カンヌ映画祭でカメラドール(新人監督賞)特別表彰を受けた話題の映画『PLAN75』を見てきました。(ネタバレあります)

いやぁ~驚きました。映画の出来不出来ではなく、観客の入り具合の話です。
すごくたくさん入ってました。まだ公開されたばかりの土日だけど、カンヌで受賞ではなく表彰だけされた映画にこれほど入っているとは。ほとんどが高齢者だったので、75歳以上の人間は自分の生死を選ぶことができるというテーマに深い関心をもった人がたくさんいたわけですね。
ところで、映画とは関係なく、興味深い出来事がありました。
予告編が終わって本編が始まってからの出来事です。私は前から二列目のB-5の席で、さすがに前のほうは埋まっておらず、周辺の席では、A-3に一人、B-1に一人座っている程度。逆の右側もその程度だったでしょうか。問題の出来事は最前列の左サイドで起きました。シナリオ形式で採録しましょう。名前は私以外はすべて仮名です。
『PLAN75』上映開始後の出来事

〇映画館・場内
本編の上映が始まる。
最前列のA-3に荒木、その背後B-1に馬場が座っている。
陽川が荷物を抱えてやってくる。(三人はすべて小声でしゃべる)
陽川「(荒木に)あのぉ、そこB-3ですよね。私の席なんですが」
荒木「ここはA-3ですよ。B-3は後ろです」
馬場「ここがB列ですよ。B-3は隣の隣ですね」
陽川「ありがとうございます。ちょっとすいません」
馬場「どうぞ」
陽川、馬場の前を通ってB-3に座り、汗をぬぐう。
B-5に座っている神林が微笑ましく見つめている。
チッと舌打ちする音が聞こえてくる。
神林、背後を睨む。
とまぁ、何でもないひとコマですが、私が映画そっちのけで微笑ましく見つめていたのは、最近あまりこういう場面に遭遇しないからです。
こういう場面というのは、見ず知らずの人同士で会話をする、わからないことは質問する、質問された人は快く返事をする、という当たり前だけどいまとなっては貴重な場面のことです。
舌打ちした人はおそらく「マナー」に厳しい人なんでしょう。本編が始まってから入ってくるとは何事か、他人様の迷惑も考えろ、ということなんでしょうが、私はそういう意見にはまったく賛同できません。
遅れてきた人だって何も好きこのんで遅れてやってきたわけではありません。少なくとも本編開始には間に合わせたかったはずです。でも窓口で行列ができていたとか、その他諸々、私にはわかるはずもないいろんなことが重なって本編開始後の入場となった。
こういうときは「お互いさま」じゃないですか。その人の席を親切に教えてあげていた人は偉いと思うし(当たり前のことだけど)逆に舌打ちした人はけしからんと思うわけです。
システムに適合しないものはすべて「バグ」
いまの世の中は、すべてをシステマティックに考えますよね。私が子どもの頃は、病院で月替わりに健康保険証を必ず見せなきゃいけないなんてなかったですよ。それがいまやほぼすべての病院でそのようなシステムになってしまった。
私の主治医は昔気質の先生なので、保険証が変わったときは見せないとめちゃ怒られますが、月替わりに見せろなんていいません。患者を信頼してるからそのような「システム」とは無縁です。
先日は、近所の内科で保険証を忘れてしまったために10割払い、後日もっていって7割返金してもらいましたが、ほとんど顔なじみのはずなのに10割払ってもらわないと困るという。つまり、月替わりに保険証を忘れた人間は、現在の医療システムでは「バグ」として扱われる。窓口の人だって患者をバグとして扱いたくないという顔をしているのです。でもそういうシステムになっているから申し訳ありませんが……と泣きそうな顔で10割請求する。
どちらもが不愉快な思いをするシステムにいったいどれだけの意味があるのかさっぱりわかりませんが、嘆かわしいことに映画館のマナーも少しずつシステムと化しつつあるのが現状です。
本編上映後に入ってくる人はバグである。
本編上映中に私語をする人間はバグである。
バグは排除するか、それなりのペナルティを与えねばならない。保険証を忘れたら10割負担と同じように。それが「マナー」である。
と舌打ちした人は思っているようですが、完全な勘違いです。
本編開始に間に合わず上映中に会話をしている人は、確かに映画を見るうえで「迷惑」ではあるかもしれない。私も最初のシーンをほとんど憶えていません。しかし彼らは感想を語り合うなど私語をしていたわけではない。必要な情報のやりとりをしていただけです。
袖振り合うも他生の縁。たまたま同じ映画の同じ回に見に来た。そんな同じ船に乗る仲間として、遅れてきた人も快く受け入れる。それが「マナー」です。
舌打ちした人は、マナーとシステムを混同しています。
私の主治医はシステムを作らない。はなからそんなものは信用していない。その代わり、保険証が変わったら必ず見せるというマナーには厳格です。違反者を厳しく叱責する。
『PLAN75』

