いままでずっと知らなかったんですけど、タレントのりゅうちぇるが、自分の性自認は子どもの頃から女であり、女として男が好きだった、つまり「ヘテロセクシャルの女性」だったとカミングアウトして、ぺこという妻と離婚していたそうですね。

昨日たまたまある人のツイートで知りました。りゅうちぇるというタレントにほとんど興味がなかったので、カミングアウトとか離婚とかぜんぜん知りませんでした。


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まず疑問だったのは、幼少の頃から性自認が女で性愛の対象が男だったのなら、彼がなぜぺこという女性と結婚したのか。調べてみたら、「人生で初めて女性を好きになった。それがぺこだった」というりゅうちぇるのコメントがあって、なるほど、と。

そして、「夫は男らしくあらねばならない」という呪縛に囚われて、それが息苦しくてカミングアウトに至ったというんですね。これも、なるほど。

これに対するぺこさんのコメントは、

「正直、墓場までもっていってほしかったと一瞬たりとも思ったことがないと言えば嘘になります」

というもので、これも、なるほど。一人の女性としてりゅうちぇるという男を好きになって子どもまで儲けたのに、いきなり「実は女です。離婚して」なんて言われたら、回し蹴りの一発でも決めてやりたくなるのが普通かと。

でも結局、話し合いの結果、二人は離婚したうえで事実婚のパートナー(夫婦ではなく)として、いままでどおり一緒に子育てをしていくことに決めたとか。

それならそれでいいじゃないですか。何が問題なの?

りゅうちぇるのカミングアウトとぺこさんの決断に対し、このようなコメントがあるそうです。


ぺこさんの実家は太いんですか。しかも寄生していたと。それは知らなかった。彼って結構稼いでるイメージがあったけど違うんですね。

ぺこさんの実家は、調べてみるとかなりの資産家だそうで。220坪、10LDKの豪邸に高級外車が4台もあるとか。ふうん。

そりゃ、りゅうちぇるが逆玉に乗ろうとして成功し、そのあと性自認をもちだして彼女を捨てた、と言いたくなる人の気持ちもわからなくはない。

でも、りゅうちぇるは離婚しても事実婚としてぺこさんと一緒に子育てしていくんだから、彼女を捨てたわけじゃないでしょう。

要は「ヒモだったくせに何言ってるんだ」と言いたいわけですね。でも、それはただの妬みやっかみです。私も貧困層の一人だけど、別に何も思わない。彼はラッキーで私はラッキーじゃなかっただけ。

もしぺこさんの実家が金持ちじゃなかったらここまでみんな叩くのかと考えたら大いに疑問。叩かないとしたら、問題は夫や父親としての責任とかじゃなくて、カネの問題ということ?


この「その都度」というのが、多くの人から反感を買っているようですね。

つまり、もともと性自認は女で性愛の対象は男だった。でも、ぺこという女を初めて好きになり、ぺことだけはセックスできた。それがわからないというか、あまりに都合よすぎないか、みたいな。

でも、「性」というのは「男」と「女」にクリアカットに分けられるものじゃないんですよ。性はグラデーションなんです。つまり濃淡。100%の男もいないし、100%の女もいない。男と女の間をゆらゆら動いているのです。

性愛の対象が「異性」か「同性」かというのも同じことです。私はヘテロセクシャルの男だけど、女なら誰だっていいわけじゃない。誰だってそうでしょ。りゅうちぇるが基本的に男だけが性愛の対象だけど、ぺこさんだけは違ったというのは、だから充分ありえることです。さんまが「マイケル・ジョーダンならオカマ掘られてもいい」とか以前言ってましたけど、私も昔、「真田広之なら」と思ってたことがあります。いまは違うけど。

だから、りゅうちぇるの、実家の太いぺこさんとだけはセックスできて、子どもができたらカミングアウトしてあとは自由に、というのが「その都度」違うじゃないかというのは、当たっていません。いや、当たっていますが、「その都度、自分が男だったり女だったり、性愛の対象が男だったり女っだったり」というのが普通の状態なのです。自分は男、自分は女と固定するほうがむしろ変なのです。

私が昨日見たツイートは以下のものです。


りゅうちぇるの「女として生きる」は、着飾ってクネクネすることである。
ぺこさんの「女として生きる」は子育てに翻弄されることである。

着飾ってクネクネというのは、めちゃ古い「オカマ」を指す表現です。しかもこの言葉は、りゅうちぇるが本当は男だと前提してるわけですよね。そこがおかしい。本人はもとから性自認は女だと言ってるんだし。

一方、ぺこさんは子育てに人生を固定される。女は子どもを産んだ以上、子育てに翻弄されるしかない。それが女にしか起きないリスクだと。これもえらく古い女性観じゃないですか。だって、りゅうちぇるは一緒に子育てすると言ってるんでしょ。別にぺこさんに子育てを押しつけて逃げたわけじゃない。

そもそもの問題として、何より性はグラデーションなのだから、「女として生きる」というりゅうちぇるの言葉自体がおかしいんですけどね。

私の性自認は男ですが、「女性的」と言われることが多々あります。女言葉を使うこともあるし、まぁそれはほとんど冗談で使うのだけど、でも、普段使わない女言葉を言ってる自分を快いと思うことがあるんですよ。つまり、女を演じることが快感なのです。

どこかに「女としての自分」がいる。私はある時期から常にそう思って生活しています。とはいえ、男という性自認が揺らいだことがないので、常に51%以上は男なのだろうけど、残りの49%が男になったり女になったりしてるんだと思います。りゅうちぇるは、なぜかはわからないが、ぺこさんに対してだけは男になる。それだけの話では?


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みんな結局「男らしさ」「女らしさ」「夫らしさ」「妻らしさ」「父親らしさ」「母親らしさ」という呪縛に囚われていると思う。

りゅうちぇるは何よりその「男らしさ」に息苦しさを感じてカミングアウトしたわけで、そこを攻撃しても、彼からしたら「???」でしょう。そこが自分に合わないという話なのに。

みんなもっと自由になったらいいと思う。

「LGBTをもちだしたら反論できないのをいいことに」なんて意見も散見されますが、なぜ反論できないのかを考えるべきです。なぜそれが「正しい」とされているか。

私も昨今のPCばかりを尊ぶ風潮には辟易してますけど、LGBTに関しては違うというか、最新の科学研究に触れると、みんなゲイだし、みんなレズビアンで、みんなバイセクシャルなんだということは大事にしたほうがいいと思う。

他人の性自認をあれこれ言う前に、自分の性自認や性的嗜好について深く考えるべきです。自分の性自認についてコメントして、そのうえでりゅうちぇるを非難するならまだしもですが、そんな人が皆無なのはいかがなものか。みんな「自分は男」「自分は女」と固定して考えてしまっているのでしょう。

それはもう古いんですよ。性はグラデーション。明日、別の性に目覚めるかもしれない。そのような可能性に自分を開いていくこと。殻に閉じこもらず、自由に考え、生きること。

りゅうちぇるがやったことは、そういう新しい生き方であって、そんな彼に対して旧弊をもちだして非難するのは筋違いだと思います。





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