躁うつ病になって2か月になりますが、この病気の厄介さと難しさに参っています。


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単なる鬱なら「通常」と「うつ」しかないんですが、躁うつは「躁」「通常」「うつ」と三段階ある。だけではないんです。

うちの母親などは躁のときは躁だけ、鬱のときは鬱だけみたいで、私の場合も躁のときは躁だけだったような気がしますが、鬱のときに躁的になることがあるんですよね。基本的に鬱なんだけど、寝る前などに躁っぽくなって寝つきにくいなど。だから寝る前には気分を抑える薬を飲まねばならない。でも抑えてしまうから、鬱の気分が上がってこないんじゃないかしら? というのは私の素人考えですが、どうしてもそう思ってしまうんですよね。主治医が変わったこともあって、疑いながら薬を飲んでいる。もし元の主治医ならどんな薬を処方するんだろうと、どうしても考えてしまう。

でも、これはどの医者にかかっても同じことを思うはずなので、病院を変えたところで意味ないでしょう。よけい混乱するだけ。

だからいまの医者にかかるしかないのだけれど、どうしても「比較」をしてしまう。30年かかった先生がいなくなったのだからしょうがないとはいえ、変わった少しあとのタイミングで躁うつ病になったので、「医者が変わったからじゃないの?」と、これまた勘ぐってしまう。


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そういう医者への懐疑心を抜きにしても、やはり躁うつ病は難しい。

鬱でも躁的なところがあると言ったけれど、前の病気(神経症)の場合、鬱のときはとにかく文字通り鬱々として、寝る以外に何もできなかった。それが、いま2か月ほど鬱のモードになってるけれど、こうやってブログを書いたりできる。ちょっと前は途中退去せざるをえなくなったとはいえ、『シン・仮面ライダー』に行ったりもした。

鬱なのにそういうことができるだけの体力・気力があるのが、元神経症患者からすると信じられない。信じられなくとも、実際にこの体にそれだけの体力があるのだから信じるほかない。

鬱なら寝るしかない。甘い物をたらふく食べて寝る。寝て薬を飲んでいればいつか治る。そういう確信があったけれど、いまは鬱の症状が軽いぶん、このままずっと鬱が続くんじゃないかと恐ろしい。

よせばいいのに調べてしまい、躁うつの鬱の期間は人によってさまざまで、長い人は2年の周期で……なんて読んでしまって、2年って長すぎないか。もし自分もそうだったら……嗚呼、調べるなんてやめとけばよかった。かといって、タイムマシンで3日前に行って「よせ」といったところで調べるだろうな。ま、しゃーない。

などと軽く済ませるわけにはいかないのである。

こっちはもう2か月も鬱なので、もうそろそろ上がってくる頃かと思っていたら、2年は極端としても、少なくとも2週間もあれば治っていた神経症の頃の鬱とは事情がまったく違うと知って、目の前が真っ暗になっています。

基本的に寝ているから足がやせ細っていくし、少しずつ踏ん張りがきかなくなっている。朝起きたときは何かに摑まって立たないと倒れそうになる。毎日が少しも楽しくない。何もやる気がしない。新しい小説のアイデアを思いついたけど、医者から止められた。

でも、少しずつならしてもいいよ、と。そこに活路を見出そうかなと思う今日この頃です。


続きの記事
躁うつ病は難しいパート2

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