日テレ系列で放送されている金子茂樹さんの最新作『コタツがない家』がとても面白い。その面白さの秘密に迫ってみたいと思います。
『コタツがない家』(2023、日本テレビ)
脚本:金子茂樹
出演:小池栄子、吉岡秀隆、作間龍斗、小林薫、北村一輝、ホラン千秋、高橋惠子
それぞれの役割
夫:売れない漫画家で11年半ぶりの新作をやるといいながらやめてしまった吉岡秀隆。
父:エリートサラリーマンだったが、投資話に引っかかって全財産を失い、主人公宅に転がり込んできた小林薫。
息子:アイドルオーディションを受けて落ちて不登校。それが治っても推薦を受けた大学を自ら落ちる愚を犯す作間龍斗。
妻:彼ら三人に振り回されながらも、温かく彼らを包む心優しき妻であり母であり娘の小池栄子。
上記のように、まともなのは小池栄子だけで、あとはダメで戦力外な男たち。
この『コタツがない家』では、そんなダメ男たちの「夫=父」「父=舅」「息子=孫」という立ち位置から来る「言い分」に彼らなりの理がある、そこが面白いところだと思います。
理がある? あんな男どものどこに理があるのか!?
と言いたい向きもありましょうが、理というのは、あくまでも彼らなりの理です。客観的な理ではなく主観で見た理です。ウクライナを侵略したロシアにも、パレスチナを攻撃するイスラエルにも、彼らなりの「主観の理」は存在します。それに納得が行くか行かないかはその人次第ですが。
男たちのコード
ウクライナは第二次世界大戦で、不俱戴天の仇、ロシアと敵対するナチスドイツに協力しました。ナチスに協力するとは何事かとロシアはいまでもウクライナを恨んでいる。それが今回の戦争の背景にあります。
私は記号学で脚本の書き方を学んだ者ですが、ロシアにはロシアのコード(記号)があり、それは「ウクライナを絶対許さない」というものです。ウクライナはロシアのせいで国を失った歴史もあり、だからウクライナのコードは「ロシアを絶対許さない」です。ロシアにはロシアの言い分があり、ウクライナにはウクライナの言い分がある。
この『コタツがない家』にも各人物にコード(言い分)があり、それはここでいうなら「理」に相当します。「真実」と言ってもいいかもしれない。
吉岡秀隆のコード
小池栄子にとってはダメな夫で、作間龍斗にとってはダメな父親でも、彼はまずマンガ家として理があります。
先週の3話では、編集者・北村一輝の計らいで、舅・小林薫との同居生活を描いてみることに決まりながら、土壇場で反故にしてしまう。描いてみたら面白くなかった。そんなものは書きたくないという。
真っ当ですね。面白くないものを書きたいと思う作家は作家ではない。彼はダメ人間かもしれないが、マンガ家としては筋を通しています。
あと、息子に対する態度ね。たまに反抗的な態度を取る作間龍斗に対し、何も言えなかったり、あるいは同じ土俵に立ってしまっていたときもあったけど、昨日の4話では、「大学に行かない」と突然仰天発言をした息子を本気で気遣っていました。ダメ父と言われるのは「稼ぐのは男の役割」という旧弊のせいで(小林薫がその旧弊を体現しています)「父親」としては至極真っ当です。
昨日の4話では、息子からひどいことを言われた小池栄子をやさしく慰める場面があり、「夫」としてもまっとうな面をもっています。
というように、吉岡秀隆はダメなところのほうが多いけど、筋を通すところは通す真っ当さがあります。つまり、「父」「夫」「マンガ家」というコードをちゃんとまっとうしているのです。
小林薫のコード
小池栄子の父・小林薫は、「舅」「父」というコードを背負っています。
「父」としては娘を気遣い、「舅」としては娘の旦那がだらしないのを厳しく叱責する。ちゃんと「父」と「舅」のコードをまっとうしています。
