以前こんな日記を書きましたが(⇒躁うつ病は難しい)改めて、躁うつ病は難しいと実感しています。

母親がちょっと前から鬱だったんですが、長いトンネルを抜けて鬱を脱却しつつあるんですね。

そのこと自体は慶賀なのだけれど、鬱を脱却するとその次は躁が待っている。そして躁のあとにはまた鬱が。ただのうつ病や、私が以前に患っていた神経症という病気なら、「通常」の状態と「うつ」しかないので、鬱を脱却できたら万々歳で、そのあとを警戒する必要などなかったのですが、いまは違う。

実際、母は友人と奈良まで行く約束をしており、本当に大丈夫なのかと問いただしたけど、本人は行く気満々なので、止めたら怒ると思ってそれ以上は何も言っていません。

さっきも庭仕事に精を出しているのでかなり上がってきている模様。それ自体はいいのだけど、躁うつ病の場合、この上がるというのが非常に厄介。

精神疾患に疎い人は「躁? いいじゃないですか。楽しいんでしょ?」とあっけらかんと言ってくれるが、それがどんなに危険なことか身をもって感じてもらいたい。躁のあとの鬱はめちゃきついのである。一度みんな死にたくなるくらいの鬱を経験すべきと思う。


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母の話はそれぐらいにして、私の話。

「躁」と「うつ」と「通常」しかない母と違って、私は、「うつ」のときでも「躁」的になることがある。

画像にあるように、鬱の時期なのに躁になることがあるんですよ。例えば、昨日、若松英輔さんの本の感想を書いたら、他でもない著者からいいねされてしまい、興奮して眠れなくなった。だから、気分を上げる薬を飲んでおきながら、抑える薬も同時に飲まないといけない。でないと眠れない。それ以前に、躁になったら鬱が待っているからそれを未然に防がないといけない。

ここが難しいところ。いま長い鬱の期間なんですが、躁的になるから薬の量を調節しないといけないんだが、この調節が難しい。医者から「そうではなく、こういうふうに飲んでください」「こういうふうに調節してください」とこないだも怒られたばかりで、経験が浅いからよくわからない。

それなりに学んでいっているけれど、まだ「なぜ躁うつ病になんかなったのか」「長く経験していた神経症が懐かしい」なんてどこかで思っているから、本気で病気と対峙しようとしていないのかもしれない。長く経験した神経症に安住しようとしてないか。

しかし、「躁」がないだけ神経症のほうが楽だし簡単なのは間違いない。躁うつ病は上述の通り、薬の調節が難しいのだ。リチウム塩が成分のリーマスという薬なんか飲んでると、ちゃんとリチウム塩の量が血管内に足りてるかどうか血液検査があったりする。精神科で血液検査なんか初めてでした。


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母と同じく、上がってきていること自体は慶賀。今週末くらいにはリハビリがてら2か月ぶりの映画に行こうかと画策中。

だから次、医者に行くときは、長らく禁じられてきた職探しを解禁していいかどうか訊いてみるつもりです。

仮にOKが出たとしても、首尾よく職が見つかったとしても、そこで躁になったりしないか。仲のいい人ができたら躁になったりしないかと心配。何度も言うが、躁は鬱の前触れなのだ。少しもいいことない。

とまぁ、私は先々のことを心配しすぎる傾向がある。これはよくない。よくないが性分でもある。しゃーない。

考えてみれば、母が始めて躁うつになったときは、とんでもない躁でご近所に迷惑かけたり大変だった。そのあと深い鬱に落ち込んだけど、最近は躁の山や鬱の谷がそれほど高くも深くもなくなったみたい。

だから、私も、いまは長い鬱の時期だけど、これを脱して何度か躁と鬱を繰り返せば「通常」の時期が長くなる、つまり働けるということなのだろうか。

何ていうか、この前、ゴールデンウィークに友人と会ったときにも言ったのだけれど、仕事はおろか職探しもダメと言われ続けていると、自分が役立たずになったようでつらいのです。社会から引きこもっているいまの状況を脱したい。(実家に帰ってきて社会から孤絶している感覚はだいぶ薄らいだのはありがたいことですが)

躁だ何だといっても、まずは気分を上げないことには始まらない。その第一歩、大好きな映画を1本見れるかどうかがポイント。『シン・仮面ライダー』みたいに20分で退散することになったら職探しなど夢のまた夢。だから、いまからちょっと筋トレします。膝も痛いのでマッサージなど。


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