昨夜のMBS・映像’23「小児性犯罪 ~当事者たちの証言~」を興味深く見ました。

5歳のときに性被害に遭ってから自傷行為や不安定な精神状態に苦しみながら、現在は心理カウンセラーとして活躍する柳谷和美さんのエピソードも興味深かったけれど、何といっても今回の白眉は、性加害者としての苦しみに悩む加藤孝さんでしょう。被害者の声より加害者の声のほうが拾いにくいと思うので。
加藤さんは若い頃から「思春期前の男の子」なら誰でもいい、反抗しないから、ということで、小学生をトイレに連れ込んで性加害を繰り返していたそうです。
しかし、23年前、ある子どもに性加害したのをきっかけに「そのうち誰かを殺してしまうかもしれない」と恐くなって自首。以来、自分の中のペドフィリア=小児性愛癖と対峙し、街へ出ても視界に男の子が入ってくると遠くへ逃げたり、目をつむったりして欲望を抑え、23年間ただの一度も性加害はしていないという。
私はこれを見て元プロ野球選手の清原和博を思い出しました。

清原はご存じの通り、7年前に覚醒剤で逮捕されましたが、あの年の暮れに、ある番組で特集が組まれたんですよね。「いま清原はどうしているか」みたいなドキュメンタリー。
インタビュアーが「いまでもまた覚醒剤やりたいですか?」と訊くと、清原は「やりたいです。もうたまらんほどやりたい」と正直に答え、「でも、やったらまた家族崩壊とか最悪の事態になるので、やりません。夜寝るときにいつも思うんです。あ、今日もやらなかった。明日も頑張ろうってね」
加藤孝さんも同じですよね。この23年間に精神科に通ったりしても、ペドフィリアという病気とは一生付き合わねばならない。だからいまでも男の子が視界に入るのをまず防がないといけないし、欲望に駆られたら自分に鞭打って抑えねばならない。それを一日一日やって、「今日もやらなかった。明日も頑張ろう」と思っているのでしょう。
そういえば、清原が覚醒剤またやりたいかと訊かれて「やりたいです」と即答していたとき、番組のコメンテーターが「正直な人ですね」と言っていたけど、おそらく正直じゃないとまたやっちゃうんだと思います。私には経験がないからはっきりとはわからないけど。
なぜそう思うのか。
それを教えてくれたのは、パリ人肉事件の佐川一政です。

一時期、佐川君関係の本をむさぼり読んでたんですが、コリン・ウィルソンとの対談本があって、その前書きにコリン・ウィルソンがこんなことを書いていました。
「ミスター・サガワとの対談の話が来たとき、はっきり言って私はいやでした。私はそういう猟奇犯罪者と何度も会っていやな思いをさせられてきたからです。私の知見から言わせてもらえば、ああいう類の犯罪は完全に病気です。それも一生治らない病気なのです。なのに私が会った犯罪者たちは一様に『もうしたいと思わない』と嘘を平気で言う。うんざりです」
「だからミスター・サガワと会うことになって最初に質問は『また食べたいですか?』に決めていました。もし『ノー』と彼が答えればはっきり嘘つきと断定し、対談は適当に切り上げようと。でもミスター・サガワは違いました。まったくもって正直に『また人肉を食べたくてしょうがない』というのです。でも死体の処理とかいろんな面倒があるからもうしないけど、と。彼のように言う人には会ったことがない。私たちは意気投合し、それでこのような分厚い対談本になってしまいました」
加藤孝さんも「こういう病気は一生治らない」と言っていました。清原の覚醒剤中毒も、佐川一政の人肉嗜癖も一生治らない。なら、それに蓋をして「もう絶対やらない」というのはちょっと不遜じゃないか。一生治らないからこそ、自らの異常性と真摯に対峙して、「今日もやらなかった。明日も頑張ろう」という謙虚な気持ちが必要なのだと思いました。
加藤孝さんも清原も佐川一政も、世間から見れば「つまはじき者」なんでしょうけど、自らの弱さと対峙して一日一日を生きていく、実は強い人たちなのではないか。
そんなことを思いました。


