ついに待ちに待った『深夜のダメ恋図鑑』の最新刊が出たのはいいんですが、最終巻と知ってとても淋しかったです。でも、同時に結末を知ることができる歓びもありました。さて、このダメンズと女たちのマンガはどのような結末に至ったのでしょうか。(以下いきなりネタバレしてます。ご注意ください)

それぞれの結末
・諒くんとあゆみ
諒くんはあゆみという彼女と結婚に至ります。佐和子佐和子とばかり言っていた諒くんですが、彼女からはっきり嫌われていることが判明しただけでなく、あゆみが何とただの「何もしない女」ではなく、自分と同業の不動産会社の社長令嬢だと判明した。しかも、その令嬢は「女だから」というただそれだけの理由で後を継がせてもらえない。諒くんなら同業だし、結婚さえすれば次期社長だよ、とのあゆみの悪魔の誘いを断り切れず結婚します。
しかし、実はあゆみが大の浪費癖で親や兄のカードを勝手に使ったりしていたため、両親は彼女を家から追い出したかった。飛んで火にいる夏の虫。あゆみを引き受けてくれる諒くんという生贄が現れてくれたので、あゆみの両親も兄もどこかへ雲隠れしてしまい、女に依存する男・諒くんと、男に依存する女・あゆみは最悪の結末を迎える。
・佐和子と五十市

前巻で五十市の愛をつかみ損ねた佐和子は、頑張って資格試験に合格、しかし、「女だから」というただそれだけの理由で自分の名前を冠した事務所をもたせてもらえない。でも、それは上司の勘違いで、周りはみんな佐和子が代表として最もふさわしいと思っているとわかり、晴れて代表者に収まる。失恋した五十市から「つきあってください」といわれるも、「この人は苦楽を共にする人ではない」と断り、伯母さんの見合いの話も断り、仕事に励む毎日。
・円と市来

円は、生来の鈍さから市来の恋愛感情を読み損ねてばかりのうえに、毒舌ばかりで市来はうんざりしていたが、二回目の告白をし、それがついに伝わり、二人はつきあうようになる。しかも一年後には結婚の話までもちあがる。
・千代と八代くん
千代は何だかんだあったけど、出産の末に八代くんがとてもいいイクメンだ判明し、幸せな毎日。
以上が主要キャラの結末。諒くんとあゆみは最悪の結末でしたが、当然の報いでしょう。円と市来が結ばれてよかった。二人の性格を考えると前途多難だけど、とりあえずはよかった。しかしながら、私にとって、登場人物が最終的にどういう結末を迎えたかということより、この『深夜のダメ恋図鑑』が内包している(してきた)「テーマ」にやっと気がつき、そちらのほうに歓びを感じました。
このマンガが内包しているテーマとは「暴力」と「言葉」です。
暴力
新型コロナの発生からもうはや3年の月日が経ちます。この3年で世界はすっかり変わりました。死ぬかもしれないという恐怖がすべてを変えた。
プーチンのロシアがウクライナを侵略しました。日本にいる私にとって直接火の粉がかかるわけじゃないけど、ウクライナはヨーロッパの穀倉とまで言われる小麦の産地のため、食物の値段が上がり続けています。天然ガスや石油も影響を受け、電気代やガス代も上がる。庶民の生活は逼迫しています。ツイッターでは「#自民党に殺される」「#岸田に殺される」というハッシュタグが頻繁に見られるようになりました。このままでは死んでしまうという恐怖が、自民党に隷従してきた庶民の政治への関心を呼び起こしているように見えます。
このように、この世界を根本から変えられるのは「暴力」だけなんじゃないかと、私はこの3年間思ってきました。その思いは増幅する一方で、何だかんだいっても人間は「自分が死ぬ恐怖」に直面しないと変われないのだとの諦念を抱きつつありました。