『PLAN75』で描かれる75歳以上の高齢者もバグなんですよね。日本というシステムを維持するためにバグをできるだけ排除しようというのが国家の思惑。最終的に倍賞千恵子演じる主人公はそれを拒絶します。自分は決してバグではない、人間をバグとして扱うのはマナー違反である、という強い意思表示。
これは私見ですが、マナーにうるさい人ほど権威に弱いんじゃないでしょうか。サービス残業を強いられてもそういうシステムだからと受け容れる人のような気がしますが、そのような人に未来を託すわけにいかない。
コロナ禍において「常時マスクをするのがマナーである」というシステムが起動しました。私は暑いから外でマスクはしないし、屋内でも距離が保たれていればはずしています。逆に屋外であっても人ごみの中では着けます。
それが「マナー」じゃないの? 一律にマスクを強いるのはマナーではなくもはや「システム」です。バグを排除するために「マスク警察」なる者が現れたのが何よりの証左。
そのことに日本人はもっと自覚的になるべきではないでしょうか。



いやぁ~驚きました。映画の出来不出来ではなく、観客の入り具合の話です。
すごくたくさん入ってました。まだ公開されたばかりの土日だけど、カンヌで受賞ではなく表彰だけされた映画にこれほど入っているとは。ほとんどが高齢者だったので、75歳以上の人間は自分の生死を選ぶことができるというテーマに深い関心をもった人がたくさんいたわけですね。
ところで、映画とは関係なく、興味深い出来事がありました。
予告編が終わって本編が始まってからの出来事です。私は前から二列目のB-5の席で、さすがに前のほうは埋まっておらず、周辺の席では、A-3に一人、B-1に一人座っている程度。逆の右側もその程度だったでしょうか。問題の出来事は最前列の左サイドで起きました。シナリオ形式で採録しましょう。名前は私以外はすべて仮名です。
『PLAN75』上映開始後の出来事

