「たった一度の偶然の出会いだけでも、たった一度の接吻だけでも、人は一生、それを励みに生きていける。オレの不様な人生にも短い春はあった。君と過ごした幸福な日々が。それだけでもオレには充分だ。なぜなら、君がもたらしてくれた春はいつどこにいても巡ってくるからだ」
この哀切きわまりない愛の告白、死にゆく者が愛する者へあてた恋文は、島田雅彦さんの2005年発表の小説『退廃姉妹』のクライマックス。
いやぁ、私も実はずっと前に同じ人相手に17通もラブレターを書いたことがあるけれど、こんなロマンティックなことは書けなかったなぁ。それはさて……
小説『退廃姉妹』

小説『退廃姉妹』は、戦後すぐの時代を舞台にしており、女学校に通っていた真面目な姉妹が、母が死に、父親は戦犯として逮捕されたのをいいことに、実家を進駐軍相手の慰安所にする物語。
「これからは私たちがアメリカ人の心を占領するのです」
などとたくましい女たちの喜怒哀楽が描かれるのだけど、「退廃姉妹」といっても、体を売るのは妹の久美子だけで、姉の有希子は女学校時代に一目惚れし、特攻隊として死ぬはずが死ねずに戻ってきた後藤という男と恋に落ち、処女を捧げ、心中を図る。が、自分たちのような若い兵隊をいじめながら一方で私腹を肥やしていた将校を殺害していた後藤は、心中する寸前に逮捕される。久美子も客だったピーターという男の子どもを妊娠したために苦しみ、自殺を図るが死にきれない。
この『退廃姉妹』は死に場所を探しながら死にきれない迷える子羊どものウロウロを描くのが主眼。逮捕された後藤が有希子に宛てた手紙が冒頭の哀切きわまりない愛の言葉です。何という至高の言葉でしょうか。
青山真治監督

今回、17年も前に発表された『退廃姉妹』を読んでみようと思ったのは、ずっと前に買ったきり積読状態だったのもあるが、何といっても先日、『退廃姉妹』の映画化を目論んでいた青山真治監督が早逝したことが大きい。
青山監督はいったいどういう物語を映画化しようとしていたのか。それを知りたくて読んだ。
何と巻末の解説を青山監督が書いており、戦後すぐが舞台だから金がかかるとか、女優が脱がなきゃ成立しない話だけど名のある女優ほどいまは脱がなくなった、などと嘆き節。
脚本家の荒井晴彦さんがすでにシナリオを完成させていることは「映画芸術」誌上で何度も話していたから知っていたけど、そのシナリオがまだ映画化される可能性はあるとはいえ、青山真治監督作品としてではない、ということに胸が痛む。
しかし、私にそんなことを言える資格があるのか。とも思うのである。
なぜなら、私は青山さんの映画のいい観客ではなかったから。
『ユリイカ』と『レイクサイドマーダーケース』は好きだけど、『サッド・ヴァケイション』とか『Helpless』『東京公園』『空に住む』など、好きじゃない作品のほうがはるかに多い。
なぜ好きじゃない映画監督の死をこんなに悼んでいるんだろう? と思っていたら、アッ! と思った。
南木顕生先生