5歳のときに性被害に遭ってから自傷行為や不安定な精神状態に苦しみながら、現在は心理カウンセラーとして活躍する柳谷和美さんのエピソードも興味深かったけれど、何といっても今回の白眉は、性加害者としての苦しみに悩む加藤孝さんでしょう。被害者の声より加害者の声のほうが拾いにくいと思うので。
加藤さんは若い頃から「思春期前の男の子」なら誰でもいい、反抗しないから、ということで、小学生をトイレに連れ込んで性加害を繰り返していたそうです。
しかし、23年前、ある子どもに性加害したのをきっかけに「そのうち誰かを殺してしまうかもしれない」と恐くなって自首。以来、自分の中のペドフィリア=小児性愛癖と対峙し、街へ出ても視界に男の子が入ってくると遠くへ逃げたり、目をつむったりして欲望を抑え、23年間ただの一度も性加害はしていないという。
私はこれを見て元プロ野球選手の清原和博を思い出しました。

清原はご存じの通り、7年前に覚醒剤で逮捕されましたが、あの年の暮れに、ある番組で特集が組まれたんですよね。「いま清原はどうしているか」みたいなドキュメンタリー。
インタビュアーが「いまでもまた覚醒剤やりたいですか?」と訊くと、清原は「やりたいです。もうたまらんほどやりたい」と正直に答え、「でも、やったらまた家族崩壊とか最悪の事態になるので、やりません。夜寝るときにいつも思うんです。あ、今日もやらなかった。明日も頑張ろうってね」
加藤孝さんも同じですよね。この23年間に精神科に通ったりしても、ペドフィリアという病気とは一生付き合わねばならない。だからいまでも男の子が視界に入るのをまず防がないといけないし、欲望に駆られたら自分に鞭打って抑えねばならない。それを一日一日やって、「今日もやらなかった。明日も頑張ろう」と思っているのでしょう。
そういえば、清原が覚醒剤またやりたいかと訊かれて「やりたいです」と即答していたとき、番組のコメンテーターが「正直な人ですね」と言っていたけど、おそらく正直じゃないとまたやっちゃうんだと思います。私には経験がないからはっきりとはわからないけど。
なぜそう思うのか。
それを教えてくれたのは、パリ人肉事件の佐川一政です。

一時期、佐川君関係の本をむさぼり読んでたんですが、コリン・ウィルソンとの対談本があって、その前書きにコリン・ウィルソンがこんなことを書いていました。
「ミスター・サガワとの対談の話が来たとき、はっきり言って私はいやでした。私はそういう猟奇犯罪者と何度も会っていやな思いをさせられてきたからです。私の知見から言わせてもらえば、ああいう類の犯罪は完全に病気です。それも一生治らない病気なのです。なのに私が会った犯罪者たちは一様に『もうしたいと思わない』と嘘を平気で言う。うんざりです」
「だからミスター・サガワと会うことになって最初に質問は『また食べたいですか?』に決めていました。もし『ノー』と彼が答えればはっきり嘘つきと断定し、対談は適当に切り上げようと。でもミスター・サガワは違いました。まったくもって正直に『また人肉を食べたくてしょうがない』というのです。でも死体の処理とかいろんな面倒があるからもうしないけど、と。彼のように言う人には会ったことがない。私たちは意気投合し、それでこのような分厚い対談本になってしまいました」
加藤孝さんも「こういう病気は一生治らない」と言っていました。清原の覚醒剤中毒も、佐川一政の人肉嗜癖も一生治らない。なら、それに蓋をして「もう絶対やらない」というのはちょっと不遜じゃないか。一生治らないからこそ、自らの異常性と真摯に対峙して、「今日もやらなかった。明日も頑張ろう」という謙虚な気持ちが必要なのだと思いました。
加藤孝さんも清原も佐川一政も、世間から見れば「つまはじき者」なんでしょうけど、自らの弱さと対峙して一日一日を生きていく、実は強い人たちなのではないか。
そんなことを思いました。


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