横山やすしなど吉本芸人が多数出演する『ビッグ・マグナム黒岩先生』。かつての友人が「つまらなすぎるほどつまらない」と言ってましたが、見てみるとめちゃくちゃ面白かったです。熱い感想を綴ります。(以下ネタバレあります)
『ビッグ・マグナム黒岩先生』(1985、日本)

脚本:掛札昌裕&笠井和弘
監督:山口和彦
出演:横山やすし、西川のりお、長門勇、渡辺裕之、白都真理、たこ八郎、武田久美子、山下規介、木村一八、三谷昇、朝比奈順子、志麻いづみ
五幕構成
ハリウッドの三幕構成なら、全体が120分だとすると、四分の一、二分の一、四分の一と三つに分けます。つまり、最初の30分、次の60分、最後の30分というふうに。
娯楽映画ならそういう構成になるはずですが、この『ビッグ・マグナム黒岩先生』はまさかの「五幕構成」になっています。そこがまずユニーク。全体が102分なので、だいたい20分前後でひとつひとつのシークエンスが構成されています。ほんとに20分ごとに大きな出来事があるので緻密に計算して脚本を書き、編集しているのでしょう。
では、一幕ごとに物語を見ていきましょう。
第一幕
黒岩先生が仁義泣学園(じんぎなきがくえん)に赴任。西川のりお暴力教師も赴任。どちらも拳銃を所持している。
校長は残り少ない任期を無事にやり過ごして定年退職しようと画策している。しかし職員会議で心ある教師から「スポーツが盛んな学校だったのに、校長が部活を禁止したため生徒の不満が鬱積して非行に走るようになった」との告発がある。校長は否定する。そして西川のりおが「暴力には暴力で!」と威勢のいいことを言って会議はおしまい。
第二幕
生徒の非行の数々。そして西川のりおの拳銃がただのモデルガンだと判明し、生徒たちの手によって文字通り吊るし上げられる。
第三幕
相変わらずの非行と、ついに黒岩先生が発砲するまで。
第四幕
それまでスケバンの武田久美子が頭かと思っていたら、キリハラという山下規介演じる生徒が本当の頭と判明する。
ナチスの思想に毒された山下規介は、武田久美子によって拳銃を奪われた黒岩先生の頭脳に電流を流し、死に至らしめる。
第五幕
突如生き返った黒岩先生と山下規介との最終決戦。何だかんだでマグナム弾という暴力で山下規介に負けを認めさせた黒岩先生は、悪の根源である校長と教頭を吊るし上げて去っていく。
『黒岩先生』の面白さについて

これはかの『タクシードライバー』のパクリですが、黒岩先生は文部省認定の特別教師で、拳銃の携帯を許可されているというトンデモ設定。これがまず面白いですよね。黒沢清監督によれば「拳銃は映画を面白くするために発明された道具」ですから、相手と距離を取って空間に広がりが出る拳銃はイイですよ。
何で拳銃携帯許可が日本で出るんだ! と怒る向きは映画なんか見ないほうがよろしい。映画はバカバカしさが身上です。
次に、生徒たち=悪、教師たち=善にしてないのがいいですね。
「ツッパるのは助けてほしいというシグナル」と持論を展開する黒岩先生は山下規介に勝利したあと、校長を吊るし上げますが、拳銃をもってるトンデモ教師と見せかけて、至極真っ当な聖職者として描いているところが素晴らしい。武田久美子の色仕掛けにも負けてなかったし。
最終的に懲らしめられるのが、部活を禁止して非行の原因を作った長門勇校長とはいえ、私は、「スポーツを禁じたから生徒たちが非行に走った」と教師が言い、生徒の一人も「暴力はスポーツである!」と主張する以上、もう一度スポーツをのびのびとさせてやればいいじゃないかと思いました。問題の原因がわかっているのになぜそこに手をつけないのか。そこに手をつけずに拳銃、つまり暴力で問題解決を図るなら、結局西川のりお教師と同じ穴のムジナじゃないの? と。
西川のりお教師

前述のとおり、西川のりおは「暴力には暴力で対抗せねば」と主張する暴力教師です。黒岩先生と違ってアメリカの許可を得て拳銃をもっているとウソを言ってましたが、とにかく暴力で問題を解決しようとする。当然、「暴力の連鎖」という言葉が浮かびます。暴力で絞めつけても相手はさらなる暴力で抵抗してくるはず。
西川のりおの拳銃がおもちゃだと判明したときがまさにそうでした。拳銃で生徒たちを押さえつけていた西川のりおは、おもちゃと知った生徒たちに吊るし上げられました。
さて、西川のりおは画像にあるように、怪しげな風俗店で赤ん坊の格好をして店員に甘えるのが趣味のコドモです。あとのほうで彼自身が告白するのは、「ツッパリ生徒が怖くて精神を病み、学校と病院を行ったり来たりする幼稚な人間だった」と。
弱い犬ほどよく吠えるよろしく、彼は弱いからこそモデルガンで武装しないといけなかったのでしょう。アメリカの許可を得ているというウソも、日本がアメリカの属国、つまりアメリカという親に買われているコドモだからでしょうね。
西川のりお教師が生徒たちによって排除されたことで、「暴力教師は非行を解決できない」ことが明らかになりました。
そのあとです。黒岩先生が発砲するのは。
ん? おかしくありませんか? 拳銃=暴力では問題を解決できないことを示しておきながら、他でもない主人公に拳銃を撃たせる。いやいや、それじゃ問題は解決しないのでは? と椅子からずり落ちかけました。
しかしながら、『ビッグ・マグナム黒岩先生』の独創性はここにこそあると思うのです。
ナチス