かつて南木顕生さんという脚本家がいた。シナリオ作家協会の通信講座の受講生だった私は、何度も長編シナリオを添削してもらうために送っていたが、講師は何人もいるのに、なぜか南木先生に当たることが多かった。途中からは指名もさせていただいた。「南木顕生先生に読んでいただきたい」と添え書きして事務局に送っていたのだ。
南木さんはそのころ隆盛だったミクシィをやっていて、私もやっていたから検索してマイミクになっていただいた。が、私の日記に何度も難癖をつけてくるのでいやになることが多かった。
くだんの荒井晴彦さんの悪口もたくさん書いていた。シナリオを添削してもらっていたときは尊敬していたのに、ミクシィで日常的に言葉を交わすようになってからちょっといやになった。
もう11年も前になるが、シナリオ作家協会主催のコンクールで受賞し、授賞式で南木さんにお会いしてご挨拶した。「ミクシィやめたんだね。君のことはよく憶えてるよ。生意気だったからね」
うん、そうでしょうな。私は生来、正直すぎるほど正直だから敵が多いのだ。それは生存戦略としては不利な行き方のはずなのに、尊敬する荒井晴彦さんと同じやり方で何が悪いと開き直り、自分を変えることはなかった。
その数年後、南木さんは病気で突然帰らぬ人となった。未公開の脚本作と、監督デビュー作を遺して。
そのとき発売された「映画芸術」の編集後記に、荒井晴彦さんがこんなことを書いていた。
「南木顕生が死んだ。ネットで俺の悪口ばかりかいているいやな奴だったけど、監督デビュー作の公開前に死ぬなんてあまりにあんまりすぎる」
そのときの私は嘘だと思った。あれだけ悪口を書かれていたのに、偽善だと思った。
いま、その自分の浅はかさを思い知らされている。
青山真治監督は『退廃姉妹』の解説をこんなふうに締めくくっている。
「私は『退廃姉妹』を全力で映画にしたいと思っています。それは昨年、脳梗塞で倒れ多くの貴重な記憶を失ってしまった母と同じ世代の女性たちの戦後を描くことであり、ゆえに私たちの世代が必ずやらなければならない仕事なのだと私には考えることができます。また同時にそれは、映画から小説へのささやかなラブレターにもなるでしょう。後藤から有希子へ届けられた手紙のような。待っていてください」
待っていてください。不覚にも泣いてしまった。たいして好きじゃなかった映画監督だったけど、この「待っていてください」に泣かずにおれようか。どれだけ無念だったことか。
だから、荒井さんの南木先生の死を惜しむ言葉も、嘘ではなかったのだろうと、やっとわかった。
私は南木顕生先生に対する追悼の言葉を口にしたことも文字にしたこともなかった。一度会っただけでそれからはネット上のやりとりすらなかった。
思えば、腹の立つことも多々あったけど、私はあの人のように第一線で活躍する脚本家にはなれなかった。何のことはない。自分に酔っていただけである。そして恩義ある人の死に対して、他人様の追悼の言葉を嘘だと決めつけ、悦に入っていた。
「生きるということは、恥ずかしいことです」
川島雄三監督の言葉をいま噛みしめている。ウロウロはまだまだ続く。

この哀切きわまりない愛の告白、死にゆく者が愛する者へあてた恋文は、島田雅彦さんの2005年発表の小説『退廃姉妹』のクライマックス。
いやぁ、私も実はずっと前に同じ人相手に17通もラブレターを書いたことがあるけれど、こんなロマンティックなことは書けなかったなぁ。それはさて……
小説『退廃姉妹』

小説『退廃姉妹』は、戦後すぐの時代を舞台にしており、女学校に通っていた真面目な姉妹が、母が死に、父親は戦犯として逮捕されたのをいいことに、実家を進駐軍相手の慰安所にする物語。
「これからは私たちがアメリカ人の心を占領するのです」
などとたくましい女たちの喜怒哀楽が描かれるのだけど、「退廃姉妹」といっても、体を売るのは妹の久美子だけで、姉の有希子は女学校時代に一目惚れし、特攻隊として死ぬはずが死ねずに戻ってきた後藤という男と恋に落ち、処女を捧げ、心中を図る。が、自分たちのような若い兵隊をいじめながら一方で私腹を肥やしていた将校を殺害していた後藤は、心中する寸前に逮捕される。久美子も客だったピーターという男の子どもを妊娠したために苦しみ、自殺を図るが死にきれない。
この『退廃姉妹』は死に場所を探しながら死にきれない迷える子羊どものウロウロを描くのが主眼。逮捕された後藤が有希子に宛てた手紙が冒頭の哀切きわまりない愛の言葉です。何という至高の言葉でしょうか。
青山真治監督

