WOWOW製作、沖田修一監督、松田龍平主演による『0.5の男』は全5話のうちもう2話が終わってしまい、半分見たようなもんですが、結末にかけて期待と不安が入り交じってしょうがない。というわけで、大いに注文したいことがあります。


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松田龍平演じる40男は引きこもりであり、実家の二階で深夜にゲームをし、昼日中に起きて来て一番の理解者である母親と二人きりで朝ご飯を食べる男。

妹夫婦とその二人の子どもと一緒に二世帯住宅ならぬ、彼を0.5世帯と見なして2.5世帯住宅を作るところから物語は始まり、それがタイトルの所以なのですが、引きこもりとかニートとか、そういうのを温かく見守っているところがいい。私もかつてはニートで引きこもりだったし、実はいまもそう。

しかし、そんな個人的な事情はともかく、この『0.5の男』には、これまで引きこもりを扱ったどの映画やテレビドラマよりも、引きこもりをポジティブに扱ってほしい。それが「多様性」というものであり、そうでないと、いま引きこもりを扱う理由がなくなってしまう。

4年前の10月期に、生田斗真が引きこもりを演じる『俺の話は長い』という連ドラがありましたが、あれは、ニートで引きこもりのくせに、やたら態度がでかく、引きこもっているのを当然のような顔をした、やたら理屈っぽい男が主人公でした。あれも原田美枝子がやたら理解度の高い母親を演じていたけど、結局最後は、生田斗真がスーツを着て面接を受けに行く姿に仲間たちが拍手して送りだすという、「引きこもりはいつか家の外に出なくてはならない」「人は社会に出て働かなければならない」という社会通念に負けてしまった非常に残念な結末でした。

いや、私だってその手の社会通念が間違ってるとは思いません。いまは医者に職探しを止められているとはいえ、そろそろ働かないとお金が大変だとか、それは思います。何だかんだ言ったって金がなければ生きていけない。贅沢もしたい。

いや、でも、私がここで言いたいのはそういうのとは次元が違う。

『0.5の男』2話で、甥っ子と仲良くなった松田龍平が「多様性だよ、多様性」と言いますが、それも理由のひとつだし、それより大きいのが、フィクションの世界でくらい社会通念をうっちゃってほしいんですよ。それが「夢」というやつです。

だって、もし働いてそれでハッピーエンドだと、働かない奴は何の役にも立ってないからだめだってことになっちゃうじゃないですか。その新自由主義的な考え方をを撃ってほしいんです。

そりゃ、「働かない奴はだめだ」「働いてほしい」と思う人がこの世の大半なのは認めます。

が、だからといってそのような社会通念に負けてほしくない。何の役にも立ってないけど、あなたには生きててほしいんだ、というメッセージを打ち出すことのほうがよっぽど難しくて、かつ、尊いことだと思います。

妹の臼田あさ美の長女が中学でいじめられたり(⇐このいじめのシーンがとてもユニーク)、長男の甥っ子も保育園に行きたくないと駄々をこねたり(⇐これが縁で松田龍平と仲良くなる)だんだん、みんな引きこもりへの契機を得そうですが、その代わり、肝心要の松田龍平は少しずつ外の世界になじみつつあり、いやな予感。保育園の西野七瀬先生とどうなるのか。まさか好きな女ができて外へ出る!? それはいやだなぁ。(それにつけても西野七瀬は出番が少なくても画面をさらっていくなぁ。天性の女優か)


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とにかく、最終的にまた引きこもりに戻る、何の成長もしない。そんな物語を見せてほしいです。温かく扱わなくていい。周りの人物はもっと彼に牙をむいていい。主人公を甘やかしちゃいけない。厳しくして、それでいてポジティブに扱い、引きこもりを肯定的に捉える結末だったらそれでいい。










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