パパゲーノって何じゃ??? と思ったものの、あの伊藤沙莉が自殺願望者を演じると聞けば見ないわけにはいかなかった『ももさんと7人のパパゲーノ』。だって私は高校生の頃から自殺願望を抱えて生きているし、パパゲーノというのはそういう思いを抱えながら死ぬ以外の選択肢を選んで生きている人のことらしい。まさに私のことではありませんか。


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自傷行為
やりたくもない仕事をして、作り笑顔を引きつらせながら仕事をしているOLの伊藤沙莉は、死にたいのに死にたいと周囲に言えず、言えないから代わりにカッターナイフで足首を傷つける、いわゆる自傷行為を繰り返します。

そして知り合った男に説教されるんですよね。その説教というのがまた、「自分は絶対的に正しい」というところから上から目線で「そんなことをしてはいけない。ファッションとして死にたいなんて言ってはいけない」みたいな、本当は少しも思ってないくせに社会通念上それが正義と思われていることを一方的に言うだけ。伊藤沙莉の言葉を男は一言も聞いてくれない。

私も自殺未遂をやったとき、友人からえらく説教されましたよ。「おまえは死にたいと思ったことないのか」と訊いたら「ないね」「なぜ生きなきゃならない?」「生き物だから」って、それはただの同語反復で少しも答えになってないじゃないか!

この「死にたい」と誰にも言えず、その気持ちがばれたら非難されるというのを何とかしてほしい。私は精神科医の主治医から「死にたいと言っていいのはここだけ」と言われ、親や友人に死にたいと言ったこともあるにはあるけど、診察室で言った回数に比べれば微々たるもの。パパゲーノとやらがたくさんいる生きづらいこの世の中では「死にたい」と普通に言える場がもっとあるといいなと思う。


肘から走る電気
それと、私は自殺未遂の経験はあるけど、いわゆる自傷行為はしたことがない。伊藤沙莉の場合は足首で、そこを切る人もいるんだと驚いたけど、それはともかく、死に直結しないが自分の体を傷つけることで安らぎを得るというやつ。

あれをなぜ私はしないんだろうとずっと不思議だったけど、とっくにやっていたことにいまさら気づきました。

肋骨の左右を爪でひっかくんです。すると、左をひっかくと左肘に、右をひっかくと右肘にピピピッと電気が走るんですね。それが気持ちよくて血が出るくらいひっかいたこともあって、いまでもまどろんでいるときに無意識にやっています。

友人たちからは「気持ちいいことへの探求心が人一倍旺盛」と常日頃から言われていて、それでやってるんだとばかり思ってましたが、あれは自傷行為だったんですね。伊藤沙莉と同じように、死にたいといえないもどかしさを胸をひっかき、肘に電気を走らせることで紛らわせているのでしょう。


ファッションとしての自殺願望
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「ファッションとして死にたいなんて言ってはいけない」という男の言葉も、伊藤沙莉への言葉としてはひどいと思ったけど、自分自身にとっては刺さる言葉でした。

私自身、自殺未遂をしたことがあるというのを、どこか「ファッション」として語っているところがあるなぁと思い当たりました。死にたい気持ちは少しもファッションではないが、実際に死のうとして果たせなかった少数派を気取っているところがある、と。そういうレッテルを自分で貼って満足しているというか。

しかし、なら、どうやって自分のそういう境涯を語ればいいのか途方に暮れてしまうのも事実。何も嘘を言っているわけではないのだ。


人間失格
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伊藤沙莉は、やりたくもない仕事をして、盛り上がりたくもないのに空気を読んで盛り上がったりしてましたが、昔、太宰治の『人間失格』を読んだとき、主人公が道化を演じているのを「まるで自分のようだ」と雷に打たれたように読んだのを思い出しました。

自傷行為として肋骨をひっかいていたのに、それを自覚せず、かきすぎて皮膚が固くなり色も変わったことを面白おかしく説明して笑いをとったりするなど『人間失格』ばりの道化ぶりを演じ続けてきました。笑いに変換しないと耐えられないと無意識に判断していたのでしょう。

それとは別に、空気を読むのが大嫌いだと公言しているわりには、無意識のうちに空気を読んでその場を盛り上げたりするのが結構好きだったりするんですよね。それでまた道化を演じる。

空気を読むといえば、「ファッションとして自殺願望を語るな」と言ったひどい男と同じことを私もしたことがあります。

工場勤めをしていた頃、Tくんという5歳下の同僚がいて、彼は二言目には死にたいと言っていました。事務の女の子とつきあい始めても、「死にたいと言ったらそんなこと言わないでと涙目で言ってくる」と不満を漏らしていて、そのときの私は「そんなことを言うもんじゃない」とピシャリと説教してしまったんですよね。自分だって死にたいくせに、この場面ではこう言わなきゃだめだという「空気」を読んでしまっていたわけです。何だ、私も同じ穴のムジナなのかと。

そんなことを思い出しながらドラマを見ていたら、終盤、伊藤沙莉が屋上にいるという染谷将太を必死で走って止めに行くシーンがあって、あぁ、自殺願望者が他の自殺願望者の死を止めようとするのは別に普通のことなんだな、と少しホッとしたりしました。


内にこもるくらいなら壊し続けろ!
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このドラマはずっと忘れていた言葉を思い出させてくれた作品でもあります。

京都の映画学校に行っていた時分、郵便受けに変なチラシが入っていて、読んでみると、あれはいわゆるアジビラというんですかね、扇動的な言葉がたくさん書き連ねてある。その末尾に書かれていた言葉を思い出しました。

「懐かしがるくらいなら遡れ! 内にこもるくらいなら壊し続けろ! バットを振り続ければ三振だけの日々に、エンタイトルツーベースもありえよう」

どういう意味かはいまだにわかりませんが、撮影所に就職して先輩からいじめられる日々を、この言葉を支えに乗り切ったんですよね。乗り切ったあとは得意の道化を演じてかわいがってもらいました。でも、あの変な言葉の支えがなかったら、すぐに辞めていたかもしれない。すっかり忘れていました。

言葉を思い出すといえば……

染谷将太との別れのシーンで伊藤沙莉が、

「他の誰かも眠れないと知っただけでちょっと安心する」

と言ってましたが、わかるなぁ。わかるし、そのうえ、遠藤周作のあの言葉が胸に去来して、逆に昨日はそれで眠れなかった。先のアジビラの言葉と違い、この言葉は高校生の頃からずっと胸に留まっています。

「眠れぬ夜に枕を涙で濡らしたことのない者は、一生私の友ではない」

だから私は、これからも肋骨の左右をひっかきながら、眠れぬ夜に枕を涙で濡らしながら、そんな自分を自嘲しながらもお道化て、笑いながらも周囲の目に怯えて生きていくんだろうな、と思う。

死ぬのはこわい。死ぬ以外の選択肢を選ぶしかない以上、自殺願望とうまく付き合っていくしかない。そのためにファッションとして自殺願望や自殺未遂の経験を語ったっていいじゃない。それで心の安寧が得られるのなら。

と開き直ることにしました。いいドラマでした。ありがとう。




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