久しぶりにシルベスター・スタローンの隠れた名作(みんな馬鹿にしてるのが腹立たしい)『オーバー・ザ・トップ』を再見しましたが、今回やっと面白さの秘密がわかったような気がします。(以下ネタバレあります)
『オーバー・ザ・トップ』(1987、アメリカ)

原案:ゲイリー・コンウェイ&デビッド・C・エンゲルバック
脚本:スターリング・シリファント&シルベスター・スタローン
監督:メナハム・ゴーラン
出演:シルベスター・スタローン、デビッド・メンデンホール、ロバート・ロッジア、スーザン・ブレイクリー
腕相撲をどう撮るか
メナハム・ゴーランとヨーラン・グローバスによる「キャノンフィルムズ」製作のこの映画は先述した通り、馬鹿にする人が多い。
いま、allcinemaで検索しても、「『チャンプ』もどきの凡作」なんて書いてあるし、見た人のレビューでも、「『チャンプ』と『ロッキー』を足して2で割って腕相撲をつけ足したような」などと書いてある。ま、確かにそれは間違いではないと思うが、問題は「腕相撲」ですよ。
他のレビューでは「腕相撲なんて動きの少ない地味な題材をよく映画にしようと思ったな」とありましたが、そこなんですよ、この『オーバー・ザ・トップ』の要諦は。逆にいえば、それしかない。
画面の密度を上げる

この映画の腕相撲シーンは、最後の大会だけでなく、酒場でちょっとした諍いがあって腕相撲で勝負だ! となったときも同じ手法で撮られています。
腕相撲で戦う二人の男だけを撮っても動きが少ないから面白くない。そこで、周りで囃し立てる人間を、腕相撲する二人が埋没してしまいかねないほどたくさん置くんですね。
彼らは大声を上げるから、視覚的にも聴覚的にもかなりの勢力になって画面の密度を上げ、動きの少ない腕相撲という競技を盛り上げてくれます。めちゃシンプルですが正しい手法です。
カットバック

前提として、腕相撲は真横から撮れませんよね。
真横から撮ると、どちらが優勢なのかパッと見た瞬間にはわからない。よく見ればわかりますよ。でも時代は80年代後半。もうワンカットをじっくり見せる時代は終わりを告げていました。パッと見た瞬間にわからないといけない。
そのためには、斜め前から撮る必要があるわけです。

これならスタローン優勢と見た瞬間にわかる。

これだとスタローンが劣勢だとすぐわかります。
向かい合った人物を斜めから撮る。それはもう古典的ハリウッド映画が最も得意とした「カットバック」の手法ですよね。いまでもイーストウッドの映画などで多用されている、アメリカ映画の基本中の基本です。
優勢側と劣勢側をカットバックし、さらに、外野の人間や子どもや義父などを適宜、見せることで、最後の決勝は大いに盛り上がります。
ほんの少しの動き=オーバー・ザ・トップ

over the topという英語の意味はよくわかりません。スラングで「限度を超えた」「大げさな」という意味があるらしいですが、映画ではまったく違う意味で使われてますよね。
劣勢側が指をもちかえるとき、スタローンは「オーバー・ザ・トップだ!」と言っています。よくわかりませんが、映画なんだから言葉の意味などほとんどどうでもいいことです。
大事なのは、「指をもちかえる」という小さなアクション描写があるということです。動きがほとんどないから、外野の人間で密度を濃くし、さらに斜めから撮ることでどちらが優勢かはっきりさせたうえで、対決する二人の表情をカットバックして場面を盛り上げる。
それだけでは足りないと思ったのか、指をもちかえるというほんの味つけ程度のアクションが実に活きています。どうせ最後は勝つと最初からわかっているけど、ただ勝つだけでは面白くない。
スタローンが指をもちかえるとき、それは「これから逆転する」ことを意味しますから。期待が高まるんですよ。あの金持ちなのを鼻にかけた偏屈爺さんに目にもの見せてくれよ! と観客は期待してますから、スタローンが指をもちかえるとき、観客の期待は異常なまでに高まります。
父子のカットバック

さて、初めて物語に触れましたが、妻子を捨てたトラック運転手が、いまでも彼を想う妻が死の病に臥せったため、息子の親権を彼に譲るところからこの映画は始まります。
エリート候補生として育てられた息子は、やくざなトラック運転手の父親を毛嫌いしますが、途中でトラックの運転をさせてもらって、気持ちが初めて交わります。
大事なのは、「この父子も大事な場面で真横から撮れない」ということです。
トラックに並んで座っているときに真横から撮っても、奥にいるほうが映りません。画像のように正面から撮るとか、やや斜めから撮ってカットバックするしかない。
もっと大事な場面は、中盤、スタローンが警察に捕まったときです。面会に来た息子とスタローンが対峙します。

すぐ横は別の面会者のブースなので、真横からは絶対に撮れません。画像のように、スタローンと息子を個別にとってカットバックするしかない。
この『オーバー・ザ・トップ』は、大事なシーンはすべて真横からは撮れないのです。カットバックするしかないのです。
主人公をトラック運転手にしたり、中盤の大事なシーンを留置所での面会にしたのは、かなり意図的でしょう。
これなら誰が撮ってもそれなりの「アメリカ映画」になります。
脚本は『夜の大捜査線』『まごころを君に』『テレフォン』『ポセイドン・アドベンチャー』のスターリング・シリファント。そして、『ロッキー』『ランボー』『ドリヴン』『エクスペンダブルズ』のスタローン。
「脚本家が仕掛けた映画」と見ました。
これだけの熱量はイスラエルの山師メナハム・ゴーランならではのものかもしれませんが、誰が撮っても駄作にはならないという、脚本家の冴えた技が実に効いています。
堪能しました。
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『キャノンフィルムズ爆走風雲録』感想(身につまされる)


