不朽の名作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を再見しました。この映画を語るときに人があまり語らなことについて書きます。


『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985、アメリカ)
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脚本:ロバート・ゼメキス&ボブ・ゲイル
監督:ロバート・ゼメキス
出演:マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイド、リー・トンプソン、クリスピン・グローバー


どっちがメイン?
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この映画は二つのプロットを扱っています。どちらがメインプロットでしょうか。

①1985年から55年の世界へタイムスリップした主人公マーティが、誤って両親の出会いを阻害し、あろうことか母親に惚れられてしまう。何とか両親の出会いを作って85年へ帰りたい。

②タイムスリップのときにタイムマシンを発明したドクがテロリストに殺される。55年のドクにその事実を知らせて何とか殺されることを回避したい。

普通に考えれば①ですよね。マーティは85年の人間だし、85年に帰ろうとするプロットがメインプロットになるのが普通でしょう。

でも、ドクの死も85年の出来事であり、①が解決したあとに②が解決します。普通、サブプロットを解決したあとにメインプロットの解決が来るものじゃないか。

と、いろいろ考えられます。私にはどちらがメインかわかりません。①だとは思うけど。

ただ、どっちがメインプロットかよりも、もっと大事なことがあります。過剰プロットと喪失プロットです。


過剰プロットと喪失プロット
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過剰物がプロットを動かすのが過剰プロット。
何かを喪失することでプロットが動くのが喪失プロットです。

例えば、この映画でいうなら、55年に行ったマーティは明らかな過剰物ですよね。母親にとっても、父親にとっても、いじめっ子ビフにとっても、ドクにとってすら、マーティは過剰物です。それが両親の出会いを阻害し、母親に惚れられるという可笑しなプロットを生んでいます。

逆に、ドクが殺されるのは喪失プロットです。誰かがいなくなった、死んでしまった、何かをなくした、それらが物語を動かすのが喪失プロットです。

過剰プロットと喪失プロットのどちらがメインプロットかは特に大事なことだと思いません。

大事なのは、マーティが過剰プロットと喪失プロットの両方を生きている、ということです。

自ら過剰物として両親の出会いを阻害し、ビフたちとやりあい、85年に帰ろうとする。その同じ人物が、ドクという30年後の世界では殺される人物に何とかその事実を知らせ、殺害されることを回避しようとする。

言ってみれば、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とは、「主人公が過剰物としての自らを30年後に送り返すことによって、喪失したものを取り返す物語」と言えるかもしれません。(じゃあ喪失プロットのほうがメインなんですかね?)

さて、この映画であまりだれも語らないことがもうひとつあります。次元転移装置です。


次元転移装置
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かつて専門学校時代の友人が、タイムトラベルのシナリオを書いていました。読んでみると、「時間は人の心の中を流れている。だから、心の中の糸をたどることで過去にも行けるし未来にも行ける」みたいな説明が書いてあって、白けた私は言いました。いくらそんな理屈を並べても、映画を見る人には響かないだろう、と。

それより、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の次元転移装置ですよ。

この次元転移装置で大事なのは、タイムトラベルには落雷やプルトニウムと同じエネルギーが必要と言いながら、肝心要の次元転移装置がいったいいかなるメカニズムによる装置なのかという説明が一切省略されていることです。

一番大事なところを省略しても、落雷と同じエネルギーと聞くと「それだけのエネルギーがあれば行けそうだ」と思わせてしまう。

「何だかすごそう」と思わせてしまえば勝ちなのです。

ハリウッド映画はこういう大胆な省略がうまいですよね。やはり映画の模範です。

というわけで、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を語るときに人があまり語らないことを書いてみました。



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