『君のクイズ』を読んで『トータル・リコール』を想起したので、久しぶりに再見しました。やはりこの映画は何度見てもめったやたらに面白いですね!(以下ネタバレしてます)
『トータル・リコール』(1990、アメリカ)

原作:フィリップ・K・ディック
映画ストーリー原案:ロナルド・シャセット、ダン・オバノン&ジョン・ポービル
脚本:ロナルド・シャセット、ダン・オバノン&ゲイリー・ゴールドマン
監督:ポール・バーホーベン
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、レイチェル・ティコティン、シャロン・ストーン、アイケル・アイアンサイド、ロニー・コックス
「夢」と気づいてない人たちの多さ

この映画ってほぼ全編、主人公のシュワルツェネッガーが見ている「夢」ですよね。でも、それに気づいてない人が(いまだに)多いことに驚きます。
専門学校時代にも「あの映画は夢だ」と言っていたのは、私の他に一人しかいませんでした。みんなシュワが火星で大活躍するのは現実の出来事だと思っている。

彼らの論拠は、途中で出てくるリコール社の人が、「君は夢を見ているだけだから現実に戻れ。この薬を飲めば戻れる」と親切に教えてくれるのに、銃を突きつけられたその人が「汗をかいた」のを見て、これは夢じゃないとシュワが判断して射殺するシーン。夢なら汗をかくはずがないと現実派の人たちは言うんですが、それは絶対におかしい。だって、もしシュワが見ている夢だと仮定すれば、彼の夢なんだから何でも起こりうるじゃないですか。
美女とねんごろになる夢を見て、目覚ましが鳴って起きてしまった。でも続きが見たいと5分だけまどろみながら自分好みの続きを見ることってありますよね。シュワはあの状態でしょ? リコール社の人も言うじゃないですか。「君は、我々が埋め込んだ記憶を膨らませて楽しんでいるだけだ」って。
だから、目の前の人間が銃を突きつけられて冷や汗をかくのが「夢ではない」根拠にはなりません。かといって「夢である」根拠にもならない。
じゃあ、どこに夢という根拠があるかって? 作者たちはちゃんと最初に説明してくれてるじゃないですか。
「夢」である根拠

リコール社に行ったシュワが、秘密諜報員になる夢に興味を示し、装置に寝そべって好みの女性のタイプを訊かれる。シュワは夢の女に出逢いたいから「ブルネット、筋肉質、奔放で……いや従順で」とだけ言って眠ります。
そのとき、係員が番号を指定すると、ファーストシーンのシュワの夢に出てきていた女=レイチェル・ティコティンが画面に表示されます。リコール社はシュワの夢にそんな姿かたちの女が出てくるなんて知らないのだから、この時点で「夢」なのは明らかですよね。
この映画の考察記事をいくつか読むと、「眠らされて、タクシーに乗せられるところからが夢」と書いてありましたが、違うでしょ。
店長に「秘密諜報員の夢って料金は?」とシュワが訊くと、「理想の女を手に入れて、火星を悪の陰謀から救うお話です。料金は300クレジット。安いでしょ?」ここまでの15分くらいが現実で、あとはすべて夢です。

つまり、このカットから夢です。この直後に女性のタイプを訊かれますから。
いずれにしても、リコール社が埋め込んだ記憶になぜ夢の女=レイチェル・ティコティンがあらかじめ設定されてるのか、という疑問をいう人もいますが、それを言ってしまったら……

奥さんがこんなすごい美人ということもリコール社は知らないわけでしょ。汗をかくリコール社の人が言うように、シュワは「自分で話を膨らませている」のだから、自分の身の回りの人間、妻のシャロン・ストーンはじめ、職場の同僚とか、リコール社の店長ほか、シュワが実際に知っている人が夢に出てくるのは当然と思われます。
多くの人が、シュワが命を狙われたり火星で大活躍する物語を現実の出来事と誤解しているのは、やはり、リコール社の装置で彼が暴れ出して、係員が「この人、火星に行ったことあるんじゃないですか。だってまだ処置してないんですよ」「とにかくリコール社の記憶も何もかもすべて消せ!」なんていう会話があるからでしょうね。あの時点ですでに夢なんですよ。リコール社の人間が「リコール社」なんて言い方しますかね? 「この会社」「うちの会社」でしょ。夢だからああいう不自然な言い方になる。
それと、シャロン・ストーンの超絶的な美しさもかなり手伝っていると思われます。
冒頭のまだ現実のシーンで、彼女がシュワに「行ってらっしゃい」と仕事へ送り出したあとに一瞬沈んだ表情を見せます。あれは、あとで判明することですが、愛する夫が統合失調症にかかっていること、それゆえに「自分のやるべき仕事が他にあるんじゃないか」という妄想に囚われていることを悲しんでいるだけなんですが、どうしてもあそこまでの美女が沈んだ顔をすると、何かよからぬことを企んでるんじゃないかと勘繰ってしまうんですよね。悪女の匂いがプンプンしますから。職場の同僚も同様。リコール社にいったために植物状態になった人を知ってると彼は本気で心配してるのに、シュワを見つめる目が怪しく見える。でも、すべては「そう見える」だけです。

