山田洋次監督による不朽の名作『遙かなる山の呼び声』を約20年ぶりに再見したのですが、巧妙な脚本構成に唸りました。(以下ネタバレあります)


『遙かなる山の呼び声』(1980年、日本)
50006662_series_art__768x2048 (1)

脚本:山田洋次&朝間義隆
監督:山田洋次
出演:倍賞千恵子、高倉健、吉岡秀隆、ハナ肇、武田鉄矢


主役はどっち?
00be58cf

さて、この映画、高倉健と倍賞千恵子のうち、どちらが主役でしょう?

二人とも主役というのはありえまえん。主役は一人だけです。準主役というのもありえません。あれは映画評論家か誰かが勝手に作った用語でしょう。脚本の入門書に「準主役」なんて言葉はまったく出てきません。

答えを言いましょう。『遙かなる山の呼び声』の主役は倍賞千恵子です。流れ者の高倉健を受け入れたはいいけど最初は気味悪がってた彼女が、働いてもらううちに惚れてしまい、最後には求婚するに至るまで変化する。

この映画は倍賞千恵子の変化を描いているのだから、彼女が主役です。高倉健はまったく変化しないのだから主役であろうはずがありません。


ヒーローは誰?
640

脚本的には「主役は倍賞千恵子」でいいですが、神話的にはどうでしょうか。神話とは「英雄の旅=ヒーローズ・ジャーニー」のことですが、この映画の「ヒーロー」は誰でしょう。この映画の真の問題を解決する者とは?

普通に考えればこうでしょう。 

この映画における最大の「問題」は殺人犯(正確には傷害致死犯)の高倉健が警察に追われていることである。彼の兄は、弟が殺人犯というだけで教職の座を追われ、いまはちっぽけな塾をやっている。兄ですらそうなのだから、高倉健自身は捕まったらまともな人生は送れません。だから逃げている。

そんな彼に、牧場を売り、息子と二人で都会へ出て、数年後に出所する高倉健をひそかに待っていると、網走刑務所に連行される高倉健に告白しに来る倍賞千恵子とハナ肇の芝居には何度見ても泣かされますが、あの告白が、あなたを待っています、あなたには帰ってくるところがあるんです、という言葉が、高倉健を救う。刑事までもらい泣きしてるのだから、あれ以上の名シーンがあろうか、と言いたくなるほどの名シーン。

そう、この映画のヒーローは倍賞千恵子。主役とヒーローが一緒という、ごく普通の映画と同じ構造である。

……本当にそうでしょうか? 

この映画がはらむ「問題」は高倉健が犯罪者ということなのでしょうか? 私は違うと思う。この映画はもっと複雑な構造を秘めています。

この映画が解決すべきとして設定している「問題」は倍賞千恵子が抱えているものです。そして、主人公・倍賞千恵子を助けるつもりで雇ってもらった高倉健が、彼女が抱える「問題」の傷口をどんどん広げてしまうのです。


倍賞千恵子の「問題」
yamada06_harukanaru (1)

倍賞千恵子は自分の馬にも乗れない。

亡夫がやっていた農場を女手一つで切り盛りしている。近所の人たちは「あの人がいつ辞めるか」と噂している。新妻を連れて訪ねてきた従弟の武田鉄矢は、帰り際の車中で「あの人、何かかわいそうなんだよね」と涙を拭う。

倍賞千恵子は北海道開拓団に行く亡夫と結婚するといい、親戚じゅうから反対され、いざ行くとき、見送りに来てくれたのは武田鉄矢だけだった。そして夫が亡くなる。亡くなる前に「いざというときは、牧場を売って都会に出たらいい」と言ってくれたというが、やはり、親戚じゅうから反対されたのが原因でしょう、意地でも牧場を辞めるとは言わない。

でも、好きな高倉健には本音を言います。

「正直言うとね、つらいわぁ。冬の冷たい風に吹き飛ばされるときなんか、もう辞めよう、辞めてしまおうと思うんだけど、春が来たら、今年こそ何とかなるんじゃないかと思って、続けてるの」

辞めたいんですよね。それ以前に彼女には無理なんです。やはり牛飼いは力仕事なので。農協でヘルパーを雇うとかなりの給料を払わねばならず、それは零細農家には無理。だから給料いらないという高倉健の申し出を断ることができなかった。

その「私には無理かもしれない」という気持ち、彼女が抱える「問題」を高倉健が増幅するのです。

倍賞千恵子がぎっくり腰になったときには、「あの人がいてよかったね」と言われるけど、逆にいえば高倉健がいなければどうにもならないことを悟らされたわけだし、自分の馬にすら乗れないと体で思い知らされたのは決定的だったことでしょう。

考えてみればかなり残酷な話です。高倉健が頑張れば頑張るほど、経済的には潤うんでしょうが、倍賞千恵子にしてみれば、「あの人がいなければ自分には何もできない」と思い知らされる構造になっています。

牧歌的な作りとは違い、倍賞千恵子を手伝えば手伝うほど彼女を無力感にさいなむ高倉健、という構図がとても面白いと思います。

辞めたいけど親戚じゅうの反対を押し切って結婚したからには何とか続けたい。というのが倍賞千恵子を縛る枷ですが、その枷を解いてやるのが高倉健です。彼女を無力感にさいなみ続け、最終的には彼女の前から姿を消すことで、彼女に牧場を手放す決心を促す。主人公のわずかな希望を打ち砕くことで逆に彼女を救う立場。高倉健は「破壊神」なのです。

そうです。この映画のヒーローは高倉健です。

これは刑事サスペンスじゃないので、警察に追われてるとかそういうのは解決すべき「問題」になりません。もしそうなら、犯罪者であることはもっと早い段階で観客に提示されるべきです。やはり主人公・倍賞千恵子のの牧場に関するあれやこれやが解決されるべき「問題」でしょう。

そして、その問題を、ヒーローが直接解決するのではなく、逆にさいなむことで解決にもっていくのが面白いところです。

流れ者の男が、必死であがいて生きている主人公の女を無力感にさいなむことで、逆にその枷から解放してやる。主役の女としては、無力感が最大に募り、牧場を辞めたとき、つまり劇的緊張が絶頂に達したとき、男の出所を待つと告白しに来る。

だからやはりあのシーンは名シーンなんですよね。あの最後のシーンなくして『遙かなる山の呼び声』あらず。しかし、すべてのシーンにおいて、脚本家チームの計算が行き届いた名脚本だと思います。



遙かなる山の呼び声
畑正憲
2013-06-01


このエントリーをはてなブックマークに追加