等身大の芸人・上島竜兵
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上島竜兵が大好きだった。あの情けない顔に自分の顔を見る思いが何度もした。MCをやりたいのに自分にはそんな話が回ってこないと嘆く姿に、脚本家になりたいのになれない自分を重ね、共感していた。

死んだ。自殺だという。何をどんなふうに悩んでいたのかはまったく知らない。ただひたすら悲しいだけだ。

昨日の朝知ってショックを受け、そしていまも受け続けている。

今日の昼休みにツイッターを見ていたら、信じられない言葉を吐く人間がいた。

「お独り様なら自分の人生をどう終わらせようがそいつの勝手だが、愛する家族がいる以上、自死というのは最悪の選択だ。死者に鞭打ちたくはないが、遺された家族に対する暴力としか言いようがない」

自殺は暴力。確か私が自殺を図ったときに友人たちから同じようなことを言われた。


自殺者は罰金を払え?
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ある友人からは、先のツイ主と同じことを言われた。

「自殺は残された人に対する暴力だと思う」

別に間違っているとは思えない。非常に正しい意見だ。しかし正しいから納得できるかというと……

別の友人はこう言った。

「病気や事故で亡くしてもめちゃくちゃ悲しいのに自分で死のうとする奴があるか。次におまえが自殺を図ったら、そのときは罰金100万取る」

それだけ自分のことを思ってくれているのだろうという思いと、いや、いくら何でもそれはないだろ、という怒りがないまぜになった。

罰金。自殺者は罰金を払うべきだ。遺された者はその金銭を受け取る権利がある。

「自殺は遺された者への暴力」にも通じることだが、自殺者=加害者で、遺された者=被害者ということらしい。

それも間違いではないと思う。私も自殺未遂の直後はみんなに申し訳なくて「あなたたちの言っていることはどこまでも正しい」と思っていた。しかし正しいことが人を救うとはかぎらない。

彼らはみな自分を被害者の立場に置いて固定していた。被害者だから加害者の私には何を言ってもいいと思っていたのだと思う。先のツイ主も同様でしょう。

別に、自殺志願者はいろんな理由で心を病んでいるから、彼らや私こそ被害者なのだと言いたいわけではない。

私のアパートの契約書には、「屋内で自殺した場合、大家は遺族に対し300万円請求する権利を有する」なんていう項目がある。事故物件の中でも自殺は一番家賃を安くせねばならないからだろう。自殺者は大家にも遺族にも多大な暴力を振るう迷惑者である。それは認める。

が、こんな言葉もある。


正しい設問

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「問題を解決するのは『正しい解答』ではなく、常に『正しい設問』である」

これは尊敬する脚本家、高橋洋さんの言葉なのだが、そうなのだ。問題を解決するのは「自殺は遺された者への暴力だ」という正しい答えではなく、正しい問いかけなのだ。

では、自殺に関して「正しい設問」とは何だろうか。

それは、遺された者=被害者という枠組みを一度取っ払って、死んだ者の目線で、周りに迷惑をかけるとわかっていてもそれでも死を選ばざるをえないほどの苦しみに苛まれたら、はたして自分ならどうするか。それだけの苦しみなら周りの心配などできるはずがないという答えも得られようし、やっぱり自分は愛する者を悲しませたくないから死んだりしないというのも立派な解答だろう。

忘れてはいけないのは、「問題を解決するのは『正しい解答』ではなく『正しい設問』だ」ということ。

被害者の立場からいったん下りて、加害者の立場から状況を見つめ、自分ならどうするか自らに問いかけること。

それをせずして、訳知り顔で「正しい解答」など語ってほしくない。


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上島さん、そうじゃないですかねぇ。






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