映画館で映画を見たとき、最後のエンドロールが終わるまで見てますか?
私は基本的に見ない派。一部例外はありますが、エンドロールが始まったらさっさと出ていきます。
すると、やはりというべきか、そんなのは映画ファンとしてあるまじき行為という人が現れました。山口弘剛という映画評論家なのか何なのかよく知らない人です。
その山口さんの「なぜエンドロールの最後まで見るべきか」の理由は以下の通り。
①エンドロール中にはおまけ映像がある
②映画製作に携わったスタッフ、ロケ地、製作会社をチェックできる
③BGMとともに余韻に浸りつつ、現実に戻る準備をする
④エンドロールまでが作品
ひとつひとつ反論しましょう。
①エンドロール中にはおまけ映像がある
確かにあります。ありますが、私はあれ、反則だと思う。マーベル映画とか特にそうですが、最後の特典映像みたいなのを見せるために長い長いエンドロールを見せられるこっちの身にもなってほしい。
マーベルでなくともおまけ映像がありますが、あれは観客に対して失礼。
山口さん自身が言っています。「約束が控えている」「トイレに行きたい」「出口の混雑を避けたい」などの理由でエンドロールを見れない事情を抱えた人もいる、と。
そういう事情を抱えた人に対して失礼じゃないかと思うわけです。出ていく人はみんな「もう終わり」と思って出ていくんだから。
エンドロールが始まってすぐ、画像のようにおまけ映像を出してくれるぶんにはいいんですけどね。いったん、もう終わり、みたいになったあとに後出しじゃんけんみたいに出してくるのは感心しません。
②映画製作に携わったスタッフ、ロケ地、製作会社をチェックできる
私がエンドロールを最後まで見る例外は、主に日本映画です。かつて撮影所で働いていたし、専門学校時代の友人や先輩・後輩などがクレジットされている場合があるので、それを見ます。ロケ地がどこか知りたい場合もある。(映画がひどくつまらなかった場合は容赦なく出ますが)
しかし、それはあくまでも自国の映画の場合であって、基本的に外国映画には知りあいの名前など出ないので、さっさと家路につきます。
そりゃ見たい人は見ればいい。山口さんは「エンドロールの最後まで見るべき理由」と言ってますが、私は「最後まで見るべきでない」なんて少しも思わない。人それぞれ自由にすればいいんです。
そりゃ、ガサガサ音を立てられるのが困るというならわかります。私も音をたてないように気をつけてるし、スクリーンに自分の影が映らないようにも配慮してます。当たり前だけど。でも、それをしてるなら別にいいんじゃないの? 山口さんが言ってるのはそういうことじゃなくて純粋にエンドロールを最後まで見るべきということなんでしょ。それは違うと思う。
3つ目の理由には爆笑しましたよ。
③BGMとともに余韻に浸りつつ、現実に戻る準備をする
「BGMを聴いて余韻に浸る」だけならわかります。私も同様の理由で最後まで聴いてから帰ることもある。
しかし、この「現実に戻る準備をする」というのには笑いました。子どもじゃないんだから映画を見てるとき現実から遊離してるんですかね? 私は醒めてる人間だからですかね、映画に没入したことが一度もないんです。
いや、たった一度だけ、映画に狂うきっかけとなった一本『明日に向って撃て!』だけは没入しました。でも、それからは、このカットはどうやって撮ったのか、なぜこのセリフが必要なのか、作った人の意図は何なのか、そんなことばかり考えて見るようになったので、映画と現実の区別とかそういうことがよくわからないのです。映画を見てても現実の中にいるので。
というか、映画を見ている自分をもう一人の自分が後ろから見ているときがある。
何もすべての人にそんなふうに醒めた状態で映画を見ろとは言いません。むしろ、没入したほうが面白いでしょう。しかし子どもじゃないんだから、エンドロールの数分がないと現実に戻れないようでは大人として生活できないのでは? と心配になってしまいます。
④エンドロールまでが作品
これもよくわかります。私が映画製作全般にかかわったのは専門学校時代の卒業製作だけですが、最後に流れる歌のバックコーラスを歌ったり、録音技師だったので最終的にはミキシングをしたり、エンドロールも魂こめて作りました。
しかしながら、だからといって、あの作品のエンドロールで立った人がいたかどうか憶えてませんが、仮にいたとしても、作者に対して失礼だとか、敬意が足りないなんて少しも思わなかったでしょう。
逆に、早く席を立ったぶん感想聞かせてほしいと詰め寄ったかも。
というわけで、山口さんという人も自分の価値観を押し付けるつもりはないと言ってはいますが、そう言いながらも結構押しつけ感があったので反論しました。
以下は私の妄想です。
かつては最後まで見る派は超少数派だった
あれは『ターミネーター2』を見に行った夏だから、いまからちょうど32年前。
映画本編が終わって、当時は映画マニアを気取って最後まで見る派だった私は(そうです。そんな頃もありました)いつものように最後まで見ようと席でじっと画面を見つめていたら、横で普段はろくに映画館に来なさそうな人が、「これ最後まで見るのが通らしいぞ」と笑っていました。
私は何とも恥ずかしくなって居心地が悪くなったのをよく憶えています。
そうなんですよね。昔は最後まで見る派ってかなり少数派でした。別のもっとマイナーな映画を見に行ったときなんか、エンドロールも半ばを過ぎた頃に、映画館のおばちゃんが掃除を始めて、客は私一人だったため「お兄ちゃん、まだ帰らへんの?」と迷惑そうに(最終回だったからでしょう)言われたのも憶えています。