生徒たちの親玉が後半になってからやっと登場するというのもユニークです。普通ならそういう生徒がずっと欠席しているという情報だけでも売っておいて伏線を張るものですが。
ともかく、登場した親玉=山下規介はナチスのコスプレをしています。黒岩先生の脳髄に電流を流して快楽を覚えさせるといいながら殺してしまうのも完全にナチスの人体実験を模したものでしょう。
ここまで極悪人になってしまったら、拳銃をぶっぱなしてやっつけるしかない。でも絶対殺したり怪我させたりしない。なぜなら黒岩先生は刑事でも軍人でもなくただの教師だから。マグナム弾をバンバン撃っていても、彼はハリー・キャラハンではない。
山下規介を負かす前に黒岩先生が言う言葉は、前述した「ツッパるのは助けてほしいというシグナルだ」というもの。
山下規介だって他の生徒だって、部活禁止になってすぐにナチスに毒されたわけではないでしょう。助けてほしいというシグナルを出し続けたけど、教師たちがそれに応えてくれないから、少しずつ少しずつナチスに傾倒してしまった、と考えるのが自然です。吊るし上げられるべきは校長だけではない。
拳銃の是非

ここまで考えると、とてもうまく物語を組んでいるなと思いました。
教師に拳銃をもたせるというトンデモ設定を活かすためには、拳銃をもっているのに吊るし上げられた別の教師が必要になってくる。それで西川のりおのキャラクターが設定される。
ただ、最終的に拳銃で決着をつけると「暴力がすべてを解決する」という誤ったメッセージを送ってしまうことになる。そこでひねり出したのが「ナチス」。この世の究極の悪を出すことで暴力での問題解決を可能にするという、当たり前のようでいてなかなか思いつかない絶妙なアイデアと感服しました。
とにかく面白かった。
映像演出も、低予算映画だけあって、できるだけ長く回したいという意志と、長く回すなら芝居は細かくつけますよ、という監督の矜持を感じました。
久々に堪能した娯楽映画でした。


『ビッグ・マグナム黒岩先生』(1985、日本)

脚本:掛札昌裕&笠井和弘
監督:山口和彦
出演:横山やすし、西川のりお、長門勇、渡辺裕之、白都真理、たこ八郎、武田久美子、山下規介、木村一八、三谷昇、朝比奈順子、志麻いづみ
五幕構成
ハリウッドの三幕構成なら、全体が120分だとすると、四分の一、二分の一、四分の一と三つに分けます。つまり、最初の30分、次の60分、最後の30分というふうに。
娯楽映画ならそういう構成になるはずですが、この『ビッグ・マグナム黒岩先生』はまさかの「五幕構成」になっています。そこがまずユニーク。全体が102分なので、だいたい20分前後でひとつひとつのシークエンスが構成されています。ほんとに20分ごとに大きな出来事があるので緻密に計算して脚本を書き、編集しているのでしょう。
では、一幕ごとに物語を見ていきましょう。
第一幕
黒岩先生が仁義泣学園(じんぎなきがくえん)に赴任。西川のりお暴力教師も赴任。どちらも拳銃を所持している。
校長は残り少ない任期を無事にやり過ごして定年退職しようと画策している。しかし職員会議で心ある教師から「スポーツが盛んな学校だったのに、校長が部活を禁止したため生徒の不満が鬱積して非行に走るようになった」との告発がある。校長は否定する。そして西川のりおが「暴力には暴力で!」と威勢のいいことを言って会議はおしまい。
第二幕
生徒の非行の数々。そして西川のりおの拳銃がただのモデルガンだと判明し、生徒たちの手によって文字通り吊るし上げられる。
第三幕
相変わらずの非行と、ついに黒岩先生が発砲するまで。
第四幕
それまでスケバンの武田久美子が頭かと思っていたら、キリハラという山下規介演じる生徒が本当の頭と判明する。
ナチスの思想に毒された山下規介は、武田久美子によって拳銃を奪われた黒岩先生の頭脳に電流を流し、死に至らしめる。
第五幕
突如生き返った黒岩先生と山下規介との最終決戦。何だかんだでマグナム弾という暴力で山下規介に負けを認めさせた黒岩先生は、悪の根源である校長と教頭を吊るし上げて去っていく。
『黒岩先生』の面白さについて

