春先に劇場で見逃した、『俺たちフィギュアスケーター』の監督コンビが贈る『シング・フォー・ミー、ライル』、やっと見ました。見れたのはいいんですが、ちょいとがっかりしましたね。(以下ネタバレあり)
『シング・フォー・ミー、ライル』(2022、アメリカ)

脚本:ウィル・デイビス
監督:ウィル・スペック&ジョシュ・ゴードン
出演:ショーン・メンデス(ライルの声)、ウィンズロウ・フェグリー、ハビエル・バルデム、コンスタンス・ウー、スコット・マクネイリー
主人公は誰?
この映画の主人公は誰でしょう?
誰の目にも明らかですが、ワニのライルですよね?
ライルが幼少の頃、舞台で客相手に歌うことができなかった。だから、終盤に人前で歌えるようになるのは最初からわかっています。そこがクライマックスになると。こちらはそこへ行くまでの道程を楽しみたいんですが、この映画は決してそうなっていません。
一番の元凶はあの階下に住む隣人ですね。最初からあの一家を追い出してやる気満々で、ワニと同居してるとなるとそれを理由にどんな手を使うかわからないと期待はしましたが、最後まで同じ調子でがっかりしました。
あの隣人はライルと一家に対する「敵」の役割しかしておらず、例えば、追い出してやる~~! と息巻く隣人をライルがやさしい歌声で癒してあげて、それがきっかけで人前でも歌えるようになるとか、あの隣人をうまく使えば、
「ライル、歌えなかった」→「何らかのきっかけ」→「歌えるようになる」
という、この映画が目指すシンプルな道筋をうまく作ることができたように思うんです。(で、最後はあの隣人も一緒に歌いまくる!)
それに、ライルが歌えなかった理由も、最後で歌えるようになる理由も映画はまったく示してくれません。これはどういうことですか?
とにかく、ライルについては追い出されるか否か!? というアクションやサスペンスのほうが主になっていて、「歌う」という本来は主であるべき物語が脇に追いやられてしまっていると感じました。
本当の主人公

ジョシュという一家の子どものほうが主人公っぽくありませんかね?
喘息で気弱で高所恐怖症だけど、喘息以外はライルとの触れ合いのなかで克服することができた。最後に至ってはバイクの無免許運転までするし、この映画の中で一番成長したキャラクターでしょう。
それならそれで、ライルが歌えるようになるようにハビエル・バルデムと一緒に克服する(何を克服するのかわからないけど)。それを見たジョシュが気弱な男の子から強い男の子へと成長するというような、ライルを触媒としてジョシュの成長物語にしてもよかったのではないでしょうか。つまりワイルを脇役にしてジョシュを主役にするのです。
いまのままだと、ライルの話なのかジョシュの話なのか明確でなく、どっちつかずで、ストレスが溜まります。
色遣い

脚本だけでなく、映像面にもこの映画には難点があります。
画像の色を見てください。ジョシュの服とリュックサックの色が同じ青系統というのは感心しません。母親が黄色の服を着ているので、リュックか服かどちらかを赤系統にすべきと思います。それなら一つの画面で三原色そろい踏みで映えるんじゃないでしょうか。
他にも、ハビエル・バルデムが久しぶりにあの家に帰ってきたとき、彼の服と家の玄関の柱が同じ茶色でかぶりまくりなのが残念でした。

この画なんかはライルの緑とハビエル・バルデムの赤がいいコントラストなんですけどね。もっと昔のMGMミュージカルみたいに色遣いにも凝ってほしかった。
ポリティカル・コレクトネス
これは好みですが、ジョシュと父親と隣人の3人はワスプで、母親は台湾出身、ハビエル・バルデムはスペイン人だからヒスパニック系という設定なんでしょう。マイノリティを主要人物に出しているのはアカデミー賞狙いだからでしょうか。確か、ジョシュが転入した学校で初めてできた友だちも黒人の女の子でしたね。
私はこういうのはあまり好きではありません。あまりに露骨なので。とはいえ、配偶者がアジア系とか、ヒスパニック系の人と同居するとか、いまは普通にありそうなので(アメリカに住んだことないけど)難しい問題ですね。
とにかく、私は、ライルかジョシュか、主人公をはっきりと作劇してほしいと声を大にして言いたい。歌のシーンがノリノリなのでよけいにね。もったいないと思います。


