ポール・バーホーベンってやっぱりバカなんだね、などと揶揄されることの多い『インビジブル』を再見しましたが、私は大傑作との認識を新たにしました。何より脚本がいい。とても巧妙で大胆です。(以下ネタバレあります)


『インビジブル』(2000、アメリカ)
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原案:ゲイリー・スコット・トンプソン&アンドリュー・W・マーロウ
脚本:アンドリュー・W・マーロウ
監督:ポール・バーホーベン
出演:ケビン・ベーコン、エリザベス・シュー、ジョシュ・ブローリン、キム・ディケンズ、ウィリアム・ディヴェイン


ファーストシークエンスにすべてが
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①実験用のラットが透明になったゴリラに食べられる。
②ケビン・ベーコンが自宅のパソコンでシミュレーションをするが失敗ばかり。息抜きに裏窓からグラマーな女の着替えを覗き、鼻息を荒くする。
③シミュレーション成功。「俺って超天才」と元カノのエリザベス・シューにテレビ電話。彼女は今カレのジョシュ・ブローリンと乳繰り合っていたが、それをケビン・ベーコンには隠している。
④快晴の街をケビン・ベーコンがオープンカーで快走し、研究室へ。地下奥深くへエレベーターで出勤。

ざっくり4つのシーンから成っていますが、この最初の数分にすべてが詰まってますよね。

まず、主人公ケビン・ベーコンのキャラクター設定。「天才」と「スケベ」のみ。シンプルすぎるほどシンプルで素晴らしい。

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そして、ケビン・ベーコン、その元カノのエリザベス・シュー、その今カレのジョシュ・ブローリンの三角関係の設定。これはラストまでこの映画を貫くシンプルにして力強いエモーショナルな関係です。

エレベーターをここで見せているのも大事ですよね。ケビン・ベーコンがエレベーターに乗って扉が閉まり、カメラが寄って地中深く潜っていくエレベーターを見下ろしますが、途中に編集の痕が見られるので、カメラが下を覗き込むところからはミニチュアを使った特撮でしょう。それかCGかな。いずれにしても、別々に作った映像をうまくつないでワンカットに見せています。なぜこんな手の込んだ見せ方をするのか。

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それはやはり、クライマックスがエレベーターでの活劇になるわけですから、そのための「伏線」ですよね。最初は「え、何でこんな見せ方を?」と疑問に思いますが、クライマックスに至って「なるほど、だから最初ああいう面倒な見せ方をしてたんだ!」と合点がいく仕掛け。手が込んでいます。

そして、透明のゴリラを最初に見せるというのが一番の工夫というか、あまりに大胆すぎる仕掛けですね。

彼らは国防総省からの依頼で、人間を透明にする技術を開発中なのですが、「それは簡単」なんですよね。委員会への報告会でケビン・ベーコンがはっきりそう言っています。普通なら「いかに透明にするか」で悩むじゃないですか。でも、この映画は「透明にするのは簡単。元に戻すのが難しい」という設定にしている。大胆だし、非常に巧妙です。どうやって透明にできたか、なんて目もくれない。何の説明もなく、ケビン・ベーコンが天才だから、ということで片づけてしまう。

ハリウッドはこういう語り口がうまいんですよね。「世界の原理」より「映画の原理」を優先する。


マッド・サイエンティスト
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この映画は、SFでよくある「マッド・サイエンティストもの」ですが、ケビン・ベーコン一人だけがマッド・サイエンティストなのではなく、研究室にいる全員が少なからずそういう面をもっていることも重要でしょう。

エリザベス・シューとジョシュ・ブローリンは、委員会で嘘の報告をしたケビン・ベーコンを止めず、彼が自ら人体実験するという野望も止めません。国防総省は許可したという嘘をみんなに吹聴します。エリザベス・シューはかつて恋仲だったこともあり、少しはケビン・ベーコンへの未練があるみたいだし、何より彼の「天才」に惹かれている。ジョシュ・ブローリンはそこに劣等感を抱いている。それはつまり「天才」への憧れです。

獣医でやたらケビン・ベーコンを嫌っている女がいますが、透明になる実験が成功してケビン・ベーコンに尻を触られてもキャッキャッとはしゃいでいます。嫌いな男に尻を触られてもはしゃいでしまうほど、彼女もまた実験の成功がうれしくて仕方がない。みんな多かれ少なかれマッド・サイエンティスト気質なのです。ケビン・ベーコンだけが狂っているわけじゃない。


「国家」と「天才」
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先述したエレベーターでの活劇で、エリザベス・シューはケビン・ベーコンとキスを交わします。ここで、「あぁ、やっぱりこの女はここまでひどいことをされても天才が好きなのか」と思ってしまいますが、実は彼にトドメを刺すための芝居だった。落下して焼死するケビン・ベーコンを見下ろしながら、エリザベス・シューはジョシュ・ブローリンとキスを交わします。

だからといって、作者たちが「天才より凡人のほうがいい」と考えているわけではないと思います。あそこまで暴走して仲間を殺す極悪人は死んでもらうほかないでしょう。

大事なのは、なぜケビン・ベーコンの暴走が始まったか。それは、国防総省に実験成功と報告すれば「自分たちの努力の結晶が奪われる」からですよね? ここはよくわかる。国家とはそういうものです。凡人は天才に憧れるけど、国家は天才を使い捨てにする。だから、この映画はケビン・ベーコンに感情移入できるように作られています。

中盤、研究室を脱出したケビン・ベーコンがオープンカーで外出しようとするとき、馴染みの警備員に合成樹脂で塗り固めた顔を見られそうになるけどギリギリ見られないという、なかなかのサスペンスがありますが、ばれないでほしいと願ってしまうし、何より、そのあと車で疾走するシーンで高揚するでしょう?

