お気に入りのマンガ家、益田ミリさんが今年3月に出した書き下ろしマンガ『ミウラさんの友達』をようやく読みました。

かつて大島渚は、「論理を推し進めた果てに立ち現れる『超論理=詩』を発見せよ」と言いましたが、このマンガは完全に「詩」の域に達してますね。そして同時に「哲学」でもある。これはすごいことです。


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4つのデフォルト・ワード
どんな内容かまったく知らずに読み始めたため、最初主人公のミウラさんが喋っている相手がロボットだなんて少しもわからず、意外すぎて最初から読み直してしまったほど。ロボットが「うん」「そうなの?」「大丈夫?」の3つのワードしか喋ってないことにも少しも気づきませんでした。

それほどこの3つの言葉が自然で絶妙な合いの手ということなんでしょうね。聞き上手に徹していれば人間関係は円滑に進むし、相手の気分はよくなる。このロボットは人間のための労働は一切しないけど、聞き上手に徹するだけでミウラさんを癒してくれる。

でも、このロボットを作った人がデフォルトとしてロボットに入力してある言葉は4つだというんですね。じゃ、あとひとつは何なのか。ミウラさんならずとも気になります。

4つ目の言葉が判明する前に、ミウラさんはロボットの買い主だけが決めることができる「5つ目のワード」を決めます。階段から見える夕日や星空などきれいな風景を見るのが大好きなミウラさんは「きれい」という言葉をロボットに喋らせることにします。


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このロボット、どうやって人間の会話に合いの手を入れているかというと、人間の微細な表情筋や眼球の動きを見て感情を読み取っているとか。だから会話の意味はわかっていない。でも、ミウラさんが風景を見て「きれい」と思っていることは表情を見れば理解できる。そのときロボットは「きれい」と言う。

ミウラさんは、ロボットに心は宿るのかと疑問に思う。ロボットの販売者は「それはありえない」と否定する。でもミウラさんは、ロボットに心がなくても、ロボットを通して作った人の心を感じることができるかもしれない、とロマンティックなことを言います。


ロボット=現代アート
このロボットは実は現代アートとして作られたもので、4つのデフォルト・ワードも買った人にしか明かされない。「もしかしたら、4つの言葉は何なんだろう? と考えることも作品の一部なのかもしれません」と販売者は現代アートっぽい解釈をしますが、このロボットが「作品」であることはとても大事なキーワードのように思いました。

ロボットを人間のために労働する「機能」として考える、つまり「どれだけ役に立つか」と考えるのではなく、「作品=役に立たないけど人間にとってとても大切なもの」と捉える。これはとても斬新なロボット観だと思いました。


「鏡」としてのロボット
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唯一三浦さんが考えた「きれい」という言葉も、ロボットが「きれい」と言うことによって、ミウラさん自身がいま風景を見てきれいと思っていたことを知る。つまり、このロボットは「鏡」なんですよね。買い主の心を正直に反映してくれる鏡。

ロボットに心はない。でも自分の心を反映してくれる。ロボットの言葉で自分がいま何をどう思っているかを知ることができる。これはもう「コミュニケーション」ですよね。ロボットはただ表情を読み取ってプログラム通り喋っているだけなのに、聞く側の人間が「コミュニケーションが取れてる」と思える。コミュニケーションとはどこまでも主観的なものなのだなと改めて思いました。

いくら千言万語を尽くしても、相手に思いが通じなければそこにコミュニケーションはない。相手が「いま確かに通じた」と思えるように喋ること。そのためには3つの言葉と絶妙のタイミングさえあればいい。


4つ目のデフォルト・ワード
「うん」「そうなの?」「大丈夫?」と、あともうひとつの最後のデフォルト・ワードが何かというと、それは「ただいま」。

普通なら「おかえり」ですよね。独身のミウラさんが「ただいま」と帰ってきても、ロボットは「うん」としか言わない。「おかえり」と言ってあげればいいのに。

でも、それは違うのです。

実は、販売者の弟がロボットの作者なんですが、彼ら兄弟にはかつて妹がいたけど若くして死んでしまった。その妹の代わりに作ったロボットだったんですね。妹に帰ってきてほしい、帰ってきたら「おかえり」と言ってあげたい、そしたら「ただいま」と返事してくれるだろう。

などという説明はありません。読者の私たちが勝手に思うだけです。ミウラさんが言っていたように、ロボットに心はないけど、ロボットを作った人の心は感じ取ることができる。やられました。いつの間にか作者の術中に完全にハマっていた。益田ミリさんの語りのうまさ、テーマのさりげない提示の仕方には唸らざるをえません。


超論理=詩
実は、ロボットの作者とミウラさんは同じ会社で働く同僚です。二人はお互いがロボットを通じてコミュニケーションを取っていることを知りません。

ミウラさんは、彼が家に来るので、ロボットがあったら引くだろうと、ちょうど実家で母親と取りとめのない話をして、やっぱり同じ会話でもロボットとより人間とのほうがいいよね、と思っていたこともあり、販売者に連絡して引き取ってもらうことにします。

有料で引き取るというから、ミウラさんが払うものとばかり思ったら、作者のほうが払って引き取るという。それも買ったときの代金100万円そのまま。「きっとロボットが返ってくるまでが作品なのではないでしょうか、作者にとって」と兄の販売者は言う。

戻ってきた妹に似せたロボットを見て、作者は「おかえり」と言い、ロボットは「ただいま」と言う。

作者はこのロボットはもう処分しようと決意するが、その直前、満月を見たロボットが、ミウラさんが教えた「きれい」という言葉を発する。作者は「あぁ、買ってくれた人は『きれい』という言葉を教えたのか」と感慨深くなる。たったひとつだけ許された5つ目のワードを「きれい」にした人は、いったいどんな人なのか。ここではロボットを通して買い主の心が想像されます。これもコミュニケーションですね。おそらく、見知らぬ買い主とコミュニケーションを取ること、そこまでが作者にとっての「作品」だったのでしょう。もうコミュニケーションを取れない妹の代わりに、ロボットを買ってくれた人とコミュニケーションを取る。

だから、妹に似せたロボットだけど、本当はロボットが妹代わりなのではなく、買い主が妹代わりだったのだと思います。

そして、ミウラさんと作者は、ロボットを通してつながっていたことをついに知ることなく、職場恋愛の相手としてデートします。

そこで交わされる会話は、「うん」が多用されるたわいもないもの。そして店の窓外に虹が見えたとき、二人はこんな言葉を交わします。

「きれい」
「うん」

(終わり)

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ミウラさんの友達
益田ミリ
マガジンハウス
2022-03-17


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