臨床心理学者・河合隼雄さんの名著と言われる『こころの処方箋』を読んでいます。全55章ある本ですが、1章1章味わいがあって読みごたえがあります。帯には「嘘は常備薬、真実は劇薬」とありますが、これだけでも本一冊読んだかのような醍醐味がありますね。


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さて、まだ13章までしか読んでませんが、ちょいと感想を書きたくて筆を執りました。

対象となるのは、第1章の「人の心などわかるはずがない」、第4章「絵に描いた餅は餅より高価なことがある」、第13章「マジメも休み休み言え」です。

「人の心などわかるはずがない」は字義通りそういう意味の章。

「絵に描いた餅は餅より高価なことがある」は、「やさしくて賢い」素敵な女性と巡り合った男性が、3年の交際の末に結婚したが、1年もたたずに離婚に至った。「やさしくて賢い女性」というのは、彼が3年間会っていた実際の女性なのか、それとも彼が心の中に思い描いていた彼女の絵姿だったのか、はたしてどちらか、という内容。

第1章から言いたいことを言うと、本当は「人の心などわかるはずがない」にもかかわらず、「人の心がわかって当然」という人が(いまだに)多い。「あの人はこう」「この人はああ」などとものすごく単純に人の性格や考え方を言い当てている。つもりなのだろうが、人間はとても複雑な生き物なので単純化している時点で間違いである。でも、それでも単純化してしまうのは、そのほうが「楽」だからに決まっている。

「あの人はこう」「この人はああ」と単純化・図式化することで安心したいのである。「あの人はこう」の「こう」の部分が間違っているのだが、もっと大きな間違いは、「あの人は」「この人は」と言い募ることによって、目が他人にばかり向いてしまい、最も大事な自分自身に向かなくなってしまうことでしょう。その種の人は自分の人生を生きていないのである。

「絵に描いた餅は餅より高価なことがある」で描かれた男性もその種の人でしょう。

この場合の「絵に描いた餅」というのが、「あの人はこう」の「こう」の部分にあたる。目の前の女性が「やさしくて賢い」と魅力的に見えた。これもあまりに単純化しすぎでしょう。絵に描いた餅を本物の餅だと思ったらしいが、本物の餅=人間は複雑怪奇な生き物なのでやさしくて賢くない部分も多々ある。それに耐えきれなくなった。人の心などわかるはずがないと思っていればスルーできたはずなのに。

第13章「マジメも休み休み言え」では、マジメを尊ぶ日本社会を痛烈に皮肉ってるのだけれど、「日本的マジメは、マジメの側が正しいと決まりきっていて、悪いほうはただ謝るしかない」と書かれている。

日本的マジメは「多数派」と言えると思う。そして、「あの人はこう」と他人にレッテルを貼る人もまた「多数派」である。私はよく「神林さんはわからない」と言われるが、「わかる」のが普通らしい。ということは、日本におけるマジメな人とは他人にレッテルを貼る人と言っていいのではないか。

「マジメな人は自分の限定した世界では絶対にマジメなので、確かにそれ以上のことを考える必要もないし、反省する必要もない。マジメな人の無反省さは、鈍感や傲慢にさえ通じるものがある。自分の限定している世界を開いて他と通じること、自分の思いがけない世界が存在することを認めること、これが怖くて仕方がないので、笑いのない世界の閉じこもる。笑いというのは常に『開く』ということに通じるものである」

怖くて仕方がない、というところに一番目が行った。「あの人はこう」と言えない人、「あの人ってわからない」という人が怖くて仕方がないのであろう。

そういえば、私はよく「怖い人」と言われる。こんなに人畜無害なのにと憤慨したこともあるが、妙に腑に落ちた。

続きの記事
『こころの処方箋』感想②説教と努力

こころの処方箋(新潮文庫)
河合 隼雄
新潮社
2013-08-02


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