去年ロードショーで見逃した『ビーチ・バム まじめに不真面目』をWOWOWにて鑑賞したんですが、大傑作でした。劇場で見逃したのが悔やまれます。「まじめに不真面目」という邦題のサブタイトルは町山智浩さんとみうらじゅんさんが考案したとか。さすがですね。原題の『ビーチ・バム』だけじゃ物足りないですもん。
さて、見始めてすぐ、これはコーエン兄弟の『ビッグ・リボウスキ』を範としているんだなと思い、もう少し見ると、『太陽を盗んだ男』と同じ精神で撮られているんだな、と思いました。(以下ネタバレあります)
『ビーチ・バム まじめに不真面目』(2019、アメリカ)
脚本・監督:ハーモニー・コリン
出演:マシュー・マコノヒー、スヌープ・ドッグ、アイラ・フィッシャー、ジョナ・ヒル、ザック・エフロン
ぐうたら万歳! 愛すべき愚か者
マシュー・マコノヒー演じる主人公は詩人で、若い頃は天才と評されたこともあるらしいんですが、いまは大富豪の奥さんの完全なヒモで、酒と女に溺れて詩作なんてまったくせず、娘の結婚式の直前も他の女とセックスし、麻薬と酒でベロベロの状態で車を運転して式へ来る始末。奥さんもすべてわかってて許しています。
これはだから「愛すべき愚か者」を描いた映画なんですね。服装から何からすべてだらしないけど、それでも誰からも非難されず、才能を浪費していることを惜しまれる。
『ビッグ・リボウスキ』のジェフ・ブリッジスも同じようなだらしない男でしたが、あれを踏襲しているんだなと思いました。
ただ、『ビッグ・リボウスキ』は劇場公開時に一度見たきりで内容をほとんど憶えてません。ジェフ・ブリッジスのだらしなさと、芝山幹郎さんの「このぐうたら礼賛映画に賛成の一票を投じたい」というコメントを憶えているくらい。
だから『ビッグ・リボウスキ』のジェフ・ブリッジスがどういう結末を迎えるのかも憶えてないわけですが、『ビーチ・バム』のマシュー・マコノヒーは、ある日、突然奥さんが事故で死んでしまい、莫大な遺産を相続することになるのだけど、ただひとつ条件があって、「新しい詩集を出すこと」。
遺産がほしいから何とか詩作に励もうとするも、根が怠け者なのでなかなかできない。ずっと食っちゃべってるだけ。でもたまには書いてて、出版したら何とピューリッツァ―賞をもらってしまうという、笑ってしまうくらいの天才ぶり。もっと書けばもっともっと名声が得られるのに、主人公はそんなものには目もくれない。
遺産が入ることが決まると、「銀行は信用ならない。すべて現金でくれ。大きな船を買って、残りのカネは船に積んで生活する」という。残りのカネは5千万ドルほどらしく、一生遊んで暮らせるほどある。だから遊んで暮らす。ジョナ・ヒル演じる出版社の社長がえらく彼の才能を買ってて、「君と仕事ができたことは我が人生の誇りだ」とまで言ってくれるのに、彼はもうおそらく二度と詩集は出さないでしょう。同じようなきっかけがあれば出すかもしれないけど、そんなきっかけはおそらくもうない。
だからこの映画は愚か者が少しも成長せずに終わる映画で、こういうのが苦手な人にはまったく向いてない映画ですが、私は大好き。だってピューリッツァー賞まで受賞しておいて、受賞スピーチはオチンチンの話だし、それはあくまでも奥さんへの思慕の情を詠った詩で、とてもいい詩だと思うけど、でもやっぱりオチンチンの話で、大金を得た以上は遊んで暮らすぜ! 妻の思い出とともに……という結末も素晴らしい。
演じるマシュー・マコノヒーが最高のだらしなさ全開で見せてくれます。こういうのを「名演」というと思うんですがね。映画賞には引っ掛かりもしない。ま、賞なんてその程度のものでしょうけど。だから主人公はピューリッツァー賞を受賞してもやる気を出さないのかな。深読みしすぎか。
奥さんが死んだことを何とも思ってないならそんな奴に主人公の資格はありませんが、ちゃんと悲しむというベースがあるから見ていて心地いいし、だから彼を憎む人もいないんでしょうね。娘ですら一言も悪口雑言を吐かない。日本映画だと「お父さん、お母さんのこと何とも思わないの⁉」なんてシーンを描いちゃうんですよね。それをやったらおしまいなのに。
