新作『ベネデッタ』がやたら好評らしいポール・バーホーベン監督のハリウッド時代の大傑作『氷の微笑』を再見しました。(以下いきなりネタバレしてます。ご注意ください)


『氷の微笑』(1992、アメリカ)
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脚本:ジョー・エスターハス
監督:ポール・バーホーベン
出演:マイケル・ダグラス、シャロン・ストーン、ジーン・トリプルホーン、ジョージ・ズンザ、レイラニ・サレル、ドロシー・マローン


真犯人は「見たまんま」
私も封切時にはご多分に漏れず、真犯人が誰かわかりませんでした。その後、2,3度見てもそれは変わらず。

しかし、数年前にツイッターのフォロワーさんが教えてくれました。「犯人は見たまんまですよ。監督のバーホーベンも犯人が誰かなんて論争が起こるなんて思いもしなかったって言ってましたよ」と。

そうです。つまり真犯人はシャロン・ストーンです。

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ラストシーンのベッドわきにアイスピックを置いてるのが何よりの証拠ですよね。彼女が犯人じゃなければあんなところにアイスピックがあるわけがない。台所以外にあるアイスピックは単なる凶器です。

彼女は、まだ16歳のときに、たまたまそこにあった父親のカミソリで弟二人を殺し(未成年のため罪に問われず)その後、両親を遺産目的のために事故死に見せかけて殺し、80年代にバークレー大学在学中にノア・ゴールドスティンという教授をアイスピックで殺害し、マヌエル・バスケスという名の婚約者を殺し、そして映画の冒頭、元ロックスターのジョニー・ボズをこれまたアイスピックで殺した。

さらに、捜査で家に来たマイケル・ダグラスのことを調べると、ちょっと前に観光客二人を銃で撃ち殺して嘘発見器で引っ掛からず無罪放免となったことを知る。それで彼を自分の体の虜にしたうえで最終的に殺す目的で、間違った女に恋をした刑事が彼女に殺される小説を書くことにする。

そのためにマイケル・ダグラスのことを調べると、かつてバークレー大学で同級生だっジーン・トリプルホーン(エリザベス)が、彼の観光客殺しで精神鑑定していることを知る。バイセクシャルのシャロン・ストーンとジーン・トリプルホーンはかつて一度だけ寝たことがあり、シャロン・ストーンが殺したジョニー・ボズというロックスターの精神科医とジーン・トリプルホーンは事務所を共用していた。そこで、シャロン・ストーンはニルセンというマイケル・ダグラスを嫌う監査局の刑事に大金を払って彼の監査記録などを入手した。そして、マイケル・ダグラスがニルセンに強い恨みをもつと、38口径のリボルバーでニルセンを射殺し、マイケル・ダグラスに容疑がかかるように仕向けた。

そして、最後は、執拗に昔の同窓生に真相を聞かせてほしいと迫ったガス刑事を殺し、ジーン・トリプルホーンに罪を着せた。

すべてはシャロン・ストーンの仕業だと考えればすっきりします。

全部小説のためでしょう。話を面白くするためにいろんなことを仕掛けた。最終的に、シャロン・ストーンがマイケル・ダグラスを殺さなかったのは、子どもはいらないと言ったからでしょうか? 最初は子どもを育ててめでたしめでたし、みたいなことを言ったらアイスピックを取ろうとしましたよね。でも、子どもはいらないと翻すと殺すのをやめる。そこまで子どもを嫌うのはなぜかわかりませんが、おそらく、元ロックスターのジョニー・ボズは、セックスの最中に「俺の子どもを産んでくれ」とか言ったんじゃないですかね? 「彼のセックスはとてもよかった」とシャロン・ストーンが何度も言うのは本当でしょう。それでも殺したのは子どもがほしいと言ったからじゃないか。

ロキシーというシャロン・ストーンの恋人で嫉妬に狂ってマイケル・ダグラスを轢き殺そうとした女がしましたが、彼女が最初のジョニー・ボズ殺しの犯人という可能性もあると言う人もいますが(動機は同じく嫉妬)それは違うでしょう。

シャロン・ストーンは男とセックスしてるのをロキシーに見られるのが好きらしいので、おそらくジョニー・ボズとのセックスもどこかで見ていたんですよ。彼女を楽しませるために。でも、マイケル・ダグラスとシャロン・ストーンのセックスを見ていたら、シャロン・ストーンが本気でマイケル・ダグラスに惚れてる感じがあったので(それはクラブのシーンで強調されます)嫉妬に狂って殺そうとしたんだと思います。

それぐらい、シャロン・ストーンはマイケル・ダグラスとのセックスに夢中なので、子どもはいらないと言った以上、殺すのは忍びない。もう少し楽しもうということなんだと思います。

いろいろ考察めいたことを書いてきましたが、以上のことははっきり言ってどうでもいいことです。

誰が誰を殺したということではなく、この『氷の微笑』で大事なのは、ヒッチコックの『めまい』を下敷きにしているということですよね?