このラストシーンもすべて夢です。何でも、VHSでは、映画本編のエンドクレジットのあとに、リコール社で目を覚ますシュワ、というシーンが追加されてたんですって。
てことは、脚本には書かれてたってことですね。撮影もしたけど編集でカットしたと。カットしたことで「現実か、夢か」という論争が起こったわけで、『氷の微笑』とほとんど同じだなぁと思ったりもするんですが、それはまた別の話。
私が問題にしたいのは、というか、とても悲しく感じられるのは、「この映画のほぼ全編がもし夢だったら、それはとってもつまらない」という意見が散見されることです。「夢オチってどうよ」的な。
いやいや、夢オチじゃないでしょ。最初に「ここから先は夢ですよ」って明示してくれてるんだから。
この『トータル・リコール』は「夢の世界が居心地よくなりすぎて現実世界に戻ってこれなくなった哀しい主人公の末路」を描いた映画です。
入れ子構造

ただ単に楽しい夢を見ているのではなく、この主人公は、ちょっと前の言葉を使えば、「自分探し」の旅をしてるんですよね。
現実のシュワは、地球の工事現場で働く肉体労働者ですが、妻のシャロン・ストーンに「自分にはもっと他にやるべき仕事があるんじゃないか」と言います。火星で見知らぬ女性と一緒にいる夢を毎晩のように見る。それでそういう妄想を膨らませてしまう。
おそらく、シャロン・ストーンが本当は妻ではなく実は自分の監視役だというのは、もともと彼がそういう妄想をもっていたからなんでしょうね。朝からシャロン・ストーンとエッチできるのに何て罰当たりな、なんて思ってしまいますが(笑)。美しすぎる女は損ですな。
さて、シュワは夢の中で「本当の自分」、つまり、火星で大活躍する自分(実は妄想)を体験するのですが、その夢の中でも自分探しをしてしまうのが、この『トータル・リコール』の要諦でしょう。
奪い取った鞄に入っていたモニターには自分自身が映っており、その男は、「君は君ではなく、俺なんだ」という。何と、本当の自分になるために夢の世界に没入したのに、そこでもまた、自分は本当の自分じゃないという設定。でも、これは、リコール社による設定かもしれません。
大事なのは終盤に明らかになること。火星の長官でコーヘイゲンという悪役と彼が実は仲間で、ゲリラ組織の壊滅のために、シャロン・ストーンと幸せに暮らしているという偽の記憶を埋め込んで地球に送られてきた、と。この設定は確実にシュワが自分で膨らませた設定でしょう。
つまり、リコール社で偽の記憶を埋め込んで夢の世界で遊んでいるだけなのに、そこで膨らませた物語は、またしても「記憶を埋め込まれた」というものなんですね。
コーヘイゲンの手によって元の記憶に戻されそうになったところを持ち前の腕力で脱出し、敵をすべて殺し、レイチェル・ティコティンとキスをする。ハッピーエンドに見えて実はバッドエンドという皮肉きわまりない結末。
悪人だった自分に見切りをつけて、善人としてよみがえった主人公。でも、すべては夢だった。夢なのに、これは夢だと教えてくれるのに、奥さんまで登場して戻ってきてと諭されるのに、それらすべてを拒絶して、居心地のいい夢の世界から戻ってこれなくなった男の末路。
夢だから面白い

とても哀しくないですか? 私は、初めて見たときよりいま見るほうが哀しみが増してました。何か胸を締めつけられる。SFアクションを見てこんな気持ちになるなんてなかなかないですよ。
リコール社でシュワが目を覚ますという、もともとのラストシーンをカットしたのは正解だと思います。リコール社の汗をかく人が言うように、「最後は植物状態」なわけだから、目を覚ますのはおかしいし、そんなことしたら話がそこで終わってしまう。
主人公は植物状態のままずっと夢を見続けるのでしょう。
そして、自分の本当の記憶は消された、本当の記憶=本当の自分はどこだ、俺はいったい誰なんだ⁉ と永遠にさまよい続ける。
それは、同じ原作者による『ブレードランナー』のルトガー・ハウアーと同じですよね。
すべて夢なら面白くない? 夢だから面白いんです!!
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原作:フィリップ・K・ディック
映画ストーリー原案:ロナルド・シャセット、ダン・オバノン&ジョン・ポービル
脚本:ロナルド・シャセット、ダン・オバノン&ゲイリー・ゴールドマン
監督:ポール・バーホーベン
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、レイチェル・ティコティン、シャロン・ストーン、アイケル・アイアンサイド、ロニー・コックス
「夢」と気づいてない人たちの多さ

