リアルタイムで新作映画を見るようになった頃に公開された映画『ブルースチール』を再見しました。初見時はただの勧善懲悪映画にしか見えませんでしたが、ぜんぜん違ってました。(以下ネタバレあり)
『ブルースチール』(1990、アメリカ)

脚本:キャスリン・ビグロー&エリック・レッド
監督:キャスリン・ビグロー
出演:ジェイミー・リー・カーティス、ロン・シルバー、クランシー・ブラウン、ルイーズ・フレッチャー
まずクライマックスでの疑問から

拝命したばかりの新米警官ジェイミー・リー・カーティスと、彼女が強盗を射殺した現場で、その強盗の拳銃を盗んだロン・シルバーの凄絶な闘いを描いた本作は、当然のことながら、この二人の銃撃戦で幕を閉じます。
ところが……
終盤おかしなことになります。打ちあっていると一台の車がやってきてジェイミー・リー・カーティスはその車を盾にして乗り込み、ロン・シルバーを轢き殺そうとします。
ここでまだ死なないロン・シルバーを逮捕できていたら万事めでたしめでたしだったように思うんです。
なぜなら……
ダークサイドに堕ちた主人公

最初の事件現場で強盗を射殺するシーン。強盗は確かに拳銃をもっていたし、彼女を撃とうと構えようとした。しかし、それは冷静に映画を見ている観客にしかわからないことで、一番近くにいたレジ係は、強盗はナイフをもっていたと証言しています。肝心の拳銃が見つからない以上……ということで彼女は停職処分となります。
ジェイミー・リー・カーティスは射殺後、ゆっくり歩み寄り、強盗の手から離れてロン・シルバーの目前にあった拳銃のすぐ横を通るんですが、押収しないんですね。目に入ってないから。なぜ目に入ってないか。
そうはもう簡単。人を殺した愉悦に浸っているからです。
彼女は、射殺直前に同僚警官の「なぜ警察官に?」という質問に対し、「人を撃ちたいの」と答えます。冗談のように聞こえますが、その後の展開を考えると本音でしょう。
先輩刑事のニック・マンと一緒に張り込んでいたとき、彼女はニック・マンを手錠にかけて自分だけ拳銃を手にロン・シルバーを追います。
普通に考えるなら、というのはつまり、犯人を逮捕する気なら、人手は多いに越したことはないはずです。彼女は他人にロン・シルバーを逮捕されたり射殺されたりするのが嫌なのです。自分で殺したい。かなり異常な警察官というか、ロン・シルバーも完全にダークサイドに堕ちたアンチヒーローですが、ジェイミー・リー・カーティスもなかなかのアンチヒーローぶりです。
母親に暴力を振るった父親をほんとに署まで連れて行こうとしますからね。そりゃ暴行は犯罪だけど、自分の親にそこまでするのは(途中で解放するとはいえ)ちょいと異常です。
だから、この『ブルースチール』は、「アンチヒーローを追いかけて殺すヒーローを描く普通の映画」ではなく、「アンチヒーローがもう一人のアンチヒーローを殺す(そして自分は生き残る)ちょっといびつな映画」だと思うのです。
アンチヒーローが二人もいる映画だから、夜のシーンや雨のシーンばかりなんでしょうね。昼間やからっと晴れたシーンってほとんどなかったような。
事件は解決したのか⁉

この記事の冒頭で、ロン・シルバーを車で轢いたときに逮捕できていれば、と書きましたが、それは、彼女が殺人に憑りつかれているからです。殺すのではなく、警察官としてちゃんと逮捕できればよかった。
だって、最後のロン・シルバーは丸腰に近いですよね。ニック・マン刑事はかつて「犯人は拳銃を構えたのか?」と訊いてましが、構えてない。撃っちゃいけないんじゃないですか。
確かにロン・シルバーはこの世からいなくなり一件落着しました。が、まだジェイミー・リー・カーティスという怪物が残っている。最後、車から降ろされた彼女はどこかへ連行されるかのようでした。違うかもしれないけど、私の目にはそう見えました。
怪物の所以

映画の冒頭で、警察学校での銃撃戦の実習があり、主犯は首尾よく殺せたのに、その愛人には殺されてしまったジェイミー・リー・カーティス。だから、「何としてでも一人残らず殺さねば」という強迫観念の持ち主になったのでしょうか。
いや、そうではなく、ロン・シルバーと同じく、殺人鬼の素質をもって生まれてきたのでしょう。ロン・シルバーがいみじくも言います。「俺を殺したところで君と俺が似ていると気づくだけさ」。
怪物の言葉を証明してしまったジェイミー・リー・カーティスは、彼女自身が怪物なのだと思います。
仮にあのラストシーンのあと彼女が逮捕されたとしても、怪物なのだから何とかしてかいくぐるでしょう。そして拳銃という警察官にとって合法的な凶器をもって夜の街を徘徊するのだと思います。ロン・シルバーがそうしていたように。


