主治医が胃ガンで入院し、別の病院にかかるようになってもう2か月になります。主治医はもう80前後だし、仮に命が助かっても医者としての復帰は無理だろうとは思ってましたが、数日前に病院に行ったら、はっきり「閉院します」と看板に紙が貼ってありました。


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涙があふれてきました。

もう復帰は無理だろうとわかっていたということは、生きて主治医に再会する可能性はないとわかっていたということです。

なのに、それまで涙なんか出なかったのに、はっきり可能性なしとわかると途端に涙があふれてくるのはどうしてでしょう?


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実家の犬が死んだときも同じでした。もう死んでちょうど1年たちますが、その4か月前から寝たきりになっていました。もうすぐ死ぬとわかっていた。なのに、はっきり死んだと聞くと涙があふれてくる。

そもそも、飼い始めたときから、「こいつは俺より先に死ぬのだ」とわかっていたんですよね。わかっているのに、それを忘れ、正確には忘れたふりをして楽しんでいた。

でも、さすがに寝たきりになると、死期が近いと意識せざるをえない。でもはっきり死ぬまではそんなに涙が出ないのに、死ぬと涙があふれてくるのはどうしてでしょう?

生物学者の池田清彦先生が、「人間っていうのは不思議なもので、自分だけは絶対死なないって、心のどっかで思ってるんだよね」と言ってましたが、はっきり死ぬまでは「こいつは死なない」「主治医はいつか復帰する」と思ってたんでしょうか。

復帰はないと言っていたのは、そういうふうに言うほうが無邪気に復帰を信じるようなことを言うより、リアリズムである、大人である、何かかっこいい、などと思っていたのかしらん。

でないと説明がつかない。確かに、犬が寝たきりになると、元気だった頃を思い出して涙が出たことはあるけれど、死んだときのような出方ではなかった。

はっきりしたことがわかるまでは、心のどこかで奇跡が起こると信じていたのかもしれない。

だいたい、復帰はないと本当に思っていたのなら、なぜ私は病院に行ったのか。本当に復帰なしと思っていたのなら、二度と行かなくてよい。行く必要がない。

それでも行ったのは、やはりはっきりしたことが知りたかったから。心のどこかで奇跡を期待している甘えた自分に喝を入れようとしたのかもしれない。

そんなことを思った真冬の夕暮れでした。


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