あれは、ファーストシークエンスの、エレベーターに乗り込む直前、快晴の街をケビン・ベーコンがハードロックの音楽に身を揺らしながらオープンカーを走らせるシーンと対を成しているからです。あれも「伏線」だったんですね。あのシーンがあるからこそ、顔を見られないように幌をかけたオープンカーで夜の街を疾走しても、昼間の明るいなかで疾走するのと同じような爽快感と高揚感があるわけです。

そして、その次が隣家のグラマー女のレイプシーンになるんですが、女性がどう思うかは知りませんが、男なら「やれ、やれ!」と応援してしまうじゃないですか。(⇐鬼畜)

だから、ラストでエリザベス・シューにやっと本当の意味で選ばれたジョシュ・ブローリンもどうなるかわかりませんよね。「俺は天才じゃない」とは言ってたけど、もしかしたら変わってしまうかもしれない。自分の研究が国家の手によって理不尽に奪われるとなったらね。


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やはり、この映画では「国家」の存在がかなり大きい。ケビン・ベーコンが個人的に勝手にやってる研究なら、こんなに面白くないと思います。「自業自得だろ」ってなっちゃう。(そもそも動物実験が成功した段階で自分の体を実験台にする危険行為の動機もなくなってしまいます)

なぜ俺の研究が国に奪われなきゃいけないんだ! というのは、多かれ少なかれ誰しも経験していることです。自分の手柄を上司に横取りされたり、なかったことにされたり。だから感情移入できるし、面白い。

この映画は、透明人間というSF的な、ありえない題材を扱いながら、三角関係からくる嫉妬や、透明人間になったらエッチなことやりたい放題したいとか、理不尽な力に振り回されてほぞを噛むとかいう、誰にでも理解できる原始的な人間の喜怒哀楽を根底に据えています。そこが面白さのミソです。


脚本=指示書
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黒沢清監督のレトロスペクティブが大阪で開催されたとき、『地獄の警備員』の脚本を書いた富岡邦彦さんをベストに招いてのトークショーがあったんですが、司会の映画評論家の卵みたいな青年二人が、

「黒沢さんは『インビジブル』を見て、主人公が天才でスケベというただそれだけで映画が成立したことに感動したと言ってましたが」

と話を振ると、富岡さんは、

「いやいや、映画が成立したんじゃなくて、企画が成立したってことでしょ?」

と返していました。素晴らしい答えですね。その通りです。

映画は成立するんですよ。天才とスケベというだけで。監督がバーホーベンなら。でも、そういう映画にお客さんが入るかどうかとなると、これはかなりの賭けですよね。だから、普通ならこの企画は通らない。

では、企画を通すためにプロデューサーと脚本家は何をしたか。

・メインとなる3人はそれなりに有名だけど、それほどギャラが高くない役者を起用する。

・舞台をほぼ地下の研究室に限定する。
こうすればセットさえ作れば照明は自由にできますよね。太陽光線が入ってこないわけだし。セットだってほとんど張りぼてみたいなものだろうから、それほどお金はかかってないはず。

・昼間のロケシーンは書かない。
これだと早撮りできます。昼間の街なかだと見物人の整理だけで大変ですからね。大事なセリフのときに子どもが泣いたりしたら即NGだし。

「レイプ事件のその後」を描かないのも、その一環でしょう。あの女性は当然警察に行き、検査して犯された痕が発見されて、でも犯人は透明人間で……と地上では大混乱になっているはずですが、そんなの目もくれない。メインプロットは地下深くが舞台だからそういうのは全部割愛。そのほうがクライマックスへのスピードが増すし、何より、地上のシーンを撮影するとなるとお金がかかってしまう。

だから、脚本が巧妙というのは、そういう意味でもあります。脚本は物語やテーマなど映画の内容を表現した「設計図」ですが、同時に、現場のスタッフ・キャストへの「指示書」でもあります。脚本を読めばどれぐらいの製作費で行けるかは判断がつくし、それができなければプロデューサーは務まらない。

SFとアクション映画は固定ファンがいるからある程度の興行収入は見込める、監督がバーホーベンなら「天才」と「スケベ」だけで絶対面白く仕上げてくれる、しかもこの脚本なら製作費はかなり抑えられる、よしゴーサインだ! となって企画が成立したのでしょう。

この『インビジブル』は、ケビン・ベーコン演じるセバスチャンという哀れな天才を描いた映画ですが、この企画が成立するためにはポール・バーホーベンという「天才」が必要だったというわけです。おあとがよろしいようで。

だって、こんな下世話な話を面白く撮れる監督はバーホーベンしかいませんぜ!


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マッド・サイエンティストの夢―理性のきしみ
デイヴィット・J. スカル
青土社
2000-08-20



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