内田樹先生と映画監督の想田和弘さんの対談本『下り坂のニッポンの幸福論』を読んでいて、なるほど、そういうことだったのか! と得心したことがあります。

渋谷の映画の専門学校に行っていた頃、講師から生徒全員にこんな根源的な問いが発せられました。
「君たちはなぜシナリオを書こうと思ったのか」
私は、
「虚構の中にこそ真実があると思えたから」
と答えました。講師は、
「虚構の中にこそ真実があるというのはとても大事だけど、それだけだったら別に書かなくても見てるだけでよくない?」
と返されて、何も答えられませんでした。
自分は映画を見たいと思っているだけなのだろうか。シナリオを書くためには古今東西の映画に精通してないといけないと言って見てましたが、私にとってシナリオを書くとは、映画を見るためのアリバイ作りみたいなものだったのか。
それは撮影所を辞めたときにも思ったことです。「脚本家を目指すために」と言って辞めたものの、実は現場のしんどい仕事から逃げただけではないのか。「おまえは俺が育てたなかでも一、二を争うくらいの新人や」と大先輩にほめられながらそれでも辞めたのは、シナリオを書くための時間がほしかったからではなく、単に映画を見る時間がほしかったからではないのか、と。
さて、『下り坂のニッポンの幸福論』には、こんなことが書いてあります。
想田和弘監督は、就活をやめて映画監督になろうと思ったとき、映画を撮ったことさえなければ、映画を見たこともほとんどなかったそうです。でも映画監督だと思った、と。その理由は「わからない」。
内田先生も、仏文科の教師でしたが、なぜフランス文学の研究者になりたいと思ったのか、よくわからないそうです。
でも、明確な理由をもってある分野の研究者になった人ってあまり長続きしないそうです。内田先生が大学を退職後もずっと仏文の研究を続けているのは「なぜ自分がそんなことをしているのかよくわからないから」らしい。
私が映画の虜になったのは、17歳の秋に生れて初めてレンタルビデオを借りて『明日に向って撃て!』を見たときです。映画とはこんなに素晴らしいものなのか、と金縛りに遭い、以来ずっと狂ったように見続けてきました。
あの頃、とにかく死ぬのが怖かった。当時すでに自殺願望に憑りつかれていたはずなのに、とにかく一本でも多く見たい、もっと見るまでは死ねないと、青信号を渡るのも恐かったくらいでした。
いまだに『明日に向って撃て!』の衝撃は忘れられませんが、『下り坂のニッポンの幸福論』によれば、私はあのときの衝撃が何だったのかがわからないから、つまりは映画とは何ぞやということを知りたいから映画を見てきたのではないか。
映画を見て楽しみたいのでも、映画を作りたいのでもなく、映画とは何かを知りたいだけではなかったか。

シナリオを書き始めたのもその一環ではなかったか、という気がしてきました。
京都の専門学校に行く前から実はシナリオは書いてたんですよね。最初は、兄がもっていたマンガ『人間交差点』のある挿話をそのままシナリオに起こしたもの。次がトム・ハンクス主演の人気作『ビッグ』を何度も見て、頭の中で再現しながらちょっとだけアレンジしたものを執筆。それから、ト書きはなく、会話だけで構成された会話劇は何度も書きました(全部短編ですが)。
あれも、いま思えば、映画を作りたいとかそういう動機ではなく、映画とかドラマとかそういうことを追究したくて書いていただけではないか。

脚本家の夢をあきらめたいまも飽きずに見続けているのは、単に好きだからではなく、自分の「根っこ」を知りたいからじゃないかと思います。
自殺願望に憑りつかれた自分に「いまは絶対死にたくない」と強く思わせたものはいったい何だったのか。
それがわからないかぎり、私は死ぬ日まで映画の光に目を凝らすのでしょう。



渋谷の映画の専門学校に行っていた頃、講師から生徒全員にこんな根源的な問いが発せられました。
「君たちはなぜシナリオを書こうと思ったのか」
私は、
「虚構の中にこそ真実があると思えたから」
と答えました。講師は、
「虚構の中にこそ真実があるというのはとても大事だけど、それだけだったら別に書かなくても見てるだけでよくない?」
と返されて、何も答えられませんでした。
自分は映画を見たいと思っているだけなのだろうか。シナリオを書くためには古今東西の映画に精通してないといけないと言って見てましたが、私にとってシナリオを書くとは、映画を見るためのアリバイ作りみたいなものだったのか。
それは撮影所を辞めたときにも思ったことです。「脚本家を目指すために」と言って辞めたものの、実は現場のしんどい仕事から逃げただけではないのか。「おまえは俺が育てたなかでも一、二を争うくらいの新人や」と大先輩にほめられながらそれでも辞めたのは、シナリオを書くための時間がほしかったからではなく、単に映画を見る時間がほしかったからではないのか、と。
さて、『下り坂のニッポンの幸福論』には、こんなことが書いてあります。
想田和弘監督は、就活をやめて映画監督になろうと思ったとき、映画を撮ったことさえなければ、映画を見たこともほとんどなかったそうです。でも映画監督だと思った、と。その理由は「わからない」。
内田先生も、仏文科の教師でしたが、なぜフランス文学の研究者になりたいと思ったのか、よくわからないそうです。
でも、明確な理由をもってある分野の研究者になった人ってあまり長続きしないそうです。内田先生が大学を退職後もずっと仏文の研究を続けているのは「なぜ自分がそんなことをしているのかよくわからないから」らしい。
私が映画の虜になったのは、17歳の秋に生れて初めてレンタルビデオを借りて『明日に向って撃て!』を見たときです。映画とはこんなに素晴らしいものなのか、と金縛りに遭い、以来ずっと狂ったように見続けてきました。
あの頃、とにかく死ぬのが怖かった。当時すでに自殺願望に憑りつかれていたはずなのに、とにかく一本でも多く見たい、もっと見るまでは死ねないと、青信号を渡るのも恐かったくらいでした。
いまだに『明日に向って撃て!』の衝撃は忘れられませんが、『下り坂のニッポンの幸福論』によれば、私はあのときの衝撃が何だったのかがわからないから、つまりは映画とは何ぞやということを知りたいから映画を見てきたのではないか。
映画を見て楽しみたいのでも、映画を作りたいのでもなく、映画とは何かを知りたいだけではなかったか。

シナリオを書き始めたのもその一環ではなかったか、という気がしてきました。
京都の専門学校に行く前から実はシナリオは書いてたんですよね。最初は、兄がもっていたマンガ『人間交差点』のある挿話をそのままシナリオに起こしたもの。次がトム・ハンクス主演の人気作『ビッグ』を何度も見て、頭の中で再現しながらちょっとだけアレンジしたものを執筆。それから、ト書きはなく、会話だけで構成された会話劇は何度も書きました(全部短編ですが)。
あれも、いま思えば、映画を作りたいとかそういう動機ではなく、映画とかドラマとかそういうことを追究したくて書いていただけではないか。

脚本家の夢をあきらめたいまも飽きずに見続けているのは、単に好きだからではなく、自分の「根っこ」を知りたいからじゃないかと思います。
自殺願望に憑りつかれた自分に「いまは絶対死にたくない」と強く思わせたものはいったい何だったのか。
それがわからないかぎり、私は死ぬ日まで映画の光に目を凝らすのでしょう。


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