この『深夜のダメ恋図鑑』でこれまで繰り返し描かれてきたのは、諒くんに代表されるジェンダーバイアスをもった男どもです。女は男に尽くすべき存在であり、男のために料理をし、男のために家事全般をこなし、男のために常に笑顔をたやさず、男のために男より稼いでいることを声高に言ったりせず、常に一歩下がって殊勝な女を演じる、それが女の幸せだ、と。そんな旧弊を打破しようとキレまくる女たちの啖呵が最大の魅力でした。
しかし、8巻くらいから明らかになったのは、男が女に依存する一方で、女もまた男に依存している事実です。それは諒くんを非難する佐和子ですらそうなのです。五十市は料理もするし後片付けもすべてやってくれるハイスペック男子です。佐和子は上げ膳据え膳でゆっくりしている自分に「諒くん化してないか?」と戦慄します。

佐和子に振られたあとも、五十市は彼女に会うと、「そんな佐和子さんが好きっス!」と人たらし的な笑顔を見せますが、繰り返される同じ言葉には何の感情もこもっておらず、五十市は「口先だけ」であることが徐々にわかってきます。それでも佐和子が彼に抗えないのは、ひとえに五十市がハイスペック男子だからです。諒くんがずっと佐和子のことを忘れられないのも、佐和子がハイスペック女子だからです。
そうです。諒くんと佐和子は同じ穴のムジナなのです。
男は女に依存している。
女は男に依存している。
両者どっちもどっち。ただ、これまで男性優位社会が続いてきたために女性は劣位に置かれ、苦しんできた。だからこのマンガの女たちは、当然のように女を召使扱いする男どもにキレてきたわけですが、結局、人間は男も女もみんな誰かに依存したいのです。
男も女も根っこは同じ。じゃあ、何が違うか。
それはもうただひとつだけ。体の大きさですね。筋肉の量といってもいい。DV夫やレイプ魔はその最たるものでしょう。体が大きく腕力もある男は、力ずくで女を従わせることができる。
男性優位社会は、だから「暴力」の産物です。別に男だけが異性に依存するわけではない。女だってそこは同じ。ただ筋肉の量が違い、体の大きさが違うから、女は目の前の男に殺されるかもという恐怖のために、男に従い、男より劣位に置かれることを受け入れざるをえなかった。そして、それを「女の歓び」だとイデオロギー化して自らを変化させ、変化しないまともな女たちを攻撃してきた。「女の敵は女」という言葉はこういうところから生まれてきたのでしょう。
諒くんは佐和子に殴ったり蹴ったりなど、わかりやすい直接的な暴力はふるいませんが、粘着ストーキングという「暴力」は存分にふるいます。
円は会社の上司からパワハラまがいのセクハラを受けたり、道行く男どもから直接的な暴力を振るわれそうになる。円は握力が70キロもある元ヤンなので、そんなの何のその。市来がいなくても彼女一人で対処できますが、日常的に男からの「暴力」にさらされているのは他の女性と変わりません。
新型コロナや戦争、それを原因とした生活の困窮から「死ぬかもしれない」という恐怖を覚え始めたのは、もしかしたら私たち男性だけかもしれない。女性は、物心ついたときから男からの暴力に怯えて暮らしてきたのかもしれない。男の私にはわからない。
そこへ現れたのが、佐和子の場合は五十市でした。彼女に暴力をふるわないどころか少しも威圧的な言葉を吐かず、ただ大事にしてくれる存在。佐和子は最初、五十市のそこに惚れたようですが……
佐和子が「女だから」というだけの理由で、上司から後輩を代表者にして佐和子はその補佐役でやっていってほしいと最初は言われますが、上述のようにそれは上司の勘違いで、その後輩は「変な客が来たら、俺たちが後ろでマッチョポーズ取ってるんで!」と言います。つまり暴力的に佐和子を守るという。ロシアに侵略されたウクライナのように、防衛戦争をするのだと。
「女を守る男」というのは、とてもいい奴のようでいて、暴力を背景にしているのだからこれまで女性を従えていた男どもと同根です。男たちの暴力が将来的に佐和子に向かってこない保証なんかどこにもない。
