ツイッター界隈では、「カップルが一組いて、席がどうしても離れ離れになる。そこである人に『席を譲ってください』と頼んだ。頼まれた人は譲るべきか否か」みたいな議論があって、私は譲るべきだとは思わないけど、相手のことを少しも考えずに無下に断るのもどうかという立場です。


「何だこいつら」とは思う

これに一番近いかな。「何だこいつ」とは思う。でも、カップルに挟まれて見るのは何か気になっていやだし、断るのは重荷。いやな思いして映画見たくない。

だって、向こうも隣同士で見たいだろうし、私は私で早くからいい席を予約してるのだが、そこで、隣同士で見たいなら同じように発売と同時に予約しろとは言えない。急にデートすることになったのかもしれないし、人それぞれ事情がある。

何かこの議論を見ていると、みんな大事なことに気づいてないような気がします。

早くにその席を予約した映画ファンと、その席を譲ってほしいというカップルは「目的が違う」ということです。


「いい席で見たい」と「隣同士で見たい」
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「発売と同時にいい席を予約してるんだ!」と映画ファンたちは息巻いているけれど、カップルはいい席で見たいんじゃなくて、隣同士で見たい、ということなんでしょ。

それなら、双方の目的が違うので、自分の言い分ばかり主張するのはどうかと思う。自分とは違う目的で見に来てる人に対して自分の基準だけをもちだすのはいかがなものか。相手の身になって考えてあげたらいいと思う。

例えば、「私はいい席で見たいからその席譲ってください」というのは完全にアウトでしょう? これは「いい席で見たい」という同じ目的がかち合っているからです。

でも目的が違う者同士なら、もっと相手のことを慮ったらいいと思います。

もちろん、カップルのほうもですよ。↓これは重要だと思います。↓


そう、お金。「ハウ・マッチ?」と聞くべし、というより、カップルのほうからいくばくかのお金を出すべきでしょう。人に迷惑かけてるんだから。丁重にお願いして、お金を出せば、私は「譲って」とお願いするの、ありだと思う。ただ、私は譲ったとしてもたぶんお金は受け取らないかな。いや、貧乏だから受け取るか。ま、そこはどっちでもいいと思います。

というか、相手の身に立つという想像力の使い方を知らずに、よく映画を見ているな、と思う。そんな貧弱な想像力では、映画見たって理解できないと思うんですが。


それと、↓これ。↓

何かカップルに対する憎悪を感じるのは私だけでしょうか。上述したように突然デートすることになったかもしれないわけで、そこを抜きに親子連れにだけ「計画通りにいかないから仕方ない」と理解を示すのってどうなんでしょう?

いくら相手のことを考えても席を譲りたくないと思う人は譲らなければいいと思う。

でも、私はそういう人間になりたくはありません。



映画館と観客の文化史 (中公新書)
加藤幹郎
中央公論新社
2014-07-11


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