この映画ってほぼ全編、主人公のシュワルツェネッガーが見ている「夢」ですよね。でも、それに気づいてない人が(いまだに)多いことに驚きます。
専門学校時代にも「あの映画は夢だ」と言っていたのは、私の他に一人しかいませんでした。みんなシュワが火星で大活躍するのは現実の出来事だと思っている。

彼らの論拠は、途中で出てくるリコール社の人が、「君は夢を見ているだけだから現実に戻れ。この薬を飲めば戻れる」と親切に教えてくれるのに、銃を突きつけられたその人が「汗をかいた」のを見て、これは夢じゃないとシュワが判断して射殺するシーン。夢なら汗をかくはずがないと現実派の人たちは言うんですが、それは絶対におかしい。だって、もしシュワが見ている夢だと仮定すれば、彼の夢なんだから何でも起こりうるじゃないですか。
美女とねんごろになる夢を見て、目覚ましが鳴って起きてしまった。でも続きが見たいと5分だけまどろみながら自分好みの続きを見ることってありますよね。シュワはあの状態でしょ? リコール社の人も言うじゃないですか。「君は、我々が埋め込んだ記憶を膨らませて楽しんでいるだけだ」って。
だから、目の前の人間が銃を突きつけられて冷や汗をかくのが「夢ではない」根拠にはなりません。かといって「夢である」根拠にもならない。
じゃあ、どこに夢という根拠があるかって? 作者たちはちゃんと最初に説明してくれてるじゃないですか。
「夢」である根拠

リコール社に行ったシュワが、秘密諜報員になる夢に興味を示し、装置に寝そべって好みの女性のタイプを訊かれる。シュワは夢の女に出逢いたいから「ブルネット、筋肉質、奔放で……いや従順で」とだけ言って眠ります。
そのとき、係員が番号を指定すると、ファーストシーンのシュワの夢に出てきていた女=レイチェル・ティコティンが画面に表示されます。リコール社はシュワの夢にそんな姿かたちの女が出てくるなんて知らないのだから、この時点で「夢」なのは明らかですよね。
この映画の考察記事をいくつか読むと、「眠らされて、タクシーに乗せられるところからが夢」と書いてありましたが、違うでしょ。
店長に「秘密諜報員の夢って料金は?」とシュワが訊くと、「理想の女を手に入れて、火星を悪の陰謀から救うお話です。料金は300クレジット。安いでしょ?」ここまでの15分くらいが現実で、あとはすべて夢です。

つまり、このカットから夢です。この直後に女性のタイプを訊かれますから。
いずれにしても、リコール社が埋め込んだ記憶になぜ夢の女=レイチェル・ティコティンがあらかじめ設定されてるのか、という疑問をいう人もいますが、それを言ってしまったら……

奥さんがこんなすごい美人ということもリコール社は知らないわけでしょ。汗をかくリコール社の人が言うように、シュワは「自分で話を膨らませている」のだから、自分の身の回りの人間、妻のシャロン・ストーンはじめ、職場の同僚とか、リコール社の店長ほか、シュワが実際に知っている人が夢に出てくるのは当然と思われます。
多くの人が、シュワが命を狙われたり火星で大活躍する物語を現実の出来事と誤解しているのは、やはり、リコール社の装置で彼が暴れ出して、係員が「この人、火星に行ったことあるんじゃないですか。だってまだ処置してないんですよ」「とにかくリコール社の記憶も何もかもすべて消せ!」なんていう会話があるからでしょうね。あの時点ですでに夢なんですよ。リコール社の人間が「リコール社」なんて言い方しますかね? 「この会社」「うちの会社」でしょ。夢だからああいう不自然な言い方になる。
それと、シャロン・ストーンの超絶的な美しさもかなり手伝っていると思われます。
冒頭のまだ現実のシーンで、彼女がシュワに「行ってらっしゃい」と仕事へ送り出したあとに一瞬沈んだ表情を見せます。あれは、あとで判明することですが、愛する夫が統合失調症にかかっていること、それゆえに「自分のやるべき仕事が他にあるんじゃないか」という妄想に囚われていることを悲しんでいるだけなんですが、どうしてもあそこまでの美女が沈んだ顔をすると、何かよからぬことを企んでるんじゃないかと勘繰ってしまうんですよね。悪女の匂いがプンプンしますから。職場の同僚も同様。リコール社にいったために植物状態になった人を知ってると彼は本気で心配してるのに、シュワを見つめる目が怪しく見える。でも、すべては「そう見える」だけです。

