ヒッチコックが晩年に撮った傑作『フレンジー』を4年ぶりに再見し、新しい発見をしました。(以下ネタバレあります)


『フレンジー』(1972、イギリス・アメリカ)
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脚本:アンソニー・シェイファー
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:ジョン・フィンチ、バリー・フォスター、アレック・マッコーウェン、アンナ・マッセイ


アメリカでも成功したヒッチコックでしたが、60年代中頃から『トパーズ』や『引き裂かれたカーテン』など失敗作が続き、70年代になって母国イギリスに帰って撮った復活作として有名です。

物語は、女をレイプして絞殺する異常連続殺人鬼と間違われて逮捕された主人公が何とかして無実の罪を晴らそうとするもの。2回目の殺人で、殺人そのものは見せず、誰もいない階段をカメラが後退移動してアパートの外へ出るトリック撮影はとても有名で、何度見ても素晴らしい。

そして非常に簡潔にして意外な結末が見事に決まるこの映画、私はもともと大好きで何度も見ていますが、ひとつだけ好きになれない箇所がありました。

事件を追う警部の奥さんがやたらな料理魔で、フランス料理か何料理か知りませんが、凝りまくった料理を警部に食わそうとして、警部はそれを嫌がって、奥さんに内緒で皿に盛られた料理を全部鍋に戻したりするという、いわば「食」に関するブラックユーモアです。

巷では「面白い」と評判らしいですが、私も面白くないとは言いませんが、なぜあそこまで執拗に描くのかまったく意味がわかりませんでした。

捜査がどう進んでいるか、容疑をかけられた主人公は本当に犯人なのか、みたいな会話を奥さんと交わすので、それだけだと「プロットを進めるだけのシーン」「説明だけのシーン」になってしまうから、ジョークでごまかしてるのかとずっと思ってたんですが、違いました。今回初めてあの無意味に見えるブラックユーモアが非常に大事なシーンだと気づきました。


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見るからにまずそうな料理ですが、こんなのを毎日食べさせられる警部はかわいそうですよね。

しかし、奥さんは警部が実はステーキとポテトを食べたいと知っており、知っていてなお、このような妙ちきりんな料理を食わすんですね。

これは完全に「食のレイプ」ですよね。

脳にとっては、「食」と「性」はまったく同じものだそうです。食欲が満足すれば性欲も収まるし、性欲が満足すればあまり食べたくなくなるらしい。だから恋人たちは、食べてからセックスするのではなく、その逆がいいそうです。


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女が嫌がることをして性的欲求を満たす犯人と、警部に嫌いなものを食べさせる奥さんは、どちらもサディストなのです。

法的には彼女は犯罪者でも何でもありませんが、やってることはレイプ殺人犯と同じです。相手が嫌がってるのを知ってなおそれを強行しているのですから。

1回目の殺人の被害者は主人公の元妻で、彼はどうやら自分が疑われているらしいと知ると、「別れた妻をレイプするはずがない」と周囲に訴えるんですが、それは正しくありません。


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だって、別居すらしていない正式な夫を相手に、無理やり嫌いなものを食べさせる変態が現にここにいるんですから。ほら、こんなに目を輝かせて料理の蘊蓄を語っています。

犯人と同じ、サディストそのものの目です。

脚本家のアンソニー・シェイファーは、ブルーレイの映像特典のインタビューで、

「殺人は2回あるが観客に見せるのは1回だけでいい。あんな醜悪なものを見せるのは一度でたくさんだ」

みたいなことを言っていました。

もしかすると、警部の奥さんの変態料理狂ぶりを執拗に描くのは、殺人と違って料理なら何度見せても不快に思う人は少なく、むしろ笑ってくれる人が多いからなのかもしれませんね。

あの奥さんのような人はこの世にたくさんおり、異常性欲殺人鬼と料理狂は同じサディストだと主張するこの映画、実はファーストシーンにも何か秘密がありそうです。


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ヒッチ登場場面でもあるこのファーストシーンで、政治家がテムズ川の汚染を憂慮し、洗剤や廃棄物を川から除去し、上流からきれいにしてみせると訴えます。

化学薬品や産業廃棄物の類は、産業革命や資本主義の発達以降、近代の人間の「欲望」の産物です。

サディズムだって「欲望」です。妙な料理を食べさせたがるのも、嫌がる女をレイプして絞殺するのもすべては「欲望」。

しかし、ステーキを食べたいという普通の「欲望」もある。男と女が普通にセックスするのは同じ「欲望」でも犯罪ではない。

しかし、政治家の演説にはそのような区別はありません。この世を汚染する欲望を除去すると息巻くだけ。

しかし一口に「欲望」といってもすべてを一緒くたにはできないよ、とヒッチコックは言っているように思われるのです。



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あなたの隣にも、ごく普通の顔をした変質者がいるよ、と。


フレンジー [Blu-ray]
バリー・フォスター
ジェネオン・ユニバーサル
2013-09-04






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