若松英輔さんの詩集『愛について』を読みました。
この詩集を読んで一番強く思ったことは、「言葉」には二人称しかないのではないか。ということでした。いや、若松英輔さんふうに言えば、「言葉」じゃなくて「コトバ」でしょうか。「二人称のコトバ」。
まさに二人称の「あなた」と題した詩があります。
「あなた」より
ひとよりも
優れていたい そう強がる
あなたには
興味がない
わたしは あなたが
ほんとうのあなたで
いるときが
好きだから
他にも「あなた」という二人称が出てくる詩はたくさんあります。
「不条理」全文
あなたをおもうと
今日も眠れない けれど
あなたに
会えるのは
夢の中なかだけ
「弱い人」より
ほんとうの姿を
見せてください
わたしなしでは
生きていけない
弱い あなたを
「よろこびの泉」より
あなたを
知らなければ
わたしは こんなに
苦しむことはなかった
あなたに
出会わなければ
わたしは こんなに
悲しむこともなかった
などなど。
この詩集では、若松さんの亡くなった奥さんに向けて書かれた詩が多いからか、必然的に「あなた」という二人称に向けた詩ばかりになっています。
なぜ私が二人称にこだわるかというと、最近読んだ養老孟子先生の『人生論』という本に、
「死には二人称の死しかありえない」
と書かれていたからです。
一人称の死はもちろん自分の死。でも、自分が死んだときは当然自分自身が死んでいるんだからその死を語りようがない。三人称の死は抽象的すぎて語れない(コロナの今日の死者数というのがこれに当たるとか)。だから死には二人称しかない。「あなたの死」しかありえないのだ、と。養老先生の本を読んだだけでは理屈としてしか理解できなかったことが、この詩集を読むことで初めて理屈ではなく「死には二人称の死しかない」と腑におちたのです。
若松さんはいろんな本で、
「文章はうまく書こうとすると書けないものだ」
と書かれていますが、それってつまり、うまく書こうとすると二人称のコトバが書けなくなるということではないか。二人称のコトバを書けてこそ初めて他者に届く言葉になる、と。
私はあなたにこういうことを訴えたいのだ、こういうことを伝えたいのだ、という熱い想い。それを大事にしたときに初めて文章が書ける。それは脚本家を志しながら、いまはブログ書きに身をやつしている私が痛切に感じていることです。
「あなた」へ向けたコトバを書けるか否か。それが文章が書けるようになるかどうかの分水嶺だと思います。
さて、この詩集で私の一番好きな詩。
「車窓」全文
電車で
並んで座り
だまったまま
風景を
見つめていた
あの日
あれが
わたしの
ずっと
探していた
幸せだった
いまになって
ようやく
気がついた
かけがえのない
消えることのない
永遠のとき
ここに「あなた」という言葉はいっさい出てこないけれど、「あなた」へ向けたコトバは満載ですよね。
私にとって「二人称の詩」の最高傑作です。
「愛しみ(かなしみ)」を感じた者だけが書ける、二人称のコトバを追求していきたい。
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若松英輔さんの詩集3冊を読んで感じたこと(『幸福論』を中心に)
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まさに二人称の「あなた」と題した詩があります。
「あなた」より
ひとよりも
優れていたい そう強がる
あなたには
興味がない
わたしは あなたが
ほんとうのあなたで
いるときが
好きだから
他にも「あなた」という二人称が出てくる詩はたくさんあります。
「不条理」全文
あなたをおもうと
今日も眠れない けれど
あなたに
会えるのは
夢の中なかだけ
「弱い人」より
ほんとうの姿を
見せてください
わたしなしでは
生きていけない
弱い あなたを
「よろこびの泉」より
あなたを
知らなければ
わたしは こんなに
苦しむことはなかった
あなたに
出会わなければ
わたしは こんなに
悲しむこともなかった
などなど。
この詩集では、若松さんの亡くなった奥さんに向けて書かれた詩が多いからか、必然的に「あなた」という二人称に向けた詩ばかりになっています。
なぜ私が二人称にこだわるかというと、最近読んだ養老孟子先生の『人生論』という本に、
「死には二人称の死しかありえない」
と書かれていたからです。
一人称の死はもちろん自分の死。でも、自分が死んだときは当然自分自身が死んでいるんだからその死を語りようがない。三人称の死は抽象的すぎて語れない(コロナの今日の死者数というのがこれに当たるとか)。だから死には二人称しかない。「あなたの死」しかありえないのだ、と。養老先生の本を読んだだけでは理屈としてしか理解できなかったことが、この詩集を読むことで初めて理屈ではなく「死には二人称の死しかない」と腑におちたのです。
若松さんはいろんな本で、
「文章はうまく書こうとすると書けないものだ」
と書かれていますが、それってつまり、うまく書こうとすると二人称のコトバが書けなくなるということではないか。二人称のコトバを書けてこそ初めて他者に届く言葉になる、と。
私はあなたにこういうことを訴えたいのだ、こういうことを伝えたいのだ、という熱い想い。それを大事にしたときに初めて文章が書ける。それは脚本家を志しながら、いまはブログ書きに身をやつしている私が痛切に感じていることです。
「あなた」へ向けたコトバを書けるか否か。それが文章が書けるようになるかどうかの分水嶺だと思います。
さて、この詩集で私の一番好きな詩。
「車窓」全文
電車で
並んで座り
だまったまま
風景を
見つめていた
あの日
あれが
わたしの
ずっと
探していた
幸せだった
いまになって
ようやく
気がついた
かけがえのない
消えることのない
永遠のとき
ここに「あなた」という言葉はいっさい出てこないけれど、「あなた」へ向けたコトバは満載ですよね。
私にとって「二人称の詩」の最高傑作です。
「愛しみ(かなしみ)」を感じた者だけが書ける、二人称のコトバを追求していきたい。
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