縁を切った親父が死んで2か月半たちました。

厄介な人間が死んでくれて本当に助かったと思うけれど、死んでなおまとわりついてくるのをどうしたものやらと途方に暮れております。


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とにかくうちの親父さんはうるさい人でした。いちいち私のすることに難癖をつけてくる。馬鹿にされ、罵倒され、私物のように扱われ、信用もされず、心をずたずたに引き裂かれた挙げ句、47歳のときに縁を切りました。そのあたりの詳しいことはこちらの記事を参照してください。⇒「父親になりたい」

死んで2か月半だけれど、その前の入院していた時期も含めると5か月半。まともに口を利いたのがいつか憶えてないが、去年の11月、書き上げた小説のことを兄と喋っていたら「お父さんにも読ませろ読ませろ」とうるさいので「今度もってくる」と強く言ったら黙った。あれが最後かしら。

この2か月半、親父のことを思い出すより、愛犬を思い出す回数のほうが断然多い。何しろかわいかったですからね。ウイ奴でした。あの犬に比べたら、私にとって父親というのははっきり言ってどうでもいい存在なのだけど、そのどうでもいい奴のせいでイライラさせられています。

純粋に親父の言動が思い出すだけで腹が立つというのもあるのだけれど、一番は「自分へのいら立ち」、これが大半を占めます。だから厄介なのです。敵が自分自身なので。

私は京都の専門学校と撮影所で働いていた一時期を除けば、42歳まで実家で暮らしていました。

なぜあんな最低な人間が支配する家にそんな歳までいたのでしょうか。

甘えていたのです。実家にいれば食いっぱぐれがないし、ご飯ごしらえや洗濯など全部やってもらえる。その甘えがあの男を増長させ、言いたい放題言わせる原因を作ってしまっていたことに、当時の私はあまりに無頓着だった。ただのアホでした。



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親父に心をずたずたに引き裂かれた。それは事実ですが、それなら逃げればよかったのです。いまのようにどこか安い家を見つけて一国一城の主になっていれば、あんなに傷つけられることはなかったのです。

私は自分を傷つける「鬼」を自分で作ってしまっていたというわけです。

いじめで自殺に追い込まれる人や、ブラック企業に自殺に追い込まれる人のニュースを見ると、「なぜ逃げなかったんだろう」と疑問に思っていましたが、何のことはない。私も同じ穴のムジナだったというわけです。

いまさら「なぜあのとき逃げなかったのか」と自分を責めてもしょうがない。時間を巻き戻せない以上は、死んだ犬の愛くるしい表情や仕草を思い出して幸福感に浸っているほうが絶対いい。

でも、今日の明け方にも夢を見たのですが、親父に言いたい放題言われて部屋の隅で怯えている自分を見て、もう一人の自分が「なぜ逃げないんだ!」と難詰してイライラし、言われたほうはよけい怯えて身動きが取れないという、目が覚めたらぐっしょり汗をかくような夢でした。

これはもしかしたら死ぬまで悩まされるものなのかもしれない。その原因を作ったのは私自身。あの男も関係しているといえばそうだけど、「なぜ逃げなかったのか」と難詰するもう一人の自分がいる以上、あの男がどうのこうのなんて些末なこと。

自分で原因を作り、今度はその原因を作った自分をもう一人の自分が難詰する。

今日から夏休みで、久しぶりに主治医の病院に行ってこのことを話してきたのですが、「まぁ時間が解決するやろ」と相変わらずあの先生は呑気だったけど、実際どうなのか。

母は、父が死んでからまったく涙が出ないそうです。私もそうだが、かくなるうえは、死んでも泣いてもらえない人間にすべてを背負わせようと思う。いくら自分が悪くても、もう自分を責めるのはやめようと思う。

無責任になろうと思う。主治医のように呑気になろうと思う。

マーティン・スコセッシがちょうど30年前に出したインタビュー本『スコセッシ・オン・スコセッシ』で、『ハスラー2』についてこんなことを言っていたのを思い出した。

「憎悪する者に自らなりきること。それが唯一の生き残る道だ」



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