このラストシーンもすべて夢です。何でも、VHSでは、映画本編のエンドクレジットのあとに、リコール社で目を覚ますシュワ、というシーンが追加されてたんですって。
てことは、脚本には書かれてたってことですね。撮影もしたけど編集でカットしたと。カットしたことで「現実か、夢か」という論争が起こったわけで、『氷の微笑』とほとんど同じだなぁと思ったりもするんですが、それはまた別の話。
私が問題にしたいのは、というか、とても悲しく感じられるのは、「この映画のほぼ全編がもし夢だったら、それはとってもつまらない」という意見が散見されることです。「夢オチってどうよ」的な。
いやいや、夢オチじゃないでしょ。最初に「ここから先は夢ですよ」って明示してくれてるんだから。
この『トータル・リコール』は「夢の世界が居心地よくなりすぎて現実世界に戻ってこれなくなった哀しい主人公の末路」を描いた映画です。
入れ子構造

ただ単に楽しい夢を見ているのではなく、この主人公は、ちょっと前の言葉を使えば、「自分探し」の旅をしてるんですよね。
現実のシュワは、地球の工事現場で働く肉体労働者ですが、妻のシャロン・ストーンに「自分にはもっと他にやるべき仕事があるんじゃないか」と言います。火星で見知らぬ女性と一緒にいる夢を毎晩のように見る。それでそういう妄想を膨らませてしまう。
おそらく、シャロン・ストーンが本当は妻ではなく実は自分の監視役だというのは、もともと彼がそういう妄想をもっていたからなんでしょうね。朝からシャロン・ストーンとエッチできるのに何て罰当たりな、なんて思ってしまいますが(笑)。美しすぎる女は損ですな。
さて、シュワは夢の中で「本当の自分」、つまり、火星で大活躍する自分(実は妄想)を体験するのですが、その夢の中でも自分探しをしてしまうのが、この『トータル・リコール』の要諦でしょう。
奪い取った鞄に入っていたモニターには自分自身が映っており、その男は、「君は君ではなく、俺なんだ」という。何と、本当の自分になるために夢の世界に没入したのに、そこでもまた、自分は本当の自分じゃないという設定。でも、これは、リコール社による設定かもしれません。
大事なのは終盤に明らかになること。火星の長官でコーヘイゲンという悪役と彼が実は仲間で、ゲリラ組織の壊滅のために、シャロン・ストーンと幸せに暮らしているという偽の記憶を埋め込んで地球に送られてきた、と。この設定は確実にシュワが自分で膨らませた設定でしょう。
つまり、リコール社で偽の記憶を埋め込んで夢の世界で遊んでいるだけなのに、そこで膨らませた物語は、またしても「記憶を埋め込まれた」というものなんですね。
コーヘイゲンの手によって元の記憶に戻されそうになったところを持ち前の腕力で脱出し、敵をすべて殺し、レイチェル・ティコティンとキスをする。ハッピーエンドに見えて実はバッドエンドという皮肉きわまりない結末。
悪人だった自分に見切りをつけて、善人としてよみがえった主人公。でも、すべては夢だった。夢なのに、これは夢だと教えてくれるのに、奥さんまで登場して戻ってきてと諭されるのに、それらすべてを拒絶して、居心地のいい夢の世界から戻ってこれなくなった男の末路。
夢だから面白い

とても哀しくないですか? 私は、初めて見たときよりいま見るほうが哀しみが増してました。何か胸を締めつけられる。SFアクションを見てこんな気持ちになるなんてなかなかないですよ。
リコール社でシュワが目を覚ますという、もともとのラストシーンをカットしたのは正解だと思います。リコール社の汗をかく人が言うように、「最後は植物状態」なわけだから、目を覚ますのはおかしいし、そんなことしたら話がそこで終わってしまう。
主人公は植物状態のままずっと夢を見続けるのでしょう。
そして、自分の本当の記憶は消された、本当の記憶=本当の自分はどこだ、俺はいったい誰なんだ⁉ と永遠にさまよい続ける。
それは、同じ原作者による『ブレードランナー』のルトガー・ハウアーと同じですよね。
すべて夢なら面白くない? 夢だから面白いんです!!
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