『シング・フォー・ミー、ライル』(2022、アメリカ)

脚本:ウィル・デイビス
監督:ウィル・スペック&ジョシュ・ゴードン
出演:ショーン・メンデス(ライルの声)、ウィンズロウ・フェグリー、ハビエル・バルデム、コンスタンス・ウー、スコット・マクネイリー
主人公は誰?
この映画の主人公は誰でしょう?
誰の目にも明らかですが、ワニのライルですよね?
ライルが幼少の頃、舞台で客相手に歌うことができなかった。だから、終盤に人前で歌えるようになるのは最初からわかっています。そこがクライマックスになると。こちらはそこへ行くまでの道程を楽しみたいんですが、この映画は決してそうなっていません。
一番の元凶はあの階下に住む隣人ですね。最初からあの一家を追い出してやる気満々で、ワニと同居してるとなるとそれを理由にどんな手を使うかわからないと期待はしましたが、最後まで同じ調子でがっかりしました。
あの隣人はライルと一家に対する「敵」の役割しかしておらず、例えば、追い出してやる~~! と息巻く隣人をライルがやさしい歌声で癒してあげて、それがきっかけで人前でも歌えるようになるとか、あの隣人をうまく使えば、
「ライル、歌えなかった」→「何らかのきっかけ」→「歌えるようになる」
という、この映画が目指すシンプルな道筋をうまく作ることができたように思うんです。(で、最後はあの隣人も一緒に歌いまくる!)
それに、ライルが歌えなかった理由も、最後で歌えるようになる理由も映画はまったく示してくれません。これはどういうことですか?
とにかく、ライルについては追い出されるか否か!? というアクションやサスペンスのほうが主になっていて、「歌う」という本来は主であるべき物語が脇に追いやられてしまっていると感じました。
本当の主人公

ジョシュという一家の子どものほうが主人公っぽくありませんかね?
喘息で気弱で高所恐怖症だけど、喘息以外はライルとの触れ合いのなかで克服することができた。最後に至ってはバイクの無免許運転までするし、この映画の中で一番成長したキャラクターでしょう。
それならそれで、ライルが歌えるようになるようにハビエル・バルデムと一緒に克服する(何を克服するのかわからないけど)。それを見たジョシュが気弱な男の子から強い男の子へと成長するというような、ライルを触媒としてジョシュの成長物語にしてもよかったのではないでしょうか。つまりワイルを脇役にしてジョシュを主役にするのです。
いまのままだと、ライルの話なのかジョシュの話なのか明確でなく、どっちつかずで、ストレスが溜まります。
色遣い

脚本だけでなく、映像面にもこの映画には難点があります。
画像の色を見てください。ジョシュの服とリュックサックの色が同じ青系統というのは感心しません。母親が黄色の服を着ているので、リュックか服かどちらかを赤系統にすべきと思います。それなら一つの画面で三原色そろい踏みで映えるんじゃないでしょうか。
他にも、ハビエル・バルデムが久しぶりにあの家に帰ってきたとき、彼の服と家の玄関の柱が同じ茶色でかぶりまくりなのが残念でした。

この画なんかはライルの緑とハビエル・バルデムの赤がいいコントラストなんですけどね。もっと昔のMGMミュージカルみたいに色遣いにも凝ってほしかった。
ポリティカル・コレクトネス
これは好みですが、ジョシュと父親と隣人の3人はワスプで、母親は台湾出身、ハビエル・バルデムはスペイン人だからヒスパニック系という設定なんでしょう。マイノリティを主要人物に出しているのはアカデミー賞狙いだからでしょうか。確か、ジョシュが転入した学校で初めてできた友だちも黒人の女の子でしたね。
私はこういうのはあまり好きではありません。あまりに露骨なので。とはいえ、配偶者がアジア系とか、ヒスパニック系の人と同居するとか、いまは普通にありそうなので(アメリカに住んだことないけど)難しい問題ですね。
とにかく、私は、ライルかジョシュか、主人公をはっきりと作劇してほしいと声を大にして言いたい。歌のシーンがノリノリなのでよけいにね。もったいないと思います。


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