『血ぬられた墓標』『処刑男爵』しか見たことがない、イタリアン・ホラーの巨匠マリオ・バーヴァ監督がジョン・M・オールド名義で撮った、代表作とも言われる『白い肌に狂う鞭』をついに見ました。噂にたがわぬ傑作でした。
『白い肌に狂う鞭』(1963、イタリア・フランス)

脚本:ロベール・ユーゴ、ジュリアン・ベリー&ルチアーノ・マルチーノ
監督:ジョン・M・オールド(マリオ・バーヴァ)
出演:ダリア・ラヴィ、クリストファー・リー、トニー・ケンドール
この映画では、デビッド・ハミルトンなる名前の人が撮影監督で(あのデビッド・ハミルトンとは別人らしい)赤、青、緑、アンバーなど、原色をふんだんに使ったセットとライティングのデザインがケレン味たっぷりで視覚的に楽しめますし、ごく普通のラブストーリーにも使えそうな愛のテーマ曲と、おどろおどろしい怪奇趣味のテーマ曲、二つのテーマ曲も素晴らしく、聴覚的にも楽しめます。
が、やはり私はこの映画の劇構造に最も瞠目しました。
オープニングクレジットを除くとちょうど80分ほどの本作は、実に緊密な三幕構成となっています。
普通なら第一幕20分、第二幕40分、第三幕20分となるところですが、この映画では第二幕と第三幕がそれぞれ30分と、中盤と終盤に同じだけの時間を割いています。
順に見ていきましょう。(以下ネタバレあり)
第一幕前半(10分まで)さまざまな愛憎関係

登場人物を整理すると、
父親=伯爵
兄=クルト(クリストファー・リー)
弟=クリスチャン(トニー・ケンドール)
弟の妻でかつてのクルトの許嫁=ネヴェンカ(ダリア・ラヴィ)
弟のかつての許嫁=カーチャ
女の召使=ジョルジア
男の召使=ロサート
クルトは放蕩息子でネヴェンカという許嫁がありながらジョルジアという召使の娘ターニャをたぶらかし、自殺に追いやったため勘当されたのですが、家督を譲ってほしいと戻ってきます。
・ジョルジアは娘ターニャが喉を刺して自殺したため、同じ方法でクルトを殺してやりたいと思っている。
・クルトの許嫁だったネヴェンカはいまでは弟の妻になっており、弟の許嫁だったカーチャはネヴェンカに嫉妬している。
・父親はクルトの帰還を苦々しく思っている。
・弟は自分が継ぐはずだった家督を兄が譲ってくれと言ってきたために心穏やかでない。(⇐たぶん)
などなど、この映画を貫く愛憎関係がたった10分で説明されます。非常に経済効率のいい語りです。いまの映画にはできない芸当ですね。
第一幕後半(20分まで)クルト殺害
人物関係の説明のあとは、この映画のメインの二人、主役のネヴェンカとクリストファー・リー演じるクルトの、かつて恋仲だった者同士のよくわからない関係が描かれます。
浜辺でクルトがネヴェンカを鞭で打つ。打たれるネヴェンカは痛がりながらも少しも抵抗しません。ここでは二人の関係がよくわかりません。そもそも彼はなぜ彼女を鞭打つのか。なぜ彼女は抵抗しないのか。
クルトはその夜、城の自室で何者かに、ターニャが自殺に使った短剣で喉を刺されて死に絶えます。
第二幕前半(40分まで)亡霊

まず喜ぶのは何といってもクルトが娘のターニャと同じ死に方をした召使のジョルジアで、神に感謝を捧げます。
クルトは放蕩息子でしたが、父親の伯爵はやはりショックで、盛大な葬式をしてやり、丁重に墓に埋葬してやります。すると……
ある夜、ネヴェンカは彼の亡霊を窓外に見て半狂乱になります。
第二幕後半(50分まで)甘噛み

