来年はもう70歳になってしまうジャッキー・チェンの1984年作品『スパルタンX』を約20年ぶりに再見しました。
多くの人が「ストーリーなんかどうでもいい。アクションを楽しむ映画」と言っていて、私も大いに賛成だったんですが、今回見直してみて、なかなかどうして、物語にもいろいろ工夫があったんだと初めて気づきました。
ラストのカンフーがすごいんですけどね。でも今回はアクションの話は封印です。
なお、多くの人が勘違いしてますが、この『スパルタンX』はジャッキー監督ではなく、サモ・ハン監督です。(以下ネタバレあります)
『スパルタンX』(1984,香港)
脚本:エドワード・タン
監督:サモ・ハン・キンポー
出演:ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポー、ローラ・フォルネル
お姫様を奪還?
うろ覚えなんですが、この映画が公開されたときに同題のゲームも発売されて、確か、幽閉されたお姫様を主人公が奪還するストーリーだったように記憶しています。
だからなのか、この映画『スパルタンX』もお姫様奪還のお話かと思いきや、実は違うのです。
確かにこの令嬢はお姫様といって差し支えない大富豪の娘です。しかしながら、その大富豪はひどい男で、このシルビアという名の令嬢の母グロリアを手籠めにしたという。はっきり言ってしまえば、シルビアはレイプの末に生まれた子なのです。
そして、大富豪の遺言には、死んでから2週間以内にグロリアとシルビアが現れれば遺産を全額譲る。現れなければシルビアの弟がすべて継ぐ、とあったらしい。それで弟が姉を幽閉するわけです。そこへジャッキーたちが助けに行く。
じゃあやっぱりお姫様奪還じゃないか! という声が聞こえてきそうですが、違います。
ジャッキーたちはシルビアを奪いに行くんじゃありません。彼女と別れるために戦いに行くのです。
シルビアの弟をやっつけたあと、いつものキッチンカーで働くユン・ピョウはかなり淋し気ですが、それもそのはず、首尾よくシルビアとその母グロリアが遺産を継いでどこかで幸せに暮らしているからです。助けに行けばそうなるとわかっていて行ったわけですな。
そんな彼らのもとにシルビアが会いに来ます。いつも同じ公園や悪場所で商いをしているので簡単に会いに来れる。
それはそうと、なぜシルビアは会いに来るのでしょう? 会いに来ないと話が終わらない? それなら、彼女の弟をやっつけたあとに長い別れの愁嘆場を描けばよかったはず。あそこでスパンとシーンを割って再会のシーンを作ったのは、シルビアにとって彼ら二人が「初めての男たち」だったからです。
初めての男たち?
男による性加害と支配欲
この頃はまだ、シルビアは蓮っ葉な女でした。スリをしていました。娼婦のふりをして男から金を巻き上げるというお尋ね者。そんな彼女を助けたところから物語は始まったわけですが、彼女自身が言いますね。
「いままでの男は、私に仕事を世話してやる、その代わり言うとおりにしろって言う」
母親のグロリアと同じです。彼女もまたレイプなど男の支配欲の犠牲になってきた。だから、男なんてみんな同じとばかり、ジャッキーとユン・ピョウからも金を盗った。
でも、最終的にわかるんですよね。彼ら二人だけは違うということが。何しろ、彼女を奪い取って自分のものにするために助けに行くんじゃなくて、別れるために助けに行くのだから。
だから最後に再会しに来る。近いうちにまた来るでしょう。もしかしたら、二人のうちのどちらかといい仲になるかもしれない。そんなことが暗示されたラストシーンでした。
アクションだけだ思っていた『スパルタンX』にテーマの追求なんてものがあるとは思ってもみませんでした。
だけでなく、そのテーマが性加害やジェンダーとか、そういう今風のことで、40年前にこのようなテーマで映画を作っていたとはかなり先進的だと驚きました。
多くの人が「ストーリーなんかどうでもいい。アクションを楽しむ映画」と言っていて、私も大いに賛成だったんですが、今回見直してみて、なかなかどうして、物語にもいろいろ工夫があったんだと初めて気づきました。
ラストのカンフーがすごいんですけどね。でも今回はアクションの話は封印です。
なお、多くの人が勘違いしてますが、この『スパルタンX』はジャッキー監督ではなく、サモ・ハン監督です。(以下ネタバレあります)
『スパルタンX』(1984,香港)
脚本:エドワード・タン
監督:サモ・ハン・キンポー
出演:ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポー、ローラ・フォルネル
お姫様を奪還?
うろ覚えなんですが、この映画が公開されたときに同題のゲームも発売されて、確か、幽閉されたお姫様を主人公が奪還するストーリーだったように記憶しています。
だからなのか、この映画『スパルタンX』もお姫様奪還のお話かと思いきや、実は違うのです。
確かにこの令嬢はお姫様といって差し支えない大富豪の娘です。しかしながら、その大富豪はひどい男で、このシルビアという名の令嬢の母グロリアを手籠めにしたという。はっきり言ってしまえば、シルビアはレイプの末に生まれた子なのです。
そして、大富豪の遺言には、死んでから2週間以内にグロリアとシルビアが現れれば遺産を全額譲る。現れなければシルビアの弟がすべて継ぐ、とあったらしい。それで弟が姉を幽閉するわけです。そこへジャッキーたちが助けに行く。
じゃあやっぱりお姫様奪還じゃないか! という声が聞こえてきそうですが、違います。
ジャッキーたちはシルビアを奪いに行くんじゃありません。彼女と別れるために戦いに行くのです。
シルビアの弟をやっつけたあと、いつものキッチンカーで働くユン・ピョウはかなり淋し気ですが、それもそのはず、首尾よくシルビアとその母グロリアが遺産を継いでどこかで幸せに暮らしているからです。助けに行けばそうなるとわかっていて行ったわけですな。
そんな彼らのもとにシルビアが会いに来ます。いつも同じ公園や悪場所で商いをしているので簡単に会いに来れる。
それはそうと、なぜシルビアは会いに来るのでしょう? 会いに来ないと話が終わらない? それなら、彼女の弟をやっつけたあとに長い別れの愁嘆場を描けばよかったはず。あそこでスパンとシーンを割って再会のシーンを作ったのは、シルビアにとって彼ら二人が「初めての男たち」だったからです。
初めての男たち?
男による性加害と支配欲
この頃はまだ、シルビアは蓮っ葉な女でした。スリをしていました。娼婦のふりをして男から金を巻き上げるというお尋ね者。そんな彼女を助けたところから物語は始まったわけですが、彼女自身が言いますね。
「いままでの男は、私に仕事を世話してやる、その代わり言うとおりにしろって言う」
母親のグロリアと同じです。彼女もまたレイプなど男の支配欲の犠牲になってきた。だから、男なんてみんな同じとばかり、ジャッキーとユン・ピョウからも金を盗った。
でも、最終的にわかるんですよね。彼ら二人だけは違うということが。何しろ、彼女を奪い取って自分のものにするために助けに行くんじゃなくて、別れるために助けに行くのだから。
だから最後に再会しに来る。近いうちにまた来るでしょう。もしかしたら、二人のうちのどちらかといい仲になるかもしれない。そんなことが暗示されたラストシーンでした。
アクションだけだ思っていた『スパルタンX』にテーマの追求なんてものがあるとは思ってもみませんでした。
だけでなく、そのテーマが性加害やジェンダーとか、そういう今風のことで、40年前にこのようなテーマで映画を作っていたとはかなり先進的だと驚きました。
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