2週間前、母が第一腰椎圧迫骨折の憂き目に遭いました。

洗濯物を干していて足をもつれさせて転倒し、尻餅をつけばよかったんですが、尻から落ちずに、直接腰から落ちて強打し、骨折してしまったわけです。
医者からは入院の必要はない、と言われました。とにかく安静にすることが大切。仰向けに寝るか横向きかはどっちでもいい。とにかく楽な姿勢でいることが大切。
そうなんですよね。痛くない姿勢が大切。日本人はとかく苦しみ耐えるのが美徳と思ってるから、痛い方向に曲げたりすると痛みが治ると勘違いしてる人がいますが、痛みがないほうに曲げたら治るんですよ~~~。
さて、私は半年ほど前に実家に出戻ってきて、現在無職。人生、何が幸いするかわかりませんな。私がいなければ母は誰にも気づいてもらえず携帯だって室内だから電話もかけられないし、どうなっていたか。仮に救急車を誰かに呼んでもらえたとしても、いったい誰が世話をするのか。ほんと、人生、何が幸いするかわからない。
で、私が母の介助、つまり、寝てる状態から助け起こしてトイレに連れて行ったり、また寝かせたり、パンツをはかせたり、何やらかんやらをしています。
そして、家事も分担どころか当然全担ですが、掃除や洗濯は一人暮らしのときもしていたからどうってことない。家がでかいから手数がかかるだけでたいしたことはありません。
問題は料理。いや、料理自体もそこまで苦にしていません。そんな手の込んだものは作れないけど。

最大の問題は、毎日の献立を考えること。これが難しい。難しいというか恐ろしいほどの労力がかかる。
毎日同じものが続いちゃだめだし、栄養のバランスを考えなくちゃいけないし、肉ばかり続けず魚も焼かないといけないとか、最近ピーマンが続いてるぞ、たまには玉ねぎも使わなきゃ、とか、冷蔵庫の中身を常に把握して買い物にも行かねばならない。
今日なんか、カレーうどんを作ろうと買い物に行ったのに、何とうどんを買い忘れてしまうという体たらくで、何やってんだか。ん? いつの間にか献立から買い物の話になってる。
何が言いたいかというと、毎日の献立を考えて、僕ら子どもたちや親父からの無理な要求に耐えながら、60年も主婦をやっている母は偉大だなぁということ。母が死んだあとで気づくのではなく、生きているうちに気づけてよかったと思う。お母さん、あなたの子に生まれてきてよかったですよ!
だからパンツを履き替えさせたり、最初はゲェーーーと思ったけれど、もっと前向きにやっていこうと思います。
骨折してちょうど一週間後の日に再度レントゲンを撮ってもらったら、「折れた骨がつぶれている」と言われました。人によってはペッタンコにつぶれるらしい。つぶれたらつぶれたまま固まると。
調べると、人によっては痛みが残ったり、もう歩けなくなったりするそう。うちの母はどうなるだろうか。
腰はまったくわからないが、すでに耳がだいぶ遠くなり、ついさっきのことを忘れたりするなど認知機能の低下が見られる。当然、寝たきりなので足腰も弱っている。
最初は足腰の弱り、など、老化が加速度的に進むことを懸念していたけど、いまは「骨折を治すことが何よりも先決」と考え直した。腰を治さないといくら足を鍛えても何もできないから。
3日後はまたレントゲンを撮ってもらいに病院へ。どう言われるだろうか。母に言わせると、「何でこんなに痛いのが続くんだろう」だったり、「ちょっとはましになってきた」だったり、ころころ変わるのだが、レントゲンの結果がよければ「まし」になった気が増すのではないだろうか。
歩いて10分のところにタクシーで行くのはいまだに気が引けるが、「老いる」とはそういうことなのかもしれない。
続きの記事
医は仁術! 腰椎圧迫骨折の憂き目に遭った母のことなどパート2
介護認定にひそむ闇(腰椎圧迫骨折の憂き目に遭った母のことなどパート3)

