神ドラマと話題沸騰のバカリズム脚本『ブラッシュアップライフ』がついに最終回を迎えました。
えらく評判がいいようですが、私の感想は面白くもあり、つまらなくもあり、といった複雑なものです。面白いと言うには何か引っ掛かりがあるし、つまらないと断ずるには結構面白いという。ただ、どちらかというと「つまらない」に軸足があります。
なので、つまらないと思ったところというか、「ん?」と引っ掛かったところを挙げていきましょう。
「ん?」と引っ掛かったところ

まず何といっても、飛行機事故に遭う予定の木南晴夏と夏帆を助けるために、安藤サクラは副機長の水川あさみと一緒に同じ飛行機に乗り、航路を変更して助けようとしますが、機長として乗る予定の中村キャプテンのシフトを動かすことができず、暗澹となる。
そこで前回のラストで水川あさみが言った「毒を盛る」という行動に至るんですが、私は前回のラストでこのセリフが出てきたとき、冗談だと思ったんですよね。だって、安藤サクラも水川あさみも、もう「徳を積む」ために人生をやり直しているのではなく、二人を助けるためにやり直しているだけだとしても、他人を不幸に追いやって、というのはいかがなものかと。
さすがに毒殺ではなく、食中毒程度のものでしたが、それでも「毒を盛る」というのはこの作品のテイストに合わないと思う。三浦透子のファインプレーで毒を盛るに至らなかったけど、あれは完全に「偶然」ですよね。中村キャプテンの不倫を利用するなら、安藤サクラが何とかして不倫の事実をつかんで(三浦透子から教えてもらうんじゃなく)奥さんにチクらないといけないんじゃないですか? 三浦透子のファインプレーがなければ毒を盛っていたわけでしょ。それはどうなんだろう。
そして、先述の「徳を積む」ということ。
安藤サクラの5週目人生はすでに「徳を積む」ためのものではなかったとしても、4周目が終わったときの来世が「人間」だったということは、4周目では充分な徳を積めたということですよね? でも私にはそう感じられなかった。
研究医として病気を起こす菌をいくつか発見したと言ってましたが、それで来世が「人間」だったんですか? うーん、何かこう、前回の記事で書いた、
「バカリズムが考える『徳』とは何か、そこは作家としての哲学が問われるわけで、すごく気になる」
というのが、いままたすごく気になっているんですよね。
徳を積み直すために人生をやり直す物語、という触れ込みなのに、徳とは何かということが何も示されない。
そして、中村キャプテンのシフトを変えるために毒を盛る計画では、「善」とは何か、「悪」とは何か、ということが問われているはずなのにスルーされてしまいました。
180人の乗客と親友2人を助けるのは善行でしょうが、そのために先輩を一人、食中毒のような状態にして、さらに、仕事上困った状態にする。いくら不倫しているとはいえ、そこまでして親友を飛行機事故から救うのは「善」なのか、はたまた「悪」なのか。
バカリズムは何も示してくれません。
代わりに示されるのは、PC=政治的正しさです。
『ブラッシュアップライフ』の政治的正しさ

もともと仲良し4人組だった主人公たちは、飛行機事故を首尾よく回避し、90歳以上生きて、最後はおそらくみんなハトに生まれ変わったんでしょう。
それはともかく、友だちを助けるために生まれ変わったんだから、それに成功したら誰もが憧れるパイロットも簡単に辞める。辞めても親は何も言わない。再就職先は1周目と同じ市役所。地元が一番。という価値観に絶賛の嵐が吹き荒れているようです。
もう東京を目指すとか、キャリアを積むとかそういう時代じゃないというのはわかるし、私自身、この結末はとても面白かった。でも何だか違和感が残るのです。
彼ら4人は、最後は4人とも同じ老人ホームに入居する。それはつまり、誰も結婚しなかったということでしょう。異性愛や結婚という旧来の価値観に縛られていないのが素晴らしいと世間的には大評判ですが、これもやはり面白いと思うものの、違和感が残るのです。
それは、バカリズム自身がその旧弊を打破する新しい価値観を信じているのかどうかよくわからない、という一点に尽きると思います。
「徳」とは何か、という大きなテーマにすら何ら自分なりの答えを出さなかった。それは「作家的怠慢」ではないでしょうか。
そして、最終的には、「結婚しなくていい」「恋人がいなくていい」「東京じゃなくていい。地元でいい」「パイロットじゃなくていい。しがない公務員でいい」という近頃もてはやされやすい「社会通念」=政治的正しさをなぞってるだけのように感じられるのです。
バカリズムの作家的怠慢
かつて桂千穂さんに自作シナリオを読んでもらったときに、「技術的にはよく書けていますが、あなたの体臭が感じられません」と言われました。
長谷川和彦監督に読んでもらったときも、「君のヘビーな本音、主人公のヘビーな本音が見えてこない」と言われました。
まったく同じことを『ブラッシュアップライフ』に感じます。バカリズムの「本音」が見えてこない。安藤サクラ=あーちんのヘビーな本音が見えてこない。
いやいや、そういうことじゃなくて、これは「あるある」をてんこ盛りにしたガールズトークの面白さを描いたドラマだから、という声が聞こえてきそうですが、それは確かにそうだとは思うものの、やはり、私には物足りない。
長谷川和彦監督はこうも言っていました。
「君はシナリオとは物語のことだと思ってるんだろうが、違うんだ。物語と哲学なんだよ」
前回の記事
『ブラッシュアップライフ』第6話までの感想