佐和子は五十市の「つきあってほしい」という申し出を断ります。一番どん底だったときに自分を選んでくれなかった彼とは縁がない、彼は苦楽を共にする相手ではないと言います。
でも、それは本当の理由じゃないように思う。
五十市なら最適任のように思っていた佐和子も、彼の「言葉」の軽薄さに気づいたのだと思われます。
言葉
円と市来のカップルは、佐和子と五十市とは決定的に異なります。
円は元ヤンなので市来より腕力があるし、喧嘩慣れもしています。毒舌による威嚇も堂に入っている。
だから市来は暴力を背景に円を守ったりできない。逆に、円のほうが市来に暴言という暴力を振るっている。市来は、円の毒舌にのけぞったり、なるほどと思ったり、リアクションは様々ですが、彼は円の暴力を黙認します。
そんな彼の武器は「言葉」です。円のような心ない毒舌ではなく、五十市のような軽薄な言葉でもなく、心からのとても誠実な言葉。
市来は、円の毒舌のせいで何度もめげそうになりますが、最終的には、「だから俺が好きなのはあんたなんだよ!」という二度目の告白により、事態を打開します。それでもまだ円は何だかんだと抗弁しますが、ついに……

「あんた以外の女を好きになれる気がしねえ!」
「あんたじゃなきゃ俺はもう一生独身だ!」
これが決定打となり、円も「あたしも市来さん以外とは無理かもしれない。あたしの毒舌に引かないの市来さんだけだから」と観念し、ついに二人はつきあうようになります。
五十市の「そんな佐和子さん、やっぱり好きっス!」は口先だけですが、市来の「あんたじゃなきゃダメなんだ!」は魂の叫びです。その叫びが円の毒舌を抑えてしまうばかりか、まだ恥じらいを知らない円をして赤面させるに至ります。
一年後、市来は気取ったプロポーズを考えていたのですが、円に見ぬかれショボンとなっていると、「結婚? ありがとありがと! いーじゃん結婚! 一人暮らしにも飽きてきたし。で、いつするの?」などと心をくじくようなことを言われます。
これを聞いた佐和子と千代は「市来さんがかわいそう」と言い、「大事にしなよ。そんなあんたを許容してくれるのは市来さんだけだよ」と諭します。
思い出せば、1巻から円の啖呵は佐和子のそれと同じように、とても痛快でした。でも、市来の気持ちに気づかず、知らず知らず彼を傷つける毒舌の数々は、佐和子の気持ちを考えない自分中心な諒くんのような男性たちの心ない言葉の数々と表裏一体です。円もまた、ダメンズと同根なのです。
「あんたじゃなきゃ俺はもう一生独身だ!」という市来の魂の叫びにより目を覚まされた円は、「あたしも市来さん以外とは無理かもしれない」と素直になります。この二つの言葉は二人の本音であり、どうしようもない魂の叫びなのです。
そう、市来は円に依存し、円は市来に依存しています。二人はお互いに依存していることを最終的に自覚し、それを素直に言葉にすることで幸せを手にします。
佐和子は、誰にも依存しない選択をしたかに見えて、その実、五十市に依存したり、結婚が女の幸せだと平然と言う伯母の紹介で見合いしたり、といった旧弊を拒絶しただけで、誰かに依存することそのものをやめたわけではありません。人間にそんなことできません。ただ、いまは円にとっての市来のような「特別な誰か」との出逢いを待っているだけ。五十市のような軽薄な言葉しか言えない男ではなく、市来のような誠実な言葉で自分を包んでくれる男を。
やはり、円が惚れただけあって、市来は言葉の本当の意味での「男前」であり、この作品最大の良心なのです。
もし佐和子がそんな人と出逢えたら、円と市来のように「あなたしかいない」という言葉を投げかけるのでしょう。相手が受け止めてくれたら、もうそれ以上幸せなことはない。