洗濯物を干していて足をもつれさせて転倒し、尻餅をつけばよかったんですが、尻から落ちずに、直接腰から落ちて強打し、骨折してしまったわけです。
医者からは入院の必要はない、と言われました。とにかく安静にすることが大切。仰向けに寝るか横向きかはどっちでもいい。とにかく楽な姿勢でいることが大切。
そうなんですよね。痛くない姿勢が大切。日本人はとかく苦しみ耐えるのが美徳と思ってるから、痛い方向に曲げたりすると痛みが治ると勘違いしてる人がいますが、痛みがないほうに曲げたら治るんですよ~~~。
さて、私は半年ほど前に実家に出戻ってきて、現在無職。人生、何が幸いするかわかりませんな。私がいなければ母は誰にも気づいてもらえず携帯だって室内だから電話もかけられないし、どうなっていたか。仮に救急車を誰かに呼んでもらえたとしても、いったい誰が世話をするのか。ほんと、人生、何が幸いするかわからない。
で、私が母の介助、つまり、寝てる状態から助け起こしてトイレに連れて行ったり、また寝かせたり、パンツをはかせたり、何やらかんやらをしています。
そして、家事も分担どころか当然全担ですが、掃除や洗濯は一人暮らしのときもしていたからどうってことない。家がでかいから手数がかかるだけでたいしたことはありません。
問題は料理。いや、料理自体もそこまで苦にしていません。そんな手の込んだものは作れないけど。

最大の問題は、毎日の献立を考えること。これが難しい。難しいというか恐ろしいほどの労力がかかる。
毎日同じものが続いちゃだめだし、栄養のバランスを考えなくちゃいけないし、肉ばかり続けず魚も焼かないといけないとか、最近ピーマンが続いてるぞ、たまには玉ねぎも使わなきゃ、とか、冷蔵庫の中身を常に把握して買い物にも行かねばならない。
今日なんか、カレーうどんを作ろうと買い物に行ったのに、何とうどんを買い忘れてしまうという体たらくで、何やってんだか。ん? いつの間にか献立から買い物の話になってる。
何が言いたいかというと、毎日の献立を考えて、僕ら子どもたちや親父からの無理な要求に耐えながら、60年も主婦をやっている母は偉大だなぁということ。母が死んだあとで気づくのではなく、生きているうちに気づけてよかったと思う。お母さん、あなたの子に生まれてきてよかったですよ!
だからパンツを履き替えさせたり、最初はゲェーーーと思ったけれど、もっと前向きにやっていこうと思います。
骨折してちょうど一週間後の日に再度レントゲンを撮ってもらったら、「折れた骨がつぶれている」と言われました。人によってはペッタンコにつぶれるらしい。つぶれたらつぶれたまま固まると。
調べると、人によっては痛みが残ったり、もう歩けなくなったりするそう。うちの母はどうなるだろうか。
腰はまったくわからないが、すでに耳がだいぶ遠くなり、ついさっきのことを忘れたりするなど認知機能の低下が見られる。当然、寝たきりなので足腰も弱っている。
最初は足腰の弱り、など、老化が加速度的に進むことを懸念していたけど、いまは「骨折を治すことが何よりも先決」と考え直した。腰を治さないといくら足を鍛えても何もできないから。
3日後はまたレントゲンを撮ってもらいに病院へ。どう言われるだろうか。母に言わせると、「何でこんなに痛いのが続くんだろう」だったり、「ちょっとはましになってきた」だったり、ころころ変わるのだが、レントゲンの結果がよければ「まし」になった気が増すのではないだろうか。
歩いて10分のところにタクシーで行くのはいまだに気が引けるが、「老いる」とはそういうことなのかもしれない。
続きの記事
医は仁術! 腰椎圧迫骨折の憂き目に遭った母のことなどパート2
介護認定にひそむ闇(腰椎圧迫骨折の憂き目に遭った母のことなどパート3)

コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。