本筋とは何も関係ないけど、いいシーンがありました。イルカ見学ツアーに行くと、イルカの説明をしてくれる兄ちゃん(マーティン・ローレンス)が、イルカと戯れてきま~す! と海に飛び込むも、船の近くに来ていたのは実はサメで、足を食いちぎられるんですね。
それでも映画は少しも深刻にならず、ちぎれた足を子どもたちがしげしげと見つめて、「足の爪いつから切ってないんだろ」なんて呑気な会話をしている。マシュー・マコノヒーもその足をマーティン・ローレンスに笑顔で差し出して去っていくなど、とっても愉快なシーンになってる。
深刻なことを深刻に扱うのは誰にでもできる。深刻なことをバカバカしく扱うのは非凡な人間にしかできない。
『ビーチ・バム』と『太陽を盗んだ男』
深刻なことをバカバカしく扱うといえば、日本が誇る「撮らずの巨匠」長谷川和彦監督の不朽の名作『太陽を盗んだ男』がありますが、あの映画の撮影監督、鈴木達夫さんが、インタビューでこんなことを言っていました。
「台本にね、色を塗っていったんですよ。どういう色のフィルターをかけて撮るか、各シーンのテーマに沿って、ここは紫、ここは青、みたいに。そしたら監督はそれは違うっていうんだ」
長谷川ゴジ監督はそのときこう言ったそうです。
「いや、鈴木さん、俺はね、この映画はできれば白黒で撮りたいくらいに思ってるんだよ」
鈴木さんは我が意を得たりとばかりにこう返したそうです。
「そうなんだ。僕もホンを読んでそう思った。でも白黒で撮ればお客が来ないからカラーで撮らざるをえない。このアイデアはカラーを白黒みたいに撮るってことなんだ」
なるほど、確かに画面全体の色調がひとつの色で統一されていて、白黒映像のように濃淡で勝負する画作りになってますね。
『ビーチ・バム』はこんな感じ。
というわけで、ハーモニー・コリンの映画を見て長谷川和彦を想起するという得がたい映画体験でした。
さて、見始めてすぐ、これはコーエン兄弟の『ビッグ・リボウスキ』を範としているんだなと思い、もう少し見ると、『太陽を盗んだ男』と同じ精神で撮られているんだな、と思いました。(以下ネタバレあります)
『ビーチ・バム まじめに不真面目』(2019、アメリカ)
脚本・監督:ハーモニー・コリン
出演:マシュー・マコノヒー、スヌープ・ドッグ、アイラ・フィッシャー、ジョナ・ヒル、ザック・エフロン
ぐうたら万歳! 愛すべき愚か者
マシュー・マコノヒー演じる主人公は詩人で、若い頃は天才と評されたこともあるらしいんですが、いまは大富豪の奥さんの完全なヒモで、酒と女に溺れて詩作なんてまったくせず、娘の結婚式の直前も他の女とセックスし、麻薬と酒でベロベロの状態で車を運転して式へ来る始末。奥さんもすべてわかってて許しています。
これはだから「愛すべき愚か者」を描いた映画なんですね。服装から何からすべてだらしないけど、それでも誰からも非難されず、才能を浪費していることを惜しまれる。
『ビッグ・リボウスキ』のジェフ・ブリッジスも同じようなだらしない男でしたが、あれを踏襲しているんだなと思いました。
ただ、『ビッグ・リボウスキ』は劇場公開時に一度見たきりで内容をほとんど憶えてません。ジェフ・ブリッジスのだらしなさと、芝山幹郎さんの「このぐうたら礼賛映画に賛成の一票を投じたい」というコメントを憶えているくらい。
だから『ビッグ・リボウスキ』のジェフ・ブリッジスがどういう結末を迎えるのかも憶えてないわけですが、『ビーチ・バム』のマシュー・マコノヒーは、ある日、突然奥さんが事故で死んでしまい、莫大な遺産を相続することになるのだけど、ただひとつ条件があって、「新しい詩集を出すこと」。
