山田太一さんによる昭和の名作テレビドラマ『男たちの旅路』第3部第2話「墓場の島」。


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物語を簡単に記すと、次のようなものです。

「ぽっと出の新人歌手が、自分を金づるとしか思わないマネージャーの強権的態度に嫌気が差し、抜き打ちで引退することを決意するが、できずじまいに終わる」

最後の引退できなかった理由は何でしょうか? やはり高松英郎マネージャーの言うように、鳥取の四畳半で暮らしていた人間が東京でのマンション暮らしを捨てられるわけがなかったからでしょうか。

この物語を読み解くカギは冒頭の20分にあると私は思います。


喜劇的な冒頭20分の意味
戸のべ竜作という根津甚八演じる新人歌手を警護するために、水谷豊が派遣されるんですが、チビだからダメだとクビになります。もっと高見山みたいな大男に警護されていると戸のべ竜作の格も上がると。

しかし、最初にそういう条件をつけなかった、そして水谷豊に何も落ち度がなかった以上、「自分に落ち度はない。自分を使ってほしい」と主張してこいと鶴田浩二は言います。

そしてまた無茶な理由でクビになってしょんぼりしている水谷豊に対し、鶴田浩二は窓を向いて「それでおまえ、黙って帰ってきたのか」と言う。

ここはもう爆笑ですよね。山田太一さん、コメディもうますぎるほどうまい。素晴らしい。

などと感心している場合ではなく、ここが戸のべ竜作が引退できなかった理由の伏線だと思うのです。

水谷豊が一番警備が薄くなってもいい時間帯にたった15分だけ食事をとった。その時間に戸のべ竜作が刺された。高松英郎マネージャーは水谷豊を殴りクビにする。落ち度がなかったうえに殴った。鶴田浩二は「言うべきことは言わねばならない」と高松英郎に直談判しに行きます。

そこで二人が特攻隊仲間だということがわかるわけですが、それはいまは措くとして、「警備員として言うべきことは言わねばならない」の「警備員」を「戸のべ竜作」に置き換えると、「いったん引退を口にした以上、引退せねばならなかった」ということになりましょう。

でも、鶴田浩二と対峙したときに戸のべ竜作は何度も言いますが、「俺だってそんなに強くないんだよ」と。水谷豊も強くないし、イケメンを理由にクビになった柴俊夫だって強くない。もっといえば金井大先任長だって強くない。「強いのはなんたって金もってる人間だよ」と言いますからね。

みんな弱いんですよ。みんなが吉岡司令補みたいに強いわけがない。言うべきことを言えるわけじゃない。


初めて吉岡司令補の言葉に納得できない
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つまり、彼は弱かったからライブ会場で引退を口にできず、いつもと同じように「墓場の島」という歌をつぶやくように歌う。自分の歌じゃないと言いながら。

そりゃ、東京での華やかな暮らし、ファンからキャーキャー言われる生活にいつまでもしがみついていたいという色気もあるでしょう。彼自身、金はほしい、女もほしいと言いますからね。

それに引退すると、チラッと出演していたキャンディーズのように、後始末やら何やらを含めて実際に引退するまで数か月はかかる。それが面倒だというのもあったのかもしれない。

いずれにしても、水谷豊が自分の正当性を主張できなかったように、彼も高松英郎が自分をただの金づるとしか思っていないからやめると言ったのに、言えなかった。その弱さはよくわかります。

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最後のシーンで、水谷豊が彼をかばう発言をします。そして鶴田浩二は「いったん引退すると言った以上、引退すべきだった。歌うべきではなかった」と言うんですが、私はこのシリーズで初めて鶴田浩二の言葉に納得できず、水谷豊の言葉に共感してしまいました。

「筋を通すべきだった」と鶴田浩二は言います。繰り返しますが、そんなに人間みんな強いわけじゃない。戦中派であり、国のために死のうと仲間と言い合っていた元特攻隊ならそう思っても不思議ではない。特攻隊に配属された以上、立派に死ぬと決めて他の者はみんな死んでいった。それが「筋を通す」ことだと。

しかし、特攻隊員として死ねず、戦争をいまだに引きずる鶴田浩二は、あの戦争で筋を通せなかったことを負い目に生きている。だが、同じ生き残りの高松英郎マネージャーは「昔のことだ。あの頃はみんな頭がボーっとなってたんだ」と神経を逆なですることを言う。鶴田浩二はそれで戸のべ竜作に「引退しなさい」と諭します。高松英郎が彼の戦友でなければ、あのようなスピーディーな展開は不可能でした。

高松英郎が同じ特攻隊員という設定はだから必要だったんですね。もし鶴田浩二の心変わりに時間をかけるなら、物語に直接関係ない冒頭20分を削るしかない。でも、それをすると、笑いの中でテーマを深化させるという高度なテクニックが失われます。

高松英郎が戦友という「偶然」に最初は鼻白みますが、これが実は高度な作劇術だとわかったときは「さすが山田太一さん!」と膝を打ったものです。

が、しかし、これまで戦中派でいまどきの若者が嫌いだと言っていた吉岡司令補の、戦中派ならではの筋の通し方に初めて納得いかなかったというか、彼が「時代の遺物」のように感じられたのも事実。

それが、第3話「別離」での、あれだけ求愛する桃井かおりを抱いてやれなかったことに通じるのかな、と思った次第です。


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墓場の島
Nippon Columbia Co., Ltd.
2021-04-21



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