これはかの『タクシードライバー』のパクリですが、黒岩先生は文部省認定の特別教師で、拳銃の携帯を許可されているというトンデモ設定。これがまず面白いですよね。黒沢清監督によれば「拳銃は映画を面白くするために発明された道具」ですから、相手と距離を取って空間に広がりが出る拳銃はイイですよ。
何で拳銃携帯許可が日本で出るんだ! と怒る向きは映画なんか見ないほうがよろしい。映画はバカバカしさが身上です。
次に、生徒たち=悪、教師たち=善にしてないのがいいですね。
「ツッパるのは助けてほしいというシグナル」と持論を展開する黒岩先生は山下規介に勝利したあと、校長を吊るし上げますが、拳銃をもってるトンデモ教師と見せかけて、至極真っ当な聖職者として描いているところが素晴らしい。武田久美子の色仕掛けにも負けてなかったし。
最終的に懲らしめられるのが、部活を禁止して非行の原因を作った長門勇校長とはいえ、私は、「スポーツを禁じたから生徒たちが非行に走った」と教師が言い、生徒の一人も「暴力はスポーツである!」と主張する以上、もう一度スポーツをのびのびとさせてやればいいじゃないかと思いました。問題の原因がわかっているのになぜそこに手をつけないのか。そこに手をつけずに拳銃、つまり暴力で問題解決を図るなら、結局西川のりお教師と同じ穴のムジナじゃないの? と。
西川のりお教師

前述のとおり、西川のりおは「暴力には暴力で対抗せねば」と主張する暴力教師です。黒岩先生と違ってアメリカの許可を得て拳銃をもっているとウソを言ってましたが、とにかく暴力で問題を解決しようとする。当然、「暴力の連鎖」という言葉が浮かびます。暴力で絞めつけても相手はさらなる暴力で抵抗してくるはず。
西川のりおの拳銃がおもちゃだと判明したときがまさにそうでした。拳銃で生徒たちを押さえつけていた西川のりおは、おもちゃと知った生徒たちに吊るし上げられました。
さて、西川のりおは画像にあるように、怪しげな風俗店で赤ん坊の格好をして店員に甘えるのが趣味のコドモです。あとのほうで彼自身が告白するのは、「ツッパリ生徒が怖くて精神を病み、学校と病院を行ったり来たりする幼稚な人間だった」と。
弱い犬ほどよく吠えるよろしく、彼は弱いからこそモデルガンで武装しないといけなかったのでしょう。アメリカの許可を得ているというウソも、日本がアメリカの属国、つまりアメリカという親に買われているコドモだからでしょうね。
西川のりお教師が生徒たちによって排除されたことで、「暴力教師は非行を解決できない」ことが明らかになりました。
そのあとです。黒岩先生が発砲するのは。
ん? おかしくありませんか? 拳銃=暴力では問題を解決できないことを示しておきながら、他でもない主人公に拳銃を撃たせる。いやいや、それじゃ問題は解決しないのでは? と椅子からずり落ちかけました。
しかしながら、『ビッグ・マグナム黒岩先生』の独創性はここにこそあると思うのです。
ナチス

生徒たちの親玉が後半になってからやっと登場するというのもユニークです。普通ならそういう生徒がずっと欠席しているという情報だけでも売っておいて伏線を張るものですが。
ともかく、登場した親玉=山下規介はナチスのコスプレをしています。黒岩先生の脳髄に電流を流して快楽を覚えさせるといいながら殺してしまうのも完全にナチスの人体実験を模したものでしょう。
ここまで極悪人になってしまったら、拳銃をぶっぱなしてやっつけるしかない。でも絶対殺したり怪我させたりしない。なぜなら黒岩先生は刑事でも軍人でもなくただの教師だから。マグナム弾をバンバン撃っていても、彼はハリー・キャラハンではない。
山下規介を負かす前に黒岩先生が言う言葉は、前述した「ツッパるのは助けてほしいというシグナルだ」というもの。
山下規介だって他の生徒だって、部活禁止になってすぐにナチスに毒されたわけではないでしょう。助けてほしいというシグナルを出し続けたけど、教師たちがそれに応えてくれないから、少しずつ少しずつナチスに傾倒してしまった、と考えるのが自然です。吊るし上げられるべきは校長だけではない。
拳銃の是非

ここまで考えると、とてもうまく物語を組んでいるなと思いました。
教師に拳銃をもたせるというトンデモ設定を活かすためには、拳銃をもっているのに吊るし上げられた別の教師が必要になってくる。それで西川のりおのキャラクターが設定される。
ただ、最終的に拳銃で決着をつけると「暴力がすべてを解決する」という誤ったメッセージを送ってしまうことになる。そこでひねり出したのが「ナチス」。この世の究極の悪を出すことで暴力での問題解決を可能にするという、当たり前のようでいてなかなか思いつかない絶妙なアイデアと感服しました。
とにかく面白かった。
映像演出も、低予算映画だけあって、できるだけ長く回したいという意志と、長く回すなら芝居は細かくつけますよ、という監督の矜持を感じました。
久々に堪能した娯楽映画でした。


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