遺産がほしいから何とか詩作に励もうとするも、根が怠け者なのでなかなかできない。ずっと食っちゃべってるだけ。でもたまには書いてて、出版したら何とピューリッツァ―賞をもらってしまうという、笑ってしまうくらいの天才ぶり。もっと書けばもっともっと名声が得られるのに、主人公はそんなものには目もくれない。
遺産が入ることが決まると、「銀行は信用ならない。すべて現金でくれ。大きな船を買って、残りのカネは船に積んで生活する」という。残りのカネは5千万ドルほどらしく、一生遊んで暮らせるほどある。だから遊んで暮らす。ジョナ・ヒル演じる出版社の社長がえらく彼の才能を買ってて、「君と仕事ができたことは我が人生の誇りだ」とまで言ってくれるのに、彼はもうおそらく二度と詩集は出さないでしょう。同じようなきっかけがあれば出すかもしれないけど、そんなきっかけはおそらくもうない。
だからこの映画は愚か者が少しも成長せずに終わる映画で、こういうのが苦手な人にはまったく向いてない映画ですが、私は大好き。だってピューリッツァー賞まで受賞しておいて、受賞スピーチはオチンチンの話だし、それはあくまでも奥さんへの思慕の情を詠った詩で、とてもいい詩だと思うけど、でもやっぱりオチンチンの話で、大金を得た以上は遊んで暮らすぜ! 妻の思い出とともに……という結末も素晴らしい。
演じるマシュー・マコノヒーが最高のだらしなさ全開で見せてくれます。こういうのを「名演」というと思うんですがね。映画賞には引っ掛かりもしない。ま、賞なんてその程度のものでしょうけど。だから主人公はピューリッツァー賞を受賞してもやる気を出さないのかな。深読みしすぎか。
奥さんが死んだことを何とも思ってないならそんな奴に主人公の資格はありませんが、ちゃんと悲しむというベースがあるから見ていて心地いいし、だから彼を憎む人もいないんでしょうね。娘ですら一言も悪口雑言を吐かない。日本映画だと「お父さん、お母さんのこと何とも思わないの⁉」なんてシーンを描いちゃうんですよね。それをやったらおしまいなのに。
本筋とは何も関係ないけど、いいシーンがありました。イルカ見学ツアーに行くと、イルカの説明をしてくれる兄ちゃん(マーティン・ローレンス)が、イルカと戯れてきま~す! と海に飛び込むも、船の近くに来ていたのは実はサメで、足を食いちぎられるんですね。
それでも映画は少しも深刻にならず、ちぎれた足を子どもたちがしげしげと見つめて、「足の爪いつから切ってないんだろ」なんて呑気な会話をしている。マシュー・マコノヒーもその足をマーティン・ローレンスに笑顔で差し出して去っていくなど、とっても愉快なシーンになってる。
深刻なことを深刻に扱うのは誰にでもできる。深刻なことをバカバカしく扱うのは非凡な人間にしかできない。
『ビーチ・バム』と『太陽を盗んだ男』
深刻なことをバカバカしく扱うといえば、日本が誇る「撮らずの巨匠」長谷川和彦監督の不朽の名作『太陽を盗んだ男』がありますが、あの映画の撮影監督、鈴木達夫さんが、インタビューでこんなことを言っていました。
「台本にね、色を塗っていったんですよ。どういう色のフィルターをかけて撮るか、各シーンのテーマに沿って、ここは紫、ここは青、みたいに。そしたら監督はそれは違うっていうんだ」
長谷川ゴジ監督はそのときこう言ったそうです。
「いや、鈴木さん、俺はね、この映画はできれば白黒で撮りたいくらいに思ってるんだよ」
鈴木さんは我が意を得たりとばかりにこう返したそうです。
「そうなんだ。僕もホンを読んでそう思った。でも白黒で撮ればお客が来ないからカラーで撮らざるをえない。このアイデアはカラーを白黒みたいに撮るってことなんだ」
なるほど、確かに画面全体の色調がひとつの色で統一されていて、白黒映像のように濃淡で勝負する画作りになってますね。
『ビーチ・バム』はこんな感じ。
というわけで、ハーモニー・コリンの映画を見て長谷川和彦を想起するという得がたい映画体験でした。
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