臨床心理学者・河合隼雄さんの『こころの処方箋』感想第二弾です。


説教
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第18章「説教の効果はその長さと反比例する」

まさしくその通りですね。縁を切った亡父などはとんでもなく「長い説教」をする人でした。

延々と同じことをのべつ幕なしにしゃべり倒して、3分もあれば言えることを2時間くらいかけてしゃべってました。要点だけ手短にズバッと言ったほうが効果的なのに。まさに説教の効果はその長さと反比例する。

ってなことをこの章の前半を読みながら思っていたのですが、後半、がらりと感想が変わりました。

説教がなくならない理由として河合さんは、「説教する人の精神衛生上、大いに役立つものだからであろう」と言います。上司は上司、親は親なりにいろいろと苦労している、と。欲求不満が溜まってくると、それを部下なり子どもなりに吐き出して、そして吐き出すからにはその内容に本人が感心してしまうことが含まれているのだから、説教はする人の精神衛生にいいのだと。

だから、「説教をいやいや聞くのではなく、説教する人の精神衛生のために協力しているのだと思えば、もう少し温かい気持ちで聞けるのではないだろうか」

河合さんは書いていないが、協力するつもりで説教を聞いていれば、いやいや聞くより、聞かされる者の精神衛生上、大変よろしい、ということなのだろう。

私はついぞそのような気持ちで聞いたことがなかった。自分の弁舌に酔ってのべつ幕なしにまくし立てる親父を見ながら、はっきり言って軽蔑していた。もっと余裕をもって相手の優位に立って協力してあげていれば、あんなに体調を崩すこともなかったかもしれない。後悔先に立たず。


努力は必ず報われる?
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昔、兄の勉強机に「努力は必ず報われる」と書かれたステッカーが貼られていて、純真だった私は無邪気にそう信じ込んでいた。

それが嘘っぱちだと知ったのはいつのことだったか忘れたが、画像にあるように、努力が報われるとはかぎらないが、成功する人は必ず努力していると知ったのはずいぶん後年になってからだ。

もう20年くらい前になるが、キム兄がある番組で、吉本の養成所に入所してきた若者たちに、

「この紙に、成功するためには何が何%必要か、円グラフにして書きなさい」

と問いを出した。「才能90%、努力10%」と書く者もおれば、「才能10%、努力30%、運60%」と書く者もあった。

キム兄によれば、何とこの問いには「正解」があるという。その正解とは、

「100%運です」

とのことであった。そしてすかさず、こう付け足した。

「しかし、いまその紙に運100%と書いた人は絶対に成功できません」

つまるところ、才能とそれに勝る努力によって運を巻き込めというお話であった。

ところで、河合隼雄さんがこの章で紹介している「努力している人」は、登校拒否児の親御さんである。

息子のために病院を探したり、対話の努力をしたり、いい施設があれば巨額の費用を出してでも入れてやりたい、漢方薬も試みたし、これ以上何をどうしろというのか、と訴えるそうな。

河合さんはこの手の人に手厳しい。

その人は努力を「免罪符」にしているという。

何もせずにただそばにいる。それが解決の唯一の策かもしれぬのに、ただそばにいることが恐ろしくて、解決するはずのない努力に逃げているのだという。確かにそうかもしれない。

また、河合さんはこうも言う。努力は必ず報われると単純に考える人は、「解決」のほうに早く目が行ってしまっているのではないか。

そういえば心当たりがある。

脚本家を目指していた頃、あるプロの人が「映画賞の受賞スピーチなんかを考えながら書くといいものが書ける」と雑誌に書いてあったのを鵜呑みにして、まだいいものが書けてもいないのに、発想はどこから、一番苦労した箇所は……なんて妄想をしている自分に酔い痴れていた。考えてみれば相当にアホなことをしていたものである。くだんのプロの人はおそらく「脚本家志望者の何人かを潰してやろう」と考えてあんなことを書いたのではないか。それを無邪気に信じ込んでしまった自分の馬鹿さ加減が恨めしい。

努力は必ずしも報われない。それでもやっぱり人は地道に努力するしかなさそうです。


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