かといって、吉岡秀隆の生活を事細かにメモして小池栄子に渡したりするなど、ちょいと子どもじみているところもある。そこがみんなの反感を買うのでしょうが、それはフィクションとして面白くするための性格づけでしょう。欠点がないと面白くならないから。
あと、高橋惠子の「夫」としてのコードは、これまた吉岡秀隆の「夫」としてのコードと同じく、まっとうされているのかどうか、これから見ものですね。
作間龍斗のコード
彼は、「子」と「孫」のコードを背負ってますが、どちらも似たようなものです。言ってみれば「コドモ」ですね。
これまで「子」として、彼は吉岡秀隆やじいちゃんに悪態をついたりしていましたが、それはあくまで「子」「孫」のコードだった。
今回の4話で彼は「コドモ」のコードを全開にします。
これまでまったく非がないと思われていた小池栄子の隠された心の奥を言い当てます。臨床心理士・河合隼雄さんの言葉に「ウソは常備薬。真実は劇薬」がありますが、彼はあまりにはっきりと劇薬を用いてしまいます。
そして「大学に行かない」という。私も昔、進学校に行きながら大学に行かなかった。その理由はここでは言いませんが、作間龍斗は「大学に行ったって行かなくったって一緒」というもの。それはコドモの言い分ですぞ。なんたって高卒と大卒では就ける仕事が違う。なら私が後悔しているかと言われたらそれもちょっと違うのですがね。
彼の気になる振る舞いは同じクラスのマンガ家志望の女子に対しても表れます。自分が好きなその女の子の気持ちを確かめるために、わざと遠回りな会話をして……結果、振られる。いや、振られたのではない。相手は自分が振ったことを知らない。振られた彼だけが「失恋した」と思い込んでいる。
高校生のわりになかなか高度な失恋の仕方をする彼は「男」のコードも背負っていると思われます。吉岡秀隆と小林薫がもう盛りを過ぎた年齢なので、必然的に「男」は彼一人となる。
来週の5話では小林薫の「老いらくの恋」が描かれるらしい。おそらくそこでは、作間龍斗の「男」が浮かび上がる仕掛けになっているのでは。と睨んでいます。
ダメで情けない男たちばかりですが、自らを縛るコードにはとても忠実なのですね。つまり、「ちゃんとしている」。ただ単にダメな人だと愛着がわきませんよね。でも、『コタツがない家』の男たちはダメだけどちゃんとしているのです。そこが面白さの秘密かと。
とにかく楽しいテレビドラマで毎週水曜日が楽しみでしょうがありません。
続きの記事
万里江の離婚したくない理由にがっかり!(『コタツがない家』感想②)
関連記事
2023秋の新ドラマ・アニメあれやこれや(大豊作の後半戦!)
『コタツがない家』(2023、日本テレビ)
脚本:金子茂樹
出演:小池栄子、吉岡秀隆、作間龍斗、小林薫、北村一輝、ホラン千秋、高橋惠子
それぞれの役割
夫:売れない漫画家で11年半ぶりの新作をやるといいながらやめてしまった吉岡秀隆。
父:エリートサラリーマンだったが、投資話に引っかかって全財産を失い、主人公宅に転がり込んできた小林薫。
息子:アイドルオーディションを受けて落ちて不登校。それが治っても推薦を受けた大学を自ら落ちる愚を犯す作間龍斗。
妻:彼ら三人に振り回されながらも、温かく彼らを包む心優しき妻であり母であり娘の小池栄子。
上記のように、まともなのは小池栄子だけで、あとはダメで戦力外な男たち。
この『コタツがない家』では、そんなダメ男たちの「夫=父」「父=舅」「息子=孫」という立ち位置から来る「言い分」に彼らなりの理がある、そこが面白いところだと思います。
理がある? あんな男どものどこに理があるのか!?