えらく評判がいいようですが、私の感想は面白くもあり、つまらなくもあり、といった複雑なものです。面白いと言うには何か引っ掛かりがあるし、つまらないと断ずるには結構面白いという。ただ、どちらかというと「つまらない」に軸足があります。
なので、つまらないと思ったところというか、「ん?」と引っ掛かったところを挙げていきましょう。
「ん?」と引っ掛かったところ

まず何といっても、飛行機事故に遭う予定の木南晴夏と夏帆を助けるために、安藤サクラは副機長の水川あさみと一緒に同じ飛行機に乗り、航路を変更して助けようとしますが、機長として乗る予定の中村キャプテンのシフトを動かすことができず、暗澹となる。
そこで前回のラストで水川あさみが言った「毒を盛る」という行動に至るんですが、私は前回のラストでこのセリフが出てきたとき、冗談だと思ったんですよね。だって、安藤サクラも水川あさみも、もう「徳を積む」ために人生をやり直しているのではなく、二人を助けるためにやり直しているだけだとしても、他人を不幸に追いやって、というのはいかがなものかと。
さすがに毒殺ではなく、食中毒程度のものでしたが、それでも「毒を盛る」というのはこの作品のテイストに合わないと思う。三浦透子のファインプレーで毒を盛るに至らなかったけど、あれは完全に「偶然」ですよね。中村キャプテンの不倫を利用するなら、安藤サクラが何とかして不倫の事実をつかんで(三浦透子から教えてもらうんじゃなく)奥さんにチクらないといけないんじゃないですか? 三浦透子のファインプレーがなければ毒を盛っていたわけでしょ。それはどうなんだろう。
そして、先述の「徳を積む」ということ。
安藤サクラの5週目人生はすでに「徳を積む」ためのものではなかったとしても、4周目が終わったときの来世が「人間」だったということは、4周目では充分な徳を積めたということですよね? でも私にはそう感じられなかった。
研究医として病気を起こす菌をいくつか発見したと言ってましたが、それで来世が「人間」だったんですか? うーん、何かこう、前回の記事で書いた、
「バカリズムが考える『徳』とは何か、そこは作家としての哲学が問われるわけで、すごく気になる」
というのが、いままたすごく気になっているんですよね。
徳を積み直すために人生をやり直す物語、という触れ込みなのに、徳とは何かということが何も示されない。
そして、中村キャプテンのシフトを変えるために毒を盛る計画では、「善」とは何か、「悪」とは何か、ということが問われているはずなのにスルーされてしまいました。
180人の乗客と親友2人を助けるのは善行でしょうが、そのために先輩を一人、食中毒のような状態にして、さらに、仕事上困った状態にする。いくら不倫しているとはいえ、そこまでして親友を飛行機事故から救うのは「善」なのか、はたまた「悪」なのか。
バカリズムは何も示してくれません。
代わりに示されるのは、PC=政治的正しさです。
『ブラッシュアップライフ』の政治的正しさ

もともと仲良し4人組だった主人公たちは、飛行機事故を首尾よく回避し、90歳以上生きて、最後はおそらくみんなハトに生まれ変わったんでしょう。
それはともかく、友だちを助けるために生まれ変わったんだから、それに成功したら誰もが憧れるパイロットも簡単に辞める。辞めても親は何も言わない。再就職先は1周目と同じ市役所。地元が一番。という価値観に絶賛の嵐が吹き荒れているようです。
もう東京を目指すとか、キャリアを積むとかそういう時代じゃないというのはわかるし、私自身、この結末はとても面白かった。でも何だか違和感が残るのです。
彼ら4人は、最後は4人とも同じ老人ホームに入居する。それはつまり、誰も結婚しなかったということでしょう。異性愛や結婚という旧来の価値観に縛られていないのが素晴らしいと世間的には大評判ですが、これもやはり面白いと思うものの、違和感が残るのです。
それは、バカリズム自身がその旧弊を打破する新しい価値観を信じているのかどうかよくわからない、という一点に尽きると思います。
「徳」とは何か、という大きなテーマにすら何ら自分なりの答えを出さなかった。それは「作家的怠慢」ではないでしょうか。
そして、最終的には、「結婚しなくていい」「恋人がいなくていい」「東京じゃなくていい。地元でいい」「パイロットじゃなくていい。しがない公務員でいい」という近頃もてはやされやすい「社会通念」=政治的正しさをなぞってるだけのように感じられるのです。
バカリズムの作家的怠慢
かつて桂千穂さんに自作シナリオを読んでもらったときに、「技術的にはよく書けていますが、あなたの体臭が感じられません」と言われました。
長谷川和彦監督に読んでもらったときも、「君のヘビーな本音、主人公のヘビーな本音が見えてこない」と言われました。
まったく同じことを『ブラッシュアップライフ』に感じます。バカリズムの「本音」が見えてこない。安藤サクラ=あーちんのヘビーな本音が見えてこない。
いやいや、そういうことじゃなくて、これは「あるある」をてんこ盛りにしたガールズトークの面白さを描いたドラマだから、という声が聞こえてきそうですが、それは確かにそうだとは思うものの、やはり、私には物足りない。
長谷川和彦監督はこうも言っていました。
「君はシナリオとは物語のことだと思ってるんだろうが、違うんだ。物語と哲学なんだよ」
前回の記事
『ブラッシュアップライフ』第6話までの感想


コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。