『ブルースチール』(1990、アメリカ)

脚本:キャスリン・ビグロー&エリック・レッド
監督:キャスリン・ビグロー
出演:ジェイミー・リー・カーティス、ロン・シルバー、クランシー・ブラウン、ルイーズ・フレッチャー
まずクライマックスでの疑問から

拝命したばかりの新米警官ジェイミー・リー・カーティスと、彼女が強盗を射殺した現場で、その強盗の拳銃を盗んだロン・シルバーの凄絶な闘いを描いた本作は、当然のことながら、この二人の銃撃戦で幕を閉じます。
ところが……
終盤おかしなことになります。打ちあっていると一台の車がやってきてジェイミー・リー・カーティスはその車を盾にして乗り込み、ロン・シルバーを轢き殺そうとします。
ここでまだ死なないロン・シルバーを逮捕できていたら万事めでたしめでたしだったように思うんです。
なぜなら……
ダークサイドに堕ちた主人公

最初の事件現場で強盗を射殺するシーン。強盗は確かに拳銃をもっていたし、彼女を撃とうと構えようとした。しかし、それは冷静に映画を見ている観客にしかわからないことで、一番近くにいたレジ係は、強盗はナイフをもっていたと証言しています。肝心の拳銃が見つからない以上……ということで彼女は停職処分となります。
ジェイミー・リー・カーティスは射殺後、ゆっくり歩み寄り、強盗の手から離れてロン・シルバーの目前にあった拳銃のすぐ横を通るんですが、押収しないんですね。目に入ってないから。なぜ目に入ってないか。
そうはもう簡単。人を殺した愉悦に浸っているからです。
彼女は、射殺直前に同僚警官の「なぜ警察官に?」という質問に対し、「人を撃ちたいの」と答えます。冗談のように聞こえますが、その後の展開を考えると本音でしょう。
先輩刑事のニック・マンと一緒に張り込んでいたとき、彼女はニック・マンを手錠にかけて自分だけ拳銃を手にロン・シルバーを追います。
普通に考えるなら、というのはつまり、犯人を逮捕する気なら、人手は多いに越したことはないはずです。彼女は他人にロン・シルバーを逮捕されたり射殺されたりするのが嫌なのです。自分で殺したい。かなり異常な警察官というか、ロン・シルバーも完全にダークサイドに堕ちたアンチヒーローですが、ジェイミー・リー・カーティスもなかなかのアンチヒーローぶりです。
母親に暴力を振るった父親をほんとに署まで連れて行こうとしますからね。そりゃ暴行は犯罪だけど、自分の親にそこまでするのは(途中で解放するとはいえ)ちょいと異常です。
だから、この『ブルースチール』は、「アンチヒーローを追いかけて殺すヒーローを描く普通の映画」ではなく、「アンチヒーローがもう一人のアンチヒーローを殺す(そして自分は生き残る)ちょっといびつな映画」だと思うのです。
アンチヒーローが二人もいる映画だから、夜のシーンや雨のシーンばかりなんでしょうね。昼間やからっと晴れたシーンってほとんどなかったような。
事件は解決したのか⁉

この記事の冒頭で、ロン・シルバーを車で轢いたときに逮捕できていれば、と書きましたが、それは、彼女が殺人に憑りつかれているからです。殺すのではなく、警察官としてちゃんと逮捕できればよかった。
だって、最後のロン・シルバーは丸腰に近いですよね。ニック・マン刑事はかつて「犯人は拳銃を構えたのか?」と訊いてましが、構えてない。撃っちゃいけないんじゃないですか。
確かにロン・シルバーはこの世からいなくなり一件落着しました。が、まだジェイミー・リー・カーティスという怪物が残っている。最後、車から降ろされた彼女はどこかへ連行されるかのようでした。違うかもしれないけど、私の目にはそう見えました。
怪物の所以

映画の冒頭で、警察学校での銃撃戦の実習があり、主犯は首尾よく殺せたのに、その愛人には殺されてしまったジェイミー・リー・カーティス。だから、「何としてでも一人残らず殺さねば」という強迫観念の持ち主になったのでしょうか。
いや、そうではなく、ロン・シルバーと同じく、殺人鬼の素質をもって生まれてきたのでしょう。ロン・シルバーがいみじくも言います。「俺を殺したところで君と俺が似ていると気づくだけさ」。
怪物の言葉を証明してしまったジェイミー・リー・カーティスは、彼女自身が怪物なのだと思います。
仮にあのラストシーンのあと彼女が逮捕されたとしても、怪物なのだから何とかしてかいくぐるでしょう。そして拳銃という警察官にとって合法的な凶器をもって夜の街を徘徊するのだと思います。ロン・シルバーがそうしていたように。


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