と言いたい向きもありましょうが、理というのは、あくまでも彼らなりの理です。客観的な理ではなく主観で見た理です。ウクライナを侵略したロシアにも、パレスチナを攻撃するイスラエルにも、彼らなりの「主観の理」は存在します。それに納得が行くか行かないかはその人次第ですが。
男たちのコード
ウクライナは第二次世界大戦で、不俱戴天の仇、ロシアと敵対するナチスドイツに協力しました。ナチスに協力するとは何事かとロシアはいまでもウクライナを恨んでいる。それが今回の戦争の背景にあります。
私は記号学で脚本の書き方を学んだ者ですが、ロシアにはロシアのコード(記号)があり、それは「ウクライナを絶対許さない」というものです。ウクライナはロシアのせいで国を失った歴史もあり、だからウクライナのコードは「ロシアを絶対許さない」です。ロシアにはロシアの言い分があり、ウクライナにはウクライナの言い分がある。
この『コタツがない家』にも各人物にコード(言い分)があり、それはここでいうなら「理」に相当します。「真実」と言ってもいいかもしれない。
吉岡秀隆のコード
小池栄子にとってはダメな夫で、作間龍斗にとってはダメな父親でも、彼はまずマンガ家として理があります。
先週の3話では、編集者・北村一輝の計らいで、舅・小林薫との同居生活を描いてみることに決まりながら、土壇場で反故にしてしまう。描いてみたら面白くなかった。そんなものは書きたくないという。
真っ当ですね。面白くないものを書きたいと思う作家は作家ではない。彼はダメ人間かもしれないが、マンガ家としては筋を通しています。
あと、息子に対する態度ね。たまに反抗的な態度を取る作間龍斗に対し、何も言えなかったり、あるいは同じ土俵に立ってしまっていたときもあったけど、昨日の4話では、「大学に行かない」と突然仰天発言をした息子を本気で気遣っていました。ダメ父と言われるのは「稼ぐのは男の役割」という旧弊のせいで(小林薫がその旧弊を体現しています)「父親」としては至極真っ当です。
昨日の4話では、息子からひどいことを言われた小池栄子をやさしく慰める場面があり、「夫」としてもまっとうな面をもっています。
というように、吉岡秀隆はダメなところのほうが多いけど、筋を通すところは通す真っ当さがあります。つまり、「父」「夫」「マンガ家」というコードをちゃんとまっとうしているのです。
小林薫のコード
小池栄子の父・小林薫は、「舅」「父」というコードを背負っています。
「父」としては娘を気遣い、「舅」としては娘の旦那がだらしないのを厳しく叱責する。ちゃんと「父」と「舅」のコードをまっとうしています。
かといって、吉岡秀隆の生活を事細かにメモして小池栄子に渡したりするなど、ちょいと子どもじみているところもある。そこがみんなの反感を買うのでしょうが、それはフィクションとして面白くするための性格づけでしょう。欠点がないと面白くならないから。
あと、高橋惠子の「夫」としてのコードは、これまた吉岡秀隆の「夫」としてのコードと同じく、まっとうされているのかどうか、これから見ものですね。
作間龍斗のコード
彼は、「子」と「孫」のコードを背負ってますが、どちらも似たようなものです。言ってみれば「コドモ」ですね。
これまで「子」として、彼は吉岡秀隆やじいちゃんに悪態をついたりしていましたが、それはあくまで「子」「孫」のコードだった。
今回の4話で彼は「コドモ」のコードを全開にします。
これまでまったく非がないと思われていた小池栄子の隠された心の奥を言い当てます。臨床心理士・河合隼雄さんの言葉に「ウソは常備薬。真実は劇薬」がありますが、彼はあまりにはっきりと劇薬を用いてしまいます。
そして「大学に行かない」という。私も昔、進学校に行きながら大学に行かなかった。その理由はここでは言いませんが、作間龍斗は「大学に行ったって行かなくったって一緒」というもの。それはコドモの言い分ですぞ。なんたって高卒と大卒では就ける仕事が違う。なら私が後悔しているかと言われたらそれもちょっと違うのですがね。
彼の気になる振る舞いは同じクラスのマンガ家志望の女子に対しても表れます。自分が好きなその女の子の気持ちを確かめるために、わざと遠回りな会話をして……結果、振られる。いや、振られたのではない。相手は自分が振ったことを知らない。振られた彼だけが「失恋した」と思い込んでいる。
高校生のわりになかなか高度な失恋の仕方をする彼は「男」のコードも背負っていると思われます。吉岡秀隆と小林薫がもう盛りを過ぎた年齢なので、必然的に「男」は彼一人となる。
来週の5話では小林薫の「老いらくの恋」が描かれるらしい。おそらくそこでは、作間龍斗の「男」が浮かび上がる仕掛けになっているのでは。と睨んでいます。
ダメで情けない男たちばかりですが、自らを縛るコードにはとても忠実なのですね。つまり、「ちゃんとしている」。ただ単にダメな人だと愛着がわきませんよね。でも、『コタツがない家』の男たちはダメだけどちゃんとしているのです。そこが面白さの秘密かと。
とにかく楽しいテレビドラマで毎週水曜日が楽しみでしょうがありません。
続きの記事
万里江の離婚したくない理由にがっかり!(『コタツがない家』感想②)
関連記事
2023秋の新ドラマ・アニメあれやこれや(大豊作の後半戦!)
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。