「暴力」を背景にした男女関係の負の歴史に終止符を打てるのは、そのような「言葉」だけだと、この『深夜のダメ恋図鑑』は言っているのだと私は感じました。(終わり)

それぞれの結末
・諒くんとあゆみ
諒くんはあゆみという彼女と結婚に至ります。佐和子佐和子とばかり言っていた諒くんですが、彼女からはっきり嫌われていることが判明しただけでなく、あゆみが何とただの「何もしない女」ではなく、自分と同業の不動産会社の社長令嬢だと判明した。しかも、その令嬢は「女だから」というただそれだけの理由で後を継がせてもらえない。諒くんなら同業だし、結婚さえすれば次期社長だよ、とのあゆみの悪魔の誘いを断り切れず結婚します。
しかし、実はあゆみが大の浪費癖で親や兄のカードを勝手に使ったりしていたため、両親は彼女を家から追い出したかった。飛んで火にいる夏の虫。あゆみを引き受けてくれる諒くんという生贄が現れてくれたので、あゆみの両親も兄もどこかへ雲隠れしてしまい、女に依存する男・諒くんと、男に依存する女・あゆみは最悪の結末を迎える。
・佐和子と五十市

前巻で五十市の愛をつかみ損ねた佐和子は、頑張って資格試験に合格、しかし、「女だから」というただそれだけの理由で自分の名前を冠した事務所をもたせてもらえない。でも、それは上司の勘違いで、周りはみんな佐和子が代表として最もふさわしいと思っているとわかり、晴れて代表者に収まる。失恋した五十市から「つきあってください」といわれるも、「この人は苦楽を共にする人ではない」と断り、伯母さんの見合いの話も断り、仕事に励む毎日。
・円と市来

円は、生来の鈍さから市来の恋愛感情を読み損ねてばかりのうえに、毒舌ばかりで市来はうんざりしていたが、二回目の告白をし、それがついに伝わり、二人はつきあうようになる。しかも一年後には結婚の話までもちあがる。
・千代と八代くん
千代は何だかんだあったけど、出産の末に八代くんがとてもいいイクメンだ判明し、幸せな毎日。
以上が主要キャラの結末。諒くんとあゆみは最悪の結末でしたが、当然の報いでしょう。円と市来が結ばれてよかった。二人の性格を考えると前途多難だけど、とりあえずはよかった。しかしながら、私にとって、登場人物が最終的にどういう結末を迎えたかということより、この『深夜のダメ恋図鑑』が内包している(してきた)「テーマ」にやっと気がつき、そちらのほうに歓びを感じました。
このマンガが内包しているテーマとは「暴力」と「言葉」です。
暴力
新型コロナの発生からもうはや3年の月日が経ちます。この3年で世界はすっかり変わりました。死ぬかもしれないという恐怖がすべてを変えた。
プーチンのロシアがウクライナを侵略しました。日本にいる私にとって直接火の粉がかかるわけじゃないけど、ウクライナはヨーロッパの穀倉とまで言われる小麦の産地のため、食物の値段が上がり続けています。天然ガスや石油も影響を受け、電気代やガス代も上がる。庶民の生活は逼迫しています。ツイッターでは「#自民党に殺される」「#岸田に殺される」というハッシュタグが頻繁に見られるようになりました。このままでは死んでしまうという恐怖が、自民党に隷従してきた庶民の政治への関心を呼び起こしているように見えます。
このように、この世界を根本から変えられるのは「暴力」だけなんじゃないかと、私はこの3年間思ってきました。その思いは増幅する一方で、何だかんだいっても人間は「自分が死ぬ恐怖」に直面しないと変われないのだとの諦念を抱きつつありました。
この『深夜のダメ恋図鑑』でこれまで繰り返し描かれてきたのは、諒くんに代表されるジェンダーバイアスをもった男どもです。女は男に尽くすべき存在であり、男のために料理をし、男のために家事全般をこなし、男のために常に笑顔をたやさず、男のために男より稼いでいることを声高に言ったりせず、常に一歩下がって殊勝な女を演じる、それが女の幸せだ、と。そんな旧弊を打破しようとキレまくる女たちの啖呵が最大の魅力でした。