家族や友人から「何で最後まで見るの?」と言われたこともしばしば。逆に、いまは「なぜ最後まで見ないのか」と言われる。何か私はいつでもどこでも少数派だニャ。
というか、いま映画館の観客が減ってるのはこういうところにあるんじゃないでしょうか。
映画マニアが自分たちの価値観を普通の観客にも押しつけようとするから、コロナもあったし配信サイトも充実しているいまなら別に映画館に行かなくても……となるのは必定でしょう。
メジャーな映画館にもマイナーな映画館にも、どちらも年に100本近く見る映画マニアしか来てないような気がする。
マナーに関してもひどくうるさくなりましたよね。食べ物持ち込みOKと公言している映画館でも持ち込みは好ましくないと思っている人が多数派というのは、何それといった感じ。私は持ち込みダメと言ってる映画館でも平気で持ち込んでますがね。当たり前じゃないですか、そんなの。飼い馴らされていけない。
これが、「エンドロールは最後まで見ましょう」なんて推奨する映画館が出てきたら、最後まで見ない私のような人間は駆逐されるのでしょうか。エンドロール警察。
あーいやだいやだ。
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その山口さんの「なぜエンドロールの最後まで見るべきか」の理由は以下の通り。
①エンドロール中にはおまけ映像がある
②映画製作に携わったスタッフ、ロケ地、製作会社をチェックできる
③BGMとともに余韻に浸りつつ、現実に戻る準備をする
④エンドロールまでが作品
ひとつひとつ反論しましょう。
①エンドロール中にはおまけ映像がある
確かにあります。ありますが、私はあれ、反則だと思う。マーベル映画とか特にそうですが、最後の特典映像みたいなのを見せるために長い長いエンドロールを見せられるこっちの身にもなってほしい。
マーベルでなくともおまけ映像がありますが、あれは観客に対して失礼。
山口さん自身が言っています。「約束が控えている」「トイレに行きたい」「出口の混雑を避けたい」などの理由でエンドロールを見れない事情を抱えた人もいる、と。
そういう事情を抱えた人に対して失礼じゃないかと思うわけです。出ていく人はみんな「もう終わり」と思って出ていくんだから。
エンドロールが始まってすぐ、画像のようにおまけ映像を出してくれるぶんにはいいんですけどね。いったん、もう終わり、みたいになったあとに後出しじゃんけんみたいに出してくるのは感心しません。
②映画製作に携わったスタッフ、ロケ地、製作会社をチェックできる
私がエンドロールを最後まで見る例外は、主に日本映画です。かつて撮影所で働いていたし、専門学校時代の友人や先輩・後輩などがクレジットされている場合があるので、それを見ます。ロケ地がどこか知りたい場合もある。(映画がひどくつまらなかった場合は容赦なく出ますが)
しかし、それはあくまでも自国の映画の場合であって、基本的に外国映画には知りあいの名前など出ないので、さっさと家路につきます。
そりゃ見たい人は見ればいい。山口さんは「エンドロールの最後まで見るべき理由」と言ってますが、私は「最後まで見るべきでない」なんて少しも思わない。人それぞれ自由にすればいいんです。
そりゃ、ガサガサ音を立てられるのが困るというならわかります。私も音をたてないように気をつけてるし、スクリーンに自分の影が映らないようにも配慮してます。当たり前だけど。でも、それをしてるなら別にいいんじゃないの? 山口さんが言ってるのはそういうことじゃなくて純粋にエンドロールを最後まで見るべきということなんでしょ。それは違うと思う。
3つ目の理由には爆笑しましたよ。
③BGMとともに余韻に浸りつつ、現実に戻る準備をする
「BGMを聴いて余韻に浸る」だけならわかります。私も同様の理由で最後まで聴いてから帰ることもある。
しかし、この「現実に戻る準備をする」というのには笑いました。子どもじゃないんだから映画を見てるとき現実から遊離してるんですかね? 私は醒めてる人間だからですかね、映画に没入したことが一度もないんです。
いや、たった一度だけ、映画に狂うきっかけとなった一本『明日に向って撃て!』だけは没入しました。でも、それからは、このカットはどうやって撮ったのか、なぜこのセリフが必要なのか、作った人の意図は何なのか、そんなことばかり考えて見るようになったので、映画と現実の区別とかそういうことがよくわからないのです。映画を見てても現実の中にいるので。
というか、映画を見ている自分をもう一人の自分が後ろから見ているときがある。
何もすべての人にそんなふうに醒めた状態で映画を見ろとは言いません。むしろ、没入したほうが面白いでしょう。しかし子どもじゃないんだから、エンドロールの数分がないと現実に戻れないようでは大人として生活できないのでは? と心配になってしまいます。
④エンドロールまでが作品
これもよくわかります。私が映画製作全般にかかわったのは専門学校時代の卒業製作だけですが、最後に流れる歌のバックコーラスを歌ったり、録音技師だったので最終的にはミキシングをしたり、エンドロールも魂こめて作りました。
しかしながら、だからといって、あの作品のエンドロールで立った人がいたかどうか憶えてませんが、仮にいたとしても、作者に対して失礼だとか、敬意が足りないなんて少しも思わなかったでしょう。
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