FIFAワールドカップ・カタール大会で、ドイツに大金星を上げながら、魔の第2戦ではコスタリカに苦杯をなめさせられた日本代表。運命の第3戦の相手はスペイン。どうなるかまったくわかりませんが、現時点ではっきりしていることがあります。

今大会でも日本代表の選手たちがが試合終了後にロッカールームを清掃し、日本人のサポーターが観客席を清掃して、世界中から称賛を浴びていること。日本人としてとても誇らしく、素晴らしい行為だと思いますが、あれに対して「清掃業者の仕事を奪うからよくない」と批判する人がまたしても一定数いることにうんざりします。

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本当に「清掃業者でない人間が清掃するのはよくないこと」なのでしょうか? そのような考え方の根本にあるのは、「私たちの暮らしは分業で成り立っている」という生活観です。

農作物を作る人、収穫された農作物を都会へ運ぶ人、農作物を消費する人、残飯として出されたゴミを収集する人、ゴミを焼却する人。 というふうに、食べ物だけ見ても、現代社会は細かい分業で成り立っています。

だから、サッカー観戦という分野でも、サッカーを見る人=ゴミを出す人、そのゴミを清掃する人、というふうに分けて考えてしまう。

でもよく考えましょう。もともと人間は自給自足していたのです。それが本来の生活のあるべき姿なのです。

以前、私は清掃業者として働いていたことがあります。どうしてもそのような(汚れを扱う)職業に対する偏見というものが根強くあり、ある雑居ビルのトイレと給湯室の清掃を請け負っていたときは、ちょっと布巾の位置がずれていたとか、ドアに貼っているマグネットが傾いていたとか、その程度のことでものすごいクレームがついたものです。

いやいや、もともとあんたたちが自分でやるべきことを俺たちが代わりにやってあげてるんだがね、と何度も思ったものです。

そうです。本来、ゴミを片づけるのはゴミを出した人自身です。それを代わりに清掃しますよという業者が現れたため(いつ現れたのかは知りませんが)「ゴミを出す人」と「ゴミを片づける人」に分かれただけです。

本来、両者は同じ人間であるべきなのです。 ゴミを出した人間が片付けるべきなのに、仕事として肩代わりする人間がいる。だから、その人たちの仕事を奪うな、という言説が出てくる。

でも、それは清掃業に携わったことのない人間の戯言です。 上述したように、清掃業というのは偏見にさらされています。本来清掃すべき人間の代わりにやっているのに、金は払っているのだからと、何の感謝もしない人間がとても多い。そればかりか軽蔑の目を向けてくる輩さえいる。「何でお前らの代わりに俺たちがやらねばならんのだ」と愚痴を言いながらみんな仕事に励んでいます。


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ロッカールームはともかくとして、観客席をいくら日本のサポーターが清掃したところで、すべてを清掃しきることは不可能です。肩代わりする清掃業者の出番が必要不可欠です。

でも、そのときに、自分が出したゴミを自分で片づける人、他人が出したゴミも片づける人がいるとそれだけでうれしいし、「あ、そこはいいですよ。私たち専門業者がやりますから」と笑顔で率先してやるでしょう。それが「人と人とのふれあい」というものです。


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先日、久しぶりにマクドナルドへ行ったら、店員の愛想がやたらよくて気持ちよかった。いつまで続くかわからない構造的不況を乗り切るために、少しでも客を手放したくないのでしょう。

動機はどうあれ、とても愛想よく、「お帰りですか? トレーいただきますね」と、私の席からゴミ箱まで店員さんがもっていってくれた。マクドナルドはセルフサービスだから、ゴミ箱までもっていくのは客である私の仕事です。料金には含まれていない「よけいなサービス」なのです。でも、店員は本来やるべきでないサービスを行った。そのことで私は気持ちがいいし、また来ようとも思う。

これをサッカーにおける「清掃業者の仕事を奪うな」という言説に当てはめると、店員は私がやるべきことを奪ったことになります。

おかしいですよね。

ゴミを片づける業者がいるのだから(チケット代にはそのためのお金も含まれているのだから)自分はゴミを出すだけで何もしなくていいのだ、と開き直るのはよくない。「ゴミを出す人」と「ゴミを片づける人」をクリアカットに分ける、すなわち、すべてをビジネスライクに考えるとストレスが溜まります。

自分が出したゴミを自分で片づけることは、清掃業者の仕事を奪っているように見えて、実は「人と人とのコミュニケーションを図っている」のです。だから世界から称賛される。 舞台は国際大会なので、その国の人々の親日感情も高まるでしょう。それは国益に資することでもあります。

ゴミを出す人もまたゴミを片づける人であり、ゴミを片づける人もまた(別の場所で)ゴミを出す人です。そうやって持ちつ持たれつ、この社会は成り立っている。

私たちは清掃業者に仕事を与えるためにゴミをポイ捨てしたり街を汚したりしているのでしょうか?

昔なら、家の中を掃除するのは専業主婦である女性の仕事でした。しかし、「掃除は妻の仕事なのだから夫である自分はゴミを出すだけで何もしなくていい」という考え方はいまではもう通用しません。

サッカーにおけるゴミと清掃問題もそれとまったく同じです。


 

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