはやくざと有名芸能人との付き合いが書かれている。それが「筋」だと思う。差別されて生きながらえてきた者同士、親和性が高いのは当たり前であり、付き合いをご法度にするいまのご時世のほうが間違っているのだ。
私はやくざであることに誇りをもっている。こんなこと言ってもどれだけの人たちに通じるかわからないけど。
社会の隅に押しやられた人間に少しでも寄り添って生きていこうと思う。
蔑まれている人間にだって同じ人生があり、同じように苦しんでいるのだとあえて声高に叫んで生きていこうと思う。
決して堅気にならず、やくざのまま、残りの人生を生きていこうと思う。
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