クルトを殺したのは誰か、亡霊はネヴェンカの幻視なのか否か、判然としないまま後半に突入します。
またクルトの亡霊が出て、浜辺のときと同じく、ネヴェンカを激しく鞭打ちます。そのとき、ネヴェンカがアッと驚く仕草を見せるんですね。
自分の手を甘噛みするんです。よく女はしますよね。あんまり気持ちがいいと男の手や肩を甘噛みするアレ。
つまり、ネヴェンカはクルトに鞭打たれるのが最上の悦びなのです。二人はSとMの最上の関係だった。なのにクルトは勘当されて出ていき、弟と結婚させられた。
第三幕(究極の自傷行為=自殺)

直後のシーンで伯爵が殺されます。もはや誰が殺したかは観客には明白ですが、登場人物たちにとってはまだまだ真相は闇の中です。
ジョルジアがクルトを殺したのではないか。
いやいや男の召使ロサートが怪しい。
いろんな人間が怪しく、誰もが犯人に見えます。疑心暗鬼の第三幕に決着をつけるのは、真犯人です。そう、ネヴェンカです。
再度クルトの亡霊が現れたとき、「私と一緒に行こう」と誘われます。「あなたが憎い。憎い。憎い!」と拒絶しようとしますが、クルトが手を伸ばすとネヴェンカはその手を反射的に甘噛みしてしまいます。
彼女にとってクルトを追放した伯爵は殺してやりたいほど憎い。そしてクルトも憎い。愛していながら、いや、愛しているから、他の女に手を出して別れのきっかけを作ったクルトが憎い。だから二人を殺した。とは説明されませんが、おそらくそういうことでしょう。
最後は、クルトの亡霊を刺し殺そうとして、自分で自分を刺してしまいます。
自分でクルトの亡霊を作り上げて恐怖に怯え、クルトの亡霊に鞭打たれるところを夢想して快感に打ち震え、最後はクルトを殺さんとして自害する。すべては彼女の自作自演だった。
終わってみれば、なぁんだ!ってなところかもしれませんが、緊密で計算され尽くした劇構造には舌を巻くしかないし、何より、「甘噛み」という仕草だけですべてをわからせてしまう描写が憎いほどうまいと思いました。
蛇足ながら、マゾヒストにとって自死というのは最上の悦びなんでしょうか? クルトに殺されるのが一番の悦びのような気がしますが。しかし彼はもうこの世にいない。


『白い肌に狂う鞭』(1963、イタリア・フランス)

脚本:ロベール・ユーゴ、ジュリアン・ベリー&ルチアーノ・マルチーノ
監督:ジョン・M・オールド(マリオ・バーヴァ)
出演:ダリア・ラヴィ、クリストファー・リー、トニー・ケンドール
この映画では、デビッド・ハミルトンなる名前の人が撮影監督で(あのデビッド・ハミルトンとは別人らしい)赤、青、緑、アンバーなど、原色をふんだんに使ったセットとライティングのデザインがケレン味たっぷりで視覚的に楽しめますし、ごく普通のラブストーリーにも使えそうな愛のテーマ曲と、おどろおどろしい怪奇趣味のテーマ曲、二つのテーマ曲も素晴らしく、聴覚的にも楽しめます。
が、やはり私はこの映画の劇構造に最も瞠目しました。
オープニングクレジットを除くとちょうど80分ほどの本作は、実に緊密な三幕構成となっています。
普通なら第一幕20分、第二幕40分、第三幕20分となるところですが、この映画では第二幕と第三幕がそれぞれ30分と、中盤と終盤に同じだけの時間を割いています。
順に見ていきましょう。(以下ネタバレあり)
第一幕前半(10分まで)さまざまな愛憎関係