『オーバー・ザ・トップ』(1987、アメリカ)

原案:ゲイリー・コンウェイ&デビッド・C・エンゲルバック
脚本:スターリング・シリファント&シルベスター・スタローン
監督:メナハム・ゴーラン
出演:シルベスター・スタローン、デビッド・メンデンホール、ロバート・ロッジア、スーザン・ブレイクリー
腕相撲をどう撮るか
メナハム・ゴーランとヨーラン・グローバスによる「キャノンフィルムズ」製作のこの映画は先述した通り、馬鹿にする人が多い。
いま、allcinemaで検索しても、「『チャンプ』もどきの凡作」なんて書いてあるし、見た人のレビューでも、「『チャンプ』と『ロッキー』を足して2で割って腕相撲をつけ足したような」などと書いてある。ま、確かにそれは間違いではないと思うが、問題は「腕相撲」ですよ。
他のレビューでは「腕相撲なんて動きの少ない地味な題材をよく映画にしようと思ったな」とありましたが、そこなんですよ、この『オーバー・ザ・トップ』の要諦は。逆にいえば、それしかない。
画面の密度を上げる

この映画の腕相撲シーンは、最後の大会だけでなく、酒場でちょっとした諍いがあって腕相撲で勝負だ! となったときも同じ手法で撮られています。
腕相撲で戦う二人の男だけを撮っても動きが少ないから面白くない。そこで、周りで囃し立てる人間を、腕相撲する二人が埋没してしまいかねないほどたくさん置くんですね。
彼らは大声を上げるから、視覚的にも聴覚的にもかなりの勢力になって画面の密度を上げ、動きの少ない腕相撲という競技を盛り上げてくれます。めちゃシンプルですが正しい手法です。
カットバック

前提として、腕相撲は真横から撮れませんよね。
真横から撮ると、どちらが優勢なのかパッと見た瞬間にはわからない。よく見ればわかりますよ。でも時代は80年代後半。もうワンカットをじっくり見せる時代は終わりを告げていました。パッと見た瞬間にわからないといけない。
そのためには、斜め前から撮る必要があるわけです。

これならスタローン優勢と見た瞬間にわかる。

これだとスタローンが劣勢だとすぐわかります。
向かい合った人物を斜めから撮る。それはもう古典的ハリウッド映画が最も得意とした「カットバック」の手法ですよね。いまでもイーストウッドの映画などで多用されている、アメリカ映画の基本中の基本です。
優勢側と劣勢側をカットバックし、さらに、外野の人間や子どもや義父などを適宜、見せることで、最後の決勝は大いに盛り上がります。
ほんの少しの動き=オーバー・ザ・トップ

over the topという英語の意味はよくわかりません。スラングで「限度を超えた」「大げさな」という意味があるらしいですが、映画ではまったく違う意味で使われてますよね。
劣勢側が指をもちかえるとき、スタローンは「オーバー・ザ・トップだ!」と言っています。よくわかりませんが、映画なんだから言葉の意味などほとんどどうでもいいことです。
大事なのは、「指をもちかえる」という小さなアクション描写があるということです。動きがほとんどないから、外野の人間で密度を濃くし、さらに斜めから撮ることでどちらが優勢かはっきりさせたうえで、対決する二人の表情をカットバックして場面を盛り上げる。
それだけでは足りないと思ったのか、指をもちかえるというほんの味つけ程度のアクションが実に活きています。どうせ最後は勝つと最初からわかっているけど、ただ勝つだけでは面白くない。
スタローンが指をもちかえるとき、それは「これから逆転する」ことを意味しますから。期待が高まるんですよ。あの金持ちなのを鼻にかけた偏屈爺さんに目にもの見せてくれよ! と観客は期待してますから、スタローンが指をもちかえるとき、観客の期待は異常なまでに高まります。
父子のカットバック

さて、初めて物語に触れましたが、妻子を捨てたトラック運転手が、いまでも彼を想う妻が死の病に臥せったため、息子の親権を彼に譲るところからこの映画は始まります。
エリート候補生として育てられた息子は、やくざなトラック運転手の父親を毛嫌いしますが、途中でトラックの運転をさせてもらって、気持ちが初めて交わります。
大事なのは、「この父子も大事な場面で真横から撮れない」ということです。
トラックに並んで座っているときに真横から撮っても、奥にいるほうが映りません。画像のように正面から撮るとか、やや斜めから撮ってカットバックするしかない。
もっと大事な場面は、中盤、スタローンが警察に捕まったときです。面会に来た息子とスタローンが対峙します。

すぐ横は別の面会者のブースなので、真横からは絶対に撮れません。画像のように、スタローンと息子を個別にとってカットバックするしかない。
この『オーバー・ザ・トップ』は、大事なシーンはすべて真横からは撮れないのです。カットバックするしかないのです。
主人公をトラック運転手にしたり、中盤の大事なシーンを留置所での面会にしたのは、かなり意図的でしょう。
これなら誰が撮ってもそれなりの「アメリカ映画」になります。
脚本は『夜の大捜査線』『まごころを君に』『テレフォン』『ポセイドン・アドベンチャー』のスターリング・シリファント。そして、『ロッキー』『ランボー』『ドリヴン』『エクスペンダブルズ』のスタローン。
「脚本家が仕掛けた映画」と見ました。
これだけの熱量はイスラエルの山師メナハム・ゴーランならではのものかもしれませんが、誰が撮っても駄作にはならないという、脚本家の冴えた技が実に効いています。
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