しかし、8巻くらいから明らかになったのは、男が女に依存する一方で、女もまた男に依存している事実です。それは諒くんを非難する佐和子ですらそうなのです。五十市は料理もするし後片付けもすべてやってくれるハイスペック男子です。佐和子は上げ膳据え膳でゆっくりしている自分に「諒くん化してないか?」と戦慄します。

佐和子に振られたあとも、五十市は彼女に会うと、「そんな佐和子さんが好きっス!」と人たらし的な笑顔を見せますが、繰り返される同じ言葉には何の感情もこもっておらず、五十市は「口先だけ」であることが徐々にわかってきます。それでも佐和子が彼に抗えないのは、ひとえに五十市がハイスペック男子だからです。諒くんがずっと佐和子のことを忘れられないのも、佐和子がハイスペック女子だからです。
そうです。諒くんと佐和子は同じ穴のムジナなのです。
男は女に依存している。
女は男に依存している。
両者どっちもどっち。ただ、これまで男性優位社会が続いてきたために女性は劣位に置かれ、苦しんできた。だからこのマンガの女たちは、当然のように女を召使扱いする男どもにキレてきたわけですが、結局、人間は男も女もみんな誰かに依存したいのです。
男も女も根っこは同じ。じゃあ、何が違うか。
それはもうただひとつだけ。体の大きさですね。筋肉の量といってもいい。DV夫やレイプ魔はその最たるものでしょう。体が大きく腕力もある男は、力ずくで女を従わせることができる。
男性優位社会は、だから「暴力」の産物です。別に男だけが異性に依存するわけではない。女だってそこは同じ。ただ筋肉の量が違い、体の大きさが違うから、女は目の前の男に殺されるかもという恐怖のために、男に従い、男より劣位に置かれることを受け入れざるをえなかった。そして、それを「女の歓び」だとイデオロギー化して自らを変化させ、変化しないまともな女たちを攻撃してきた。「女の敵は女」という言葉はこういうところから生まれてきたのでしょう。
諒くんは佐和子に殴ったり蹴ったりなど、わかりやすい直接的な暴力はふるいませんが、粘着ストーキングという「暴力」は存分にふるいます。
円は会社の上司からパワハラまがいのセクハラを受けたり、道行く男どもから直接的な暴力を振るわれそうになる。円は握力が70キロもある元ヤンなので、そんなの何のその。市来がいなくても彼女一人で対処できますが、日常的に男からの「暴力」にさらされているのは他の女性と変わりません。
新型コロナや戦争、それを原因とした生活の困窮から「死ぬかもしれない」という恐怖を覚え始めたのは、もしかしたら私たち男性だけかもしれない。女性は、物心ついたときから男からの暴力に怯えて暮らしてきたのかもしれない。男の私にはわからない。
そこへ現れたのが、佐和子の場合は五十市でした。彼女に暴力をふるわないどころか少しも威圧的な言葉を吐かず、ただ大事にしてくれる存在。佐和子は最初、五十市のそこに惚れたようですが……
佐和子が「女だから」というだけの理由で、上司から後輩を代表者にして佐和子はその補佐役でやっていってほしいと最初は言われますが、上述のようにそれは上司の勘違いで、その後輩は「変な客が来たら、俺たちが後ろでマッチョポーズ取ってるんで!」と言います。つまり暴力的に佐和子を守るという。ロシアに侵略されたウクライナのように、防衛戦争をするのだと。
「女を守る男」というのは、とてもいい奴のようでいて、暴力を背景にしているのだからこれまで女性を従えていた男どもと同根です。男たちの暴力が将来的に佐和子に向かってこない保証なんかどこにもない。
佐和子は五十市の「つきあってほしい」という申し出を断ります。一番どん底だったときに自分を選んでくれなかった彼とは縁がない、彼は苦楽を共にする相手ではないと言います。