〇映画館・場内
本編の上映が始まる。
最前列のA-3に荒木、その背後B-1に馬場が座っている。
陽川が荷物を抱えてやってくる。(三人はすべて小声でしゃべる)
陽川「(荒木に)あのぉ、そこB-3ですよね。私の席なんですが」
荒木「ここはA-3ですよ。B-3は後ろです」
馬場「ここがB列ですよ。B-3は隣の隣ですね」
陽川「ありがとうございます。ちょっとすいません」
馬場「どうぞ」
陽川、馬場の前を通ってB-3に座り、汗をぬぐう。
B-5に座っている神林が微笑ましく見つめている。
チッと舌打ちする音が聞こえてくる。
神林、背後を睨む。
とまぁ、何でもないひとコマですが、私が映画そっちのけで微笑ましく見つめていたのは、最近あまりこういう場面に遭遇しないからです。
こういう場面というのは、見ず知らずの人同士で会話をする、わからないことは質問する、質問された人は快く返事をする、という当たり前だけどいまとなっては貴重な場面のことです。
舌打ちした人はおそらく「マナー」に厳しい人なんでしょう。本編が始まってから入ってくるとは何事か、他人様の迷惑も考えろ、ということなんでしょうが、私はそういう意見にはまったく賛同できません。
遅れてきた人だって何も好きこのんで遅れてやってきたわけではありません。少なくとも本編開始には間に合わせたかったはずです。でも窓口で行列ができていたとか、その他諸々、私にはわかるはずもないいろんなことが重なって本編開始後の入場となった。
こういうときは「お互いさま」じゃないですか。その人の席を親切に教えてあげていた人は偉いと思うし(当たり前のことだけど)逆に舌打ちした人はけしからんと思うわけです。
システムに適合しないものはすべて「バグ」
いまの世の中は、すべてをシステマティックに考えますよね。私が子どもの頃は、病院で月替わりに健康保険証を必ず見せなきゃいけないなんてなかったですよ。それがいまやほぼすべての病院でそのようなシステムになってしまった。
私の主治医は昔気質の先生なので、保険証が変わったときは見せないとめちゃ怒られますが、月替わりに見せろなんていいません。患者を信頼してるからそのような「システム」とは無縁です。
先日は、近所の内科で保険証を忘れてしまったために10割払い、後日もっていって7割返金してもらいましたが、ほとんど顔なじみのはずなのに10割払ってもらわないと困るという。つまり、月替わりに保険証を忘れた人間は、現在の医療システムでは「バグ」として扱われる。窓口の人だって患者をバグとして扱いたくないという顔をしているのです。でもそういうシステムになっているから申し訳ありませんが……と泣きそうな顔で10割請求する。
どちらもが不愉快な思いをするシステムにいったいどれだけの意味があるのかさっぱりわかりませんが、嘆かわしいことに映画館のマナーも少しずつシステムと化しつつあるのが現状です。
本編上映後に入ってくる人はバグである。
本編上映中に私語をする人間はバグである。
バグは排除するか、それなりのペナルティを与えねばならない。保険証を忘れたら10割負担と同じように。それが「マナー」である。
と舌打ちした人は思っているようですが、完全な勘違いです。
本編開始に間に合わず上映中に会話をしている人は、確かに映画を見るうえで「迷惑」ではあるかもしれない。私も最初のシーンをほとんど憶えていません。しかし彼らは感想を語り合うなど私語をしていたわけではない。必要な情報のやりとりをしていただけです。
袖振り合うも他生の縁。たまたま同じ映画の同じ回に見に来た。そんな同じ船に乗る仲間として、遅れてきた人も快く受け入れる。それが「マナー」です。
舌打ちした人は、マナーとシステムを混同しています。
私の主治医はシステムを作らない。はなからそんなものは信用していない。その代わり、保険証が変わったら必ず見せるというマナーには厳格です。違反者を厳しく叱責する。
『PLAN75』

『PLAN75』で描かれる75歳以上の高齢者もバグなんですよね。日本というシステムを維持するためにバグをできるだけ排除しようというのが国家の思惑。最終的に倍賞千恵子演じる主人公はそれを拒絶します。自分は決してバグではない、人間をバグとして扱うのはマナー違反である、という強い意思表示。
これは私見ですが、マナーにうるさい人ほど権威に弱いんじゃないでしょうか。サービス残業を強いられてもそういうシステムだからと受け容れる人のような気がしますが、そのような人に未来を託すわけにいかない。
コロナ禍において「常時マスクをするのがマナーである」というシステムが起動しました。私は暑いから外でマスクはしないし、屋内でも距離が保たれていればはずしています。逆に屋外であっても人ごみの中では着けます。
それが「マナー」じゃないの? 一律にマスクを強いるのはマナーではなくもはや「システム」です。バグを排除するために「マスク警察」なる者が現れたのが何よりの証左。
そのことに日本人はもっと自覚的になるべきではないでしょうか。


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