人がうらやむような進学校に通っておきながら、なぜ大学に行かなかったのか、とよく訊かれるんですが、私はいままで対外的には「いや、もう偏差値とか学校の名前とか、そういうので自分という人間を判断されるのがいやでねぇ」などと答えていました。

真っ赤なウソです。常に偏差値が70を下回ったことがないのを鼻にかけたいやな奴でした。

それを知っている家族には、だから別の答えをしていました。

高三で受験勉強をしていた(と家族は思っていた)夏休みの中盤、ちょうどお盆の頃、祖母の月命日に、母親がお茶の用意をしに行っている間、お経を読み終わった坊さんの相手を私と次兄でしていたのです。ほとんど兄が話をしていましたが、「どこの大学ですか。ほう、それはすごいですね。就職は決まりましたか。ほう、それは本当によかった」みたいな会話を聞いてるうちに、受験勉強なんて急にあほらしくなってやめた、なぜかはわからないがいやになったのだ、と言いました。

嘘をつくときは理路整然とした嘘ではなく、よくわからない物語、筋の通らない物語のほうが信じてもらえるようです。

どこからそんな嘘が湧いたのか、いまとなってはよくわかりませんが、家族の中では「そういうこと」になっていたのです。

しかし!

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本当は、夏休みに入った直後、母親と言った三者面談のあとに大学に行くのをやめる決意をしていたことは、誰も知りません。いま初めて言うのです。私のことなら何でも知っている主治医ですら知らない。あの人にすら言ったことがない。

夏休み前、どういういきさつかまったく憶えてませんが、寝る直前に、親父から怒鳴り散らされたのです。あまりに理不尽な物言いに、大学はもうやめようと思いました。

なぜ怒鳴られたことと進学が関係するのか。

まず、私は大学に行きたいと思ったことがありません。行けるから行くんだろう、とか、周りが行くから行くんだろう、ぐらいにしか思っていませんでした。

そして、そんな私が自慢の種だったのが他ならぬ父親です。三者面談で京大法学部を第一志望として提出したことを大変喜んでいたと母から聞きました。兄弟で一番成績のよかった私を父は大変自慢げに周囲に話していました。それを聞いて当時の私が鼻高々だったのも大いに問題ありなのですが、そんな子どもじみたことはやめてくれと思っていたのも事実。

つまり、私は「父親の広告塔をやめる」ために大学進学をやめたのでした。もともと行きたいと思ったことなんて一度もないから特に葛藤はありませんでした。とにかく、あの男を困らせてやりたい。その一心でした。

これはいままで誰にも言ったことがありません。もちろん家族にもありません。言えば父親に告げ口する人間がいたからです。しかし、いまはもう告げ口したくても相手がこの世にいないのだから大丈夫。


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復讐。そう、復讐です。私はあの男に復讐するために大学に行かなかった。

一番の広告塔を失ったあの男は「なぜ大学に行かなかったんだ!」と高校卒業から20年たった頃にも言ってましたっけ。私は腹の中で快哉を叫んでいました。(まさかあそこまで効果があるとは!)

『キンタマン』というシナリオでコンクール受賞できたのも復讐の一助になってくれました。何しろ自慢したくてもタイトルが下品なので自慢できない。さぞかし腹を立てていたことでしょう。だからといって、授賞式から帰ってきた私に「そんなくだらない賞はいますぐ東京へ戻って返上してこい!」と言っていいわけではない。

それでも父と私は表面上は仲がよかった。しかし、幼少の頃から、馬鹿にされ、罵倒され、私物のように扱われ、信用もされず、心をずたずたに引き裂かれてきた怨念は少しずつ鬱積していました。

復讐のトドメの一撃は、先日、入院していた病院に兄二人が見舞いに行ったときです。母親から「お兄ちゃんたちと一緒に行かない?」とメールが来ましたが、おそらくもう最期だろうと踏んだ私は「いやです」とだけ返して行きませんでした。

父の目には長兄と次兄しか見えない。一番かわいがっていた三男坊が死にかけているいまこのときに来ていない。

その夜、父は失意の底で死にました。



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復讐は完遂した。これから第二の人生が始まる。



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