でも、それは本当の理由じゃないように思う。
五十市なら最適任のように思っていた佐和子も、彼の「言葉」の軽薄さに気づいたのだと思われます。
言葉
円と市来のカップルは、佐和子と五十市とは決定的に異なります。
円は元ヤンなので市来より腕力があるし、喧嘩慣れもしています。毒舌による威嚇も堂に入っている。
だから市来は暴力を背景に円を守ったりできない。逆に、円のほうが市来に暴言という暴力を振るっている。市来は、円の毒舌にのけぞったり、なるほどと思ったり、リアクションは様々ですが、彼は円の暴力を黙認します。
そんな彼の武器は「言葉」です。円のような心ない毒舌ではなく、五十市のような軽薄な言葉でもなく、心からのとても誠実な言葉。
市来は、円の毒舌のせいで何度もめげそうになりますが、最終的には、「だから俺が好きなのはあんたなんだよ!」という二度目の告白により、事態を打開します。それでもまだ円は何だかんだと抗弁しますが、ついに……

「あんた以外の女を好きになれる気がしねえ!」
「あんたじゃなきゃ俺はもう一生独身だ!」
これが決定打となり、円も「あたしも市来さん以外とは無理かもしれない。あたしの毒舌に引かないの市来さんだけだから」と観念し、ついに二人はつきあうようになります。
五十市の「そんな佐和子さん、やっぱり好きっス!」は口先だけですが、市来の「あんたじゃなきゃダメなんだ!」は魂の叫びです。その叫びが円の毒舌を抑えてしまうばかりか、まだ恥じらいを知らない円をして赤面させるに至ります。
一年後、市来は気取ったプロポーズを考えていたのですが、円に見ぬかれショボンとなっていると、「結婚? ありがとありがと! いーじゃん結婚! 一人暮らしにも飽きてきたし。で、いつするの?」などと心をくじくようなことを言われます。
これを聞いた佐和子と千代は「市来さんがかわいそう」と言い、「大事にしなよ。そんなあんたを許容してくれるのは市来さんだけだよ」と諭します。
思い出せば、1巻から円の啖呵は佐和子のそれと同じように、とても痛快でした。でも、市来の気持ちに気づかず、知らず知らず彼を傷つける毒舌の数々は、佐和子の気持ちを考えない自分中心な諒くんのような男性たちの心ない言葉の数々と表裏一体です。円もまた、ダメンズと同根なのです。
「あんたじゃなきゃ俺はもう一生独身だ!」という市来の魂の叫びにより目を覚まされた円は、「あたしも市来さん以外とは無理かもしれない」と素直になります。この二つの言葉は二人の本音であり、どうしようもない魂の叫びなのです。
そう、市来は円に依存し、円は市来に依存しています。二人はお互いに依存していることを最終的に自覚し、それを素直に言葉にすることで幸せを手にします。
佐和子は、誰にも依存しない選択をしたかに見えて、その実、五十市に依存したり、結婚が女の幸せだと平然と言う伯母の紹介で見合いしたり、といった旧弊を拒絶しただけで、誰かに依存することそのものをやめたわけではありません。人間にそんなことできません。ただ、いまは円にとっての市来のような「特別な誰か」との出逢いを待っているだけ。五十市のような軽薄な言葉しか言えない男ではなく、市来のような誠実な言葉で自分を包んでくれる男を。
やはり、円が惚れただけあって、市来は言葉の本当の意味での「男前」であり、この作品最大の良心なのです。
もし佐和子がそんな人と出逢えたら、円と市来のように「あなたしかいない」という言葉を投げかけるのでしょう。相手が受け止めてくれたら、もうそれ以上幸せなことはない。
「暴力」を背景にした男女関係の負の歴史に終止符を打てるのは、そのような「言葉」だけだと、この『深夜のダメ恋図鑑』は言っているのだと私は感じました。(終わり)
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