『めまい』を下敷きに
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『めまい』と似ているところを箇条書きで記すと、

①サンフランシスコを舞台にしている。金門橋の近くの海沿いの道が何度も出てくる。
②車で坂道を上ったり下ったりするシーンが多い。(サンフランシスコだから当たり前ですが)
③螺旋階段を真上から撮ったショットが2回出てくる。
④髪がブラウンとブロンドの美女が二人出てくる。(『めまい』ではキム・ノヴァクが一人二役)
⑤その美女のうち、ブラウンのほうがブロンドに染める。
⑥主人公が車で帰宅すると、玄関で美女が待っているシーンがある。
⑦主人公の男が殺人を犯した女の虜になってしまう。

特に大事なのは最後の「主人公の男が殺人を犯した女の虜になってしまう」というものでしょう。悪女=ファム・ファタールに運命を狂わされる男の物語、つまり、この『氷の微笑』はミステリではなく「フィルムノワール」なのです。

シャロン・ストーンの友人で、ちょっとした衝動で夫と子どもを全員殺して刑務所に服役していたヘイゼル・ドブキンスという老女に『三つ数えろ』などのドロシー・マローンを配しているのは、この映画はフィルムノワールですよ、という刻印なのでしょう。(ちなみに、イーストウッドの『ブラッド・ワーク』にアンジェリカ・ヒューストンが出ているのは、同じ刻印のために、フィルムノワール第1号作品『マルタの鷹』の監督の娘をキャスティングしたかったからだそうです)


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犯人が誰か、じゃなくて、殺人を犯した女に主人公が狂っていく。最初は疑っていたのに、狂っていくに従い、ジーン・トリプルホーンの疑惑が出てきて、シャロン・ストーンはやってないと信じ込み、最終的にマイケル・ダグラスが自らの手でジーン・トリプルホーンを殺してシャロン・ストーンの完全犯罪を成立させてしまう、というのがこの『氷の微笑』の面白さでしょう。

ただ、それなら、最初のジョニー・ボズ殺しにしろ、ニルセン殺しにしろ、シャロン・ストーンが殺したとはっきり観客に見せるべきじゃないかとという不満が出てきます。

私もツイッターのフォロワーさんに「犯人は見たまんまですよ」と教えてもらったときにそう思いました。はっきり見せないから「犯人は結局誰だったの?」という論争が湧き起こってしまうんじゃないか、と。

でも、それも仕方のないことだと思います。

この映画で大事なのは『めまい』を下敷きにしていることだと言いましたが、もっと大事なことは、「すべてのシーンに主役のマイケル・ダグラスが登場している」ということです。


「主人公の知っている情報量=観客の知っている情報量」
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この映画ではすべてのシーンにマイケル・ダグラスが出てきます。これは『めまい』でもほぼ同じです。ただ、『めまい』は厳密には「すべてのシーン」ではない。ジェームズ・スチュワートが出てこないシーンはほんの少しですが存在します。でも『氷の微笑』ではすべてのシーンにマイケル・ダグラスが出てきます。

ちょっと待って。最初のジョニー・ボズ殺しのシーンは出てこないのでは? と言いたい向きもあるでしょう。その通りです。

しかし、「主人公がすべてのシーンに出ているかどうか」で大事なのは、「主人公の知っている情報量と観客が知っている情報量を常にイコールにしておく」ということです。

冒頭のジョニー・ボズ殺しでは、犯人の顔を見せないから、観客もマイケル・ダグラスも、ジョニー・ボズという男が殺されたことしか知りません。双方の知っている情報はイコールです。

主人公が知っていることしか観客は知らない。いろんな情報が飛び交うので大混乱しますが、それはマイケル・ダグラスの混乱でもあります。主人公と同じように、観客はシャロン・ストーンが怪しいと睨み、途中からジーン・トリプルホーンが怪しいと傾いていきます。

「この映画はミステリとして破綻している」という人も多いですが、破綻というより、主人公が知っていることしか見せていないのだから、辻褄が合っているかどうかよくわからないということだと思います。私もよくわかりません。ジーン・トリプルホーンの夫の医師を5.6年前になぜシャロン・ストーンが殺したのか、とか。

でも、辻褄が合っているかどうかより、主人公の混乱を観客も同じように体験することが大事なんだと思います。そしてどこまでも怪しい女の虜になっていく主人公に少しも反感を抱けない。それぐらいシャロン・ストーンが魅力的なのです。映画史上最高のファム・ファタールでしょう。

そして最終的に、観客の知っている情報量が主人公の知っている情報量を上回ります。

マイケル・ダグラスはジーン・トリプルホーンが真犯人だったと思い込んでいますが、最後の最後でシャロン・ストーンが真犯人だったと「観客にだけ」示されます。

子どもはいらないと言ったからあそこでは殺されずにすんだけど、彼女とセックスしていたら、いずれ殺されるでしょう。

ラストのアイスピックはそういうマイケル・ダグラスの哀しい未来を暗示しているんだと思います。

主人公と同じことしか知らなかった観客が、最後の最後で主人公の知らない彼の未来を教えてもらう。

運命の女に狂った男の哀れな末路。

主人公が知っていることしか知らされなかった観客が、最後の最後で彼の知らないことを知る快感。

『氷の微笑』の面白さはここにあると思います。


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めまい (字幕版)
レイモンド・ベイリー
2019-02-25



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