今回、17年も前に発表された『退廃姉妹』を読んでみようと思ったのは、ずっと前に買ったきり積読状態だったのもあるが、何といっても先日、『退廃姉妹』の映画化を目論んでいた青山真治監督が早逝したことが大きい。
青山監督はいったいどういう物語を映画化しようとしていたのか。それを知りたくて読んだ。
何と巻末の解説を青山監督が書いており、戦後すぐが舞台だから金がかかるとか、女優が脱がなきゃ成立しない話だけど名のある女優ほどいまは脱がなくなった、などと嘆き節。
脚本家の荒井晴彦さんがすでにシナリオを完成させていることは「映画芸術」誌上で何度も話していたから知っていたけど、そのシナリオがまだ映画化される可能性はあるとはいえ、青山真治監督作品としてではない、ということに胸が痛む。
しかし、私にそんなことを言える資格があるのか。とも思うのである。
なぜなら、私は青山さんの映画のいい観客ではなかったから。
『ユリイカ』と『レイクサイドマーダーケース』は好きだけど、『サッド・ヴァケイション』とか『Helpless』『東京公園』『空に住む』など、好きじゃない作品のほうがはるかに多い。
なぜ好きじゃない映画監督の死をこんなに悼んでいるんだろう? と思っていたら、アッ! と思った。
南木顕生先生

かつて南木顕生さんという脚本家がいた。シナリオ作家協会の通信講座の受講生だった私は、何度も長編シナリオを添削してもらうために送っていたが、講師は何人もいるのに、なぜか南木先生に当たることが多かった。途中からは指名もさせていただいた。「南木顕生先生に読んでいただきたい」と添え書きして事務局に送っていたのだ。
南木さんはそのころ隆盛だったミクシィをやっていて、私もやっていたから検索してマイミクになっていただいた。が、私の日記に何度も難癖をつけてくるのでいやになることが多かった。
くだんの荒井晴彦さんの悪口もたくさん書いていた。シナリオを添削してもらっていたときは尊敬していたのに、ミクシィで日常的に言葉を交わすようになってからちょっといやになった。
もう11年も前になるが、シナリオ作家協会主催のコンクールで受賞し、授賞式で南木さんにお会いしてご挨拶した。「ミクシィやめたんだね。君のことはよく憶えてるよ。生意気だったからね」
うん、そうでしょうな。私は生来、正直すぎるほど正直だから敵が多いのだ。それは生存戦略としては不利な行き方のはずなのに、尊敬する荒井晴彦さんと同じやり方で何が悪いと開き直り、自分を変えることはなかった。
その数年後、南木さんは病気で突然帰らぬ人となった。未公開の脚本作と、監督デビュー作を遺して。
そのとき発売された「映画芸術」の編集後記に、荒井晴彦さんがこんなことを書いていた。
「南木顕生が死んだ。ネットで俺の悪口ばかりかいているいやな奴だったけど、監督デビュー作の公開前に死ぬなんてあまりにあんまりすぎる」
そのときの私は嘘だと思った。あれだけ悪口を書かれていたのに、偽善だと思った。
いま、その自分の浅はかさを思い知らされている。
青山真治監督は『退廃姉妹』の解説をこんなふうに締めくくっている。
「私は『退廃姉妹』を全力で映画にしたいと思っています。それは昨年、脳梗塞で倒れ多くの貴重な記憶を失ってしまった母と同じ世代の女性たちの戦後を描くことであり、ゆえに私たちの世代が必ずやらなければならない仕事なのだと私には考えることができます。また同時にそれは、映画から小説へのささやかなラブレターにもなるでしょう。後藤から有希子へ届けられた手紙のような。待っていてください」
待っていてください。不覚にも泣いてしまった。たいして好きじゃなかった映画監督だったけど、この「待っていてください」に泣かずにおれようか。どれだけ無念だったことか。
だから、荒井さんの南木先生の死を惜しむ言葉も、嘘ではなかったのだろうと、やっとわかった。
私は南木顕生先生に対する追悼の言葉を口にしたことも文字にしたこともなかった。一度会っただけでそれからはネット上のやりとりすらなかった。
思えば、腹の立つことも多々あったけど、私はあの人のように第一線で活躍する脚本家にはなれなかった。何のことはない。自分に酔っていただけである。そして恩義ある人の死に対して、他人様の追悼の言葉を嘘だと決めつけ、悦に入っていた。
「生きるということは、恥ずかしいことです」
川島雄三監督の言葉をいま噛みしめている。ウロウロはまだまだ続く。


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