登場人物を整理すると、
父親=伯爵
兄=クルト(クリストファー・リー)
弟=クリスチャン(トニー・ケンドール)
弟の妻でかつてのクルトの許嫁=ネヴェンカ(ダリア・ラヴィ)
弟のかつての許嫁=カーチャ
女の召使=ジョルジア
男の召使=ロサート
クルトは放蕩息子でネヴェンカという許嫁がありながらジョルジアという召使の娘ターニャをたぶらかし、自殺に追いやったため勘当されたのですが、家督を譲ってほしいと戻ってきます。
・ジョルジアは娘ターニャが喉を刺して自殺したため、同じ方法でクルトを殺してやりたいと思っている。
・クルトの許嫁だったネヴェンカはいまでは弟の妻になっており、弟の許嫁だったカーチャはネヴェンカに嫉妬している。
・父親はクルトの帰還を苦々しく思っている。
・弟は自分が継ぐはずだった家督を兄が譲ってくれと言ってきたために心穏やかでない。(⇐たぶん)
などなど、この映画を貫く愛憎関係がたった10分で説明されます。非常に経済効率のいい語りです。いまの映画にはできない芸当ですね。
第一幕後半(20分まで)クルト殺害
人物関係の説明のあとは、この映画のメインの二人、主役のネヴェンカとクリストファー・リー演じるクルトの、かつて恋仲だった者同士のよくわからない関係が描かれます。
浜辺でクルトがネヴェンカを鞭で打つ。打たれるネヴェンカは痛がりながらも少しも抵抗しません。ここでは二人の関係がよくわかりません。そもそも彼はなぜ彼女を鞭打つのか。なぜ彼女は抵抗しないのか。
クルトはその夜、城の自室で何者かに、ターニャが自殺に使った短剣で喉を刺されて死に絶えます。
第二幕前半(40分まで)亡霊

まず喜ぶのは何といってもクルトが娘のターニャと同じ死に方をした召使のジョルジアで、神に感謝を捧げます。
クルトは放蕩息子でしたが、父親の伯爵はやはりショックで、盛大な葬式をしてやり、丁重に墓に埋葬してやります。すると……
ある夜、ネヴェンカは彼の亡霊を窓外に見て半狂乱になります。
第二幕後半(50分まで)甘噛み

クルトを殺したのは誰か、亡霊はネヴェンカの幻視なのか否か、判然としないまま後半に突入します。
またクルトの亡霊が出て、浜辺のときと同じく、ネヴェンカを激しく鞭打ちます。そのとき、ネヴェンカがアッと驚く仕草を見せるんですね。
自分の手を甘噛みするんです。よく女はしますよね。あんまり気持ちがいいと男の手や肩を甘噛みするアレ。
つまり、ネヴェンカはクルトに鞭打たれるのが最上の悦びなのです。二人はSとMの最上の関係だった。なのにクルトは勘当されて出ていき、弟と結婚させられた。
第三幕(究極の自傷行為=自殺)

直後のシーンで伯爵が殺されます。もはや誰が殺したかは観客には明白ですが、登場人物たちにとってはまだまだ真相は闇の中です。
ジョルジアがクルトを殺したのではないか。
いやいや男の召使ロサートが怪しい。
いろんな人間が怪しく、誰もが犯人に見えます。疑心暗鬼の第三幕に決着をつけるのは、真犯人です。そう、ネヴェンカです。
再度クルトの亡霊が現れたとき、「私と一緒に行こう」と誘われます。「あなたが憎い。憎い。憎い!」と拒絶しようとしますが、クルトが手を伸ばすとネヴェンカはその手を反射的に甘噛みしてしまいます。
彼女にとってクルトを追放した伯爵は殺してやりたいほど憎い。そしてクルトも憎い。愛していながら、いや、愛しているから、他の女に手を出して別れのきっかけを作ったクルトが憎い。だから二人を殺した。とは説明されませんが、おそらくそういうことでしょう。
最後は、クルトの亡霊を刺し殺そうとして、自分で自分を刺してしまいます。
自分でクルトの亡霊を作り上げて恐怖に怯え、クルトの亡霊に鞭打たれるところを夢想して快感に打ち震え、最後はクルトを殺さんとして自害する。すべては彼女の自作自演だった。
終わってみれば、なぁんだ!ってなところかもしれませんが、緊密で計算され尽くした劇構造には舌を巻くしかないし、何より、「甘噛み」という仕草だけですべてをわからせてしまう描写が憎いほどうまいと思いました。
蛇足ながら、マゾヒストにとって自死というのは最上の悦びなんでしょうか? クルトに殺されるのが一番の悦びのような気がしますが